不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La madre di Leonardo era una schiava

2008-04-15 10:26:39 | アート・文化

レオナルド・ダ・ヴィンチの母親が誰であろうと
今となってはあまり大きな問題ではないのですが
500年以上経った今も熱心に続けられている
レオナルド研究の結果新たな事実が判明しました。

Vanni di Niccolo di Ser Vanni
(ヴァンニ・ディ・ニッコロ・ディ・セル・ヴァンニ)は
1400年代のフィレンツェの銀行家で高利貸し業も営んでいました。
自分の最期が近づくと遺言書を書き換え、
Via Ghibellinaにある邸宅を妻であるAgnola(アニョーラ)に残し
彼女が息を引き取るまで彼女の所有とし、
その後は自分の友人で遺言執行人である公証人に譲るとしています。
その公証人がSer Piero da Vinci(セル・ピエロ・ダ・ヴィンチ)で
レオナルドの父親です。
この邸宅とは別にレオナルドの父が銀行家から引き継いだのが
Ser Vanni家の召使でもあったCaterina(カテリーナ)という名の奴隷。
研究対象となっているSer Vanni家の古文書には
Caterina Sclavaという記述が頻繁にありますが、
1451年のSer Vanniの死とともに記述が消え、
フィレンツェでの消息が不明となり
1452年のレオナルドの誕生とともに
Vinci村でその消息が再確認されています。

1400年代のイタリアで奴隷について語ることは
実は道徳に反しているようなところがあったのですが
実際には地元の名士といわれるような一族は召使として雇うために
奴隷を買うこともよく行われていました。
特に東ヨーロッパや中東からやってくる若い女性たちは
イタリアに来ると洗礼を受け洗礼名を持つようになります。
このときにつけられたのは
Maria、Marta、Caterinaなどが多かったようで、
レオナルドの父親のもとにやってきた女性も
Caterinaという洗礼名を持っていました。

1480年頃レオナルドの父親は4回ほど結婚をしており
たくさんの子供を持ったといわれており、
私生児であるレオナルドには血の繋がりのある
21人もの兄弟がいたとも言われています。
レオナルドが私生児でありながら
ヨーロッパを旅する資金にこと欠かなかったのは
彼の才能を見込んだ叔父たちが投資をしたためですが
それが原因で兄弟たちと遺産問題で揉めたりもしたようです。

レオナルドの母親がイタリア人でないという説は
数年前から盛んに話題になっていたのですが
今回の研究結果の発表で彼女が東ヨーロッパ
もしくは中東からやってきたということがほぼ確定されました。
現在は彼女を購入した際の契約書の発見と研究が最優先事項。
そのような文書が見つかれば
実際に彼女がどこの出身なのかが明らかになります。

また別に行われている人類学的研究の結果でも
残されているレオナルドの左手の指の腹の皮膚の再構成の結果
そこから採取された指紋には
明らかにアラブ系の特徴が見られるともいわれています。

彼に天才的な数学力はもしかするとイタリア人のものではなく
アラブ系の遺伝子から来るものなのかもしれません。

Francesco Cianchiが書き上げたばかりの
「La madre di Leonardo era una schiava ? 」
という、そのままじゃん、と突っ込みたくなるようなタイトルの著作に
このテーマに関する研究の結果が発表されています。