摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

行燈山古墳(崇神天皇陵)と渋谷向山古墳(景行天皇陵)-太田・磯城地域の2つの陵墓、その真の被葬者とは-

2019年06月01日 | 奈良・大和
山の辺の道を北から歩いてきて、三輪山に近づく前の、一番見晴らしの良くのどかな風景が広がるあたりに、この2基の陵墓があります。この陵墓以外の何物でもない、堂々たる古墳の治定は幕末の文久修陵中に急遽変更され、それ以前に対し入れ替えれられて現在に至っています。あの禁門の変が起こったあたりの時期でした。こんなバタバタが起こるには訳が有って、記紀の立地の記載が曖昧で、さらに延喜式でも両者が同じ記述(在大和国 . . . 本文を読む