ヴェネツィアを中心に
ルネッサンス時期に活躍した建築家といえば
Andrea Palladio(アンドレア・パッラーディオ)。
古代ローマ・ギリシャの建築物に影響を受け
西洋建築史に最も影響を残した建築家としても知られています。
アメリカ建築の始祖であるとまで言われることもあるように、
1700-1800年代に建てられたアメリカの建物には
パッラーディオの様式を残すものが多く見られます。
これは第3代アメリカ大統領Thomas Jefferson
(トーマス・ジェファーソン)がパッラーディオの書物を読み
数々の建築物の設計に取り入れたからだといわれています。
ホワイトハウスにも確かに言われてみると
パッラーディオの影響が残っています。
古代建築のよいところを取り入れ、
クラシックな様式に纏め上げ
均整のとれた建築物を実現しています。
ヴェネツィア大学の教授であり、
ルーブル美術館の運営議会のメンバーでもある
Antonio Foscari(アントニオ・フォスカリ)氏が出版した
Unbuilt Veniceという著作の中で
パッラーディオが設計していながら
実現しなかったヴェネツィアの都市再編計画が
取り上げられています。
ドゥカーレ宮殿を中心に
パッラーディオの設計が実現していたら
違うヴェネツィアを目にしていることになったかもしれないのですが、
当時はオスマントルコ帝国との戦争も勃発し
レパントの戦いでヴェネツィアは歴史的な敗戦を喫し、
またヴェネツィアだけでなく
ヨーロッパ全土にペストが蔓延しており
1575年にヴェネツィアの住民の3分の1が命を落としている状況で、
ヴェネツィア国家も市民も
ドゥカーレ宮殿の改築に興味を向け、
資金援助をするだけの余裕がなかったため
大きな成功を収め、
その設計が認められていながら実現しなかったのです。
歴史とはそういうものなのですね。