日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

唐突ですが’08年夏の旅行計画もとい留学計画

2008年04月11日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
いつも夏だけ思いっきりよく旅行する。
だからこそ日頃をつつましく出来たりもする。
節約が楽しいのはその先に美味しいえさがぶら下がっているから。


【去年の夏のマルタ島での寄宿生活で知り合ったイタリア人の男の子。
娘がいうにはこの子が一番モテていたとか。撮影はもちろん娘】

そう、今年も夏の留学大計画を進めている。娘の、ね。
しかし、いつもと違ってジャルがワンワールドに加盟した
影響か、マイレージの無料航空券がすごいことになっていた。

1月の段階でほとんどソールドアウト!(予約?)
結局、去年と同じマルタ島へ娘を留学させるのに
アムステルダム経由のチケットしか残っていないような
状況だった。もちろん、夏休み中ずーっと海外で過ごすつもりなら
パリとかローマとか魅力的な経由地を選べたのだが。

とにっかく予算的に滞在は短期間にしたかった。
でもでも、結局7月24日に日本を発って、
8月20日にアムステルダムを出発し21日に成田着の
航空券が残存する中では滞在が最短で、
気づいてみれば27泊もすることになってしまった。

で、この夏は初めてオランダのアムステルダムに
行くことになったわけだ。
アムステルダムからマルタへはマルタ航空で
7月26日(マルタでのサマーキャンプは7月26日~
2週間)に飛び、またアムスへ8月11日には
戻り、アムスで8泊する。
航空券を押さえると同時に1月の後半には
ホテルも娘の留学先も手配してしまった。


【同じく去年のマルタ島での寄宿生活でのサマーキャンプで、一番モテた
ロシアから来た女の子(右)!性格もメチャよくてね、と娘が話す】

我ながらなかなか手慣れたもんである。
娘はどうしても去年と同じマルタの同じ学校へと
留学したがったので、娘の意を汲んでの
泣く泣くのセッティングだ。
マルタ島へはヨーロッパの町やドバイなどを経由しないと
直行便ではいけないので、親としては11歳の子供だけを
ポンと海外に出すわけにもいかず、
付き添わなければいけないのが辛い。
でも、その手間が多い分、マルタのサマースクールには
ほとんど日本人が参加しないので
英語力をつけるにはうってつけなのだ。
しかも、安全で物価は本当に安い(少し上がりつつあるが)!


【これが娘が参加したマルタ島でのサマーキャンプでの英語の先生。今通っている青山学院初等部のどの先生より気に入ってしまったようだ! といってもシチュエーションが違うので、当たり前だよね。】

そしてここがポイント中のポイントなのだが、
ヨーロッパから英語を習いにくるお子さんばかりなので、
みーんな弟2カ国語となり(ドイツ人、フランス人、イタリア人
ロシア人で主に構成されていたようだ)
ハードルが低く英語力よりむしろ国際力をつけられる。
娘は語学力より実は大切な表現力というか
人間力みたいなものを、とけ込むために自然と培うことができた。
ボディランゲージでも通じるよ、と豪語している。
それから、言い方悪いけど
成金的なお家のお子さんが少ないのも気に入っている。

まあ、本人が最も気に入ってしまったのだから、
親はお金と都合の工面だけをすればいいのだが・・・。

そんなかんだで、
何も知らなかったオランダのことを今、少しずつ
調べています。
一番最初の写真は
オランダ政府観光局から取り寄せた
オランダの地図!

去年知り合ったマルタに住むマルタ人親子から
「うちに泊まりにきて」と手紙をいただいたのだが、
娘は寄宿生活をどうしてもしたいらしく、
お金を節約したい母の意向を無視して、
泊まりにいくのは寄宿生活が終わってから、と
言っている。


【この3人部屋が去年娘が参加した寄宿生活でのマルタ島サマーキャンプの部屋のようす。アンバサダーホテルを使っているので、なかなか快適そう。娘と同室になったのは最初はパリから来た女の子で、途中からロシア人姉妹になったとか】

ちなみにマルタのサマースクール(寄宿の)は
2週間で約20万円弱だ(レートを1ユーロ165円として)。
宿泊代、食事代、観光代、
授業料などなど含めてだから・・・・、
案外適切にリーズナブルだと思いマース。

ただ、ハワイで通いの学校(英語)に行かせる方が
安いのかもしれません。
でも、地中海の海の色にはかなわない気がするのは
私だけ?

3月22日、パレルモで馬車に乗る→バスに乗ってシラクサへ

2008年04月11日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

パレルモでは2泊だけの予定だったので、
夜遊びせず早めに寝て、移動日の22日も朝早くから
パレルモ探索に励んだ。

中央駅までの道の往復は熟知したし
(ホテルはローマ通りに面していて地の利がよかった)
そこへは旧市街の一部を通っていくので、
旧市街の建物の古さは既に了解ずみ。
本当に真っ黒にすすけていて貫禄満点!
少しはきれいにすりゃいいのに、と溜息までついてしまった。

細い道が多く、そして有名な教会や聖堂も多いので、
旧市街地を散策していて馬車を見つけたときは
「よっしゃ、あれに乗ろう」とすぐナマケ心から決意する。
(座っているだけで、名所を巡ってくれるんだもん)

もちろん娘も大賛成!
馬車を走らせてくれたのは、
調子の良さそうなお兄ちゃんで、英語で何とか
コミュニケートできた。


馬車はこんな風に小道を難なく抜けていく。
パレルモの町並みはどこかマンハッタンを彷彿させた。
雑然としている。多分、マンハッタンの形成にイタリア移民が
活躍したんじゃないかな(マフィア?)と思わせた。

馬車は①「クアットロ・カンティ」とか
②「プレトーリア広場」③「マルトラーナ教会」・・・とか
近辺をちょこちょこと走っては、中を見るために
止まってくれた。「見ておいで」と催促されて
馬車を降りていくのだが、時間での契約(確か40分くらい)
なので、ゆっくり見るわけにもいかず、ざくっと
中に入ってはざくっと写真を撮った。
ところが、聖堂の中はどこも暗くて残念ながら
お見せできるような写真は撮れなかった。

ちょっとくらいガイド的に知識を披露してほしかったが、
観光馬車のお兄さんは英語もカタコトだったので
そんなことは望むべくもなかった。
私も娘もお兄さんとのいろんなやりとりを
笑ってごまかしながら
何とかこなした、という感じだ。


パレルモではショッピングもした。
中央駅からホテルまでの目抜き通りに
結構安くて近代的なお店が建ち並んでいた。
たとえば、娘のズポンやサマーセーターが
5ユーロくらいで買えたりした。
(安いけどメイド・イン・イタリー

ちなみに適当に教会にまで入って、
神父さんから祝福していただいてしまった。
ついでにそこではトイレまでお借りした。

さて、12時にはホテルのチェックアウトをして、
さらにどん欲に次は新市街の
リベルタ通りを目指すことにした。
リベルタ通りやルジェーロ・セッティモ通りにかけては
有名高級ブランドが並ぶとガイドに書いてあったからだ。

そこへ足を踏み入れると
それは旧市街とは銀座と浅草ほどの差があった。
広々とした通りに美しく華やかなお店が建ち並んでいたのだ。
雰囲気だけを味わって、
すぐ中央駅へと向かった。

その近くにある長距離バスターミナル
(といってもただ、通りにバスが停まっているだけのこと)
からバスに乗ってシラクサへと向かうためだ。
写真は新市街近くの売店で物色しているところ。
スーツケースを持ってね。

さて、シラクサ行きのバスターミナルのある
Via Paolo Balsamoへと向かった。
迷わなかった。なぜなら、昨日のうちにロケハンして
あったからだ! えっへん。
バスは14時半にパレルモを出て、シラクサには
17時45分に着く予定だった。
バスは予約がきかず、発車の15分前くらいまでに
切符を買えばよかった!(実際は発車に間に合えばよし)