山の辺の道を北から歩いてきて、三輪山に近づく前の、一番見晴らしの良くのどかな風景が広がるあたりに、この2基の陵墓があります。この陵墓以外の何物でもない、堂々たる古墳の治定は幕末の文久修陵中に急遽変更され、それ以前に対し入れ替えれられて現在に至っています。あの禁門の変が起こったあたりの時期でした。こんなバタバタが起こるには訳が有って、記紀の立地の記載が曖昧で、さらに延喜式でも両者が同じ記述(在大和国 . . . 本文を読む
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