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夏の旅行を振り返りながら、ブログっているが、
本当に旅行なんて行くもんであって、
あとでまとめてブログにするものではないのであって、
そのことをつくづく思い知っているわけであって、
ようやくブログでは8月1日辺りを回顧しているもんで
本当に辟易しつつも旅が終わるまでがんばるそ!
さて、そんな私がコンピュータすら開けるのも
面倒になり、心を音楽にくゆらしてみたくなったわけです。
そして、手にしたCDがカーラ・ブルーニの新作アルバムでして。
もともと前作アルバムを聞いたときから好きなアーティストだったので、
迷わず買ってしまいました。
そしてまったくもって大満足。今日は朝から
カーラの少しハスキーなのに透明感たっぷりの歌声に
心がすっかり酔いしれています。
ちょっと心に栄養分、てな時にこのカーラの声はもってこい。
それは、かつてエンヤに求めていたものと似ているのだけど、
ずっと都会的かつ毒づいている。
彼女の詩、いいよね。
「息子は騒ぎ立て、母親はあきれかえる
けれど私は抵抗する
そして子供であり続ける
この瞬間を愛し
苦しみと遊ぶ」(私は女の子、より抜粋)
お兄さんが、そうね、10才くらいの男の子に
指示をだした。
すると、なんとその坊やとお兄さんの間を
鷹がいったりきたりし始めたのだ。
わあ、「鷹が飛んでいるのを間近に見られるなんて、
すーごーく、得した気分・・・」
う・れ・し・い!
歩き疲れて足が棒のようになっているのも忘れて、
ピョンピョン飛び跳ねたくなるほどだった。
ところが、突然、鷹が急角度に上昇をはじめたかと思うと、
お兄さんのところにもどらず、
後ろの建物のバルコニーで翼をたたんでこちらの様子をうかがい始めた。
「えー、どうなっちゃうのぉ」と思っていたら・・・
お兄さんが何かを地面に投げた。
隣に立っていた男の人が「あれはきっとネズミだよ」と
教えてくれたんだよね。
すると鷹はその投げ出されたものをめがけて飛んできたのだった。
そう、こんな感じのもの・・・
をめがけて獲物をしとめたかのようにツメで押さえ、
鋭いくちばしでついばみ始めたのだ。
そして、お腹がよくなると・・・・
こんな風に何事もなかったかのように、
元のさやにもどったのだった。(・・て、こういうときに
こういう言葉を使うのも変だけど!)
鷹も”ゴネどく”というのをちゃんと知っているのだなあ。
ていうか、やっぱりそうやってお兄さんは鷹を手なずけていたのであった。
ローアーバラッカ・ガーデン(ヴァレッタの東海岸沿い)
から見たメモリアルの様子。
バラッカ・ガーデンのアーチの影がくっきりと映っている。
そのメモリアルへと庭園から向かうことに。
みんな思い思いにこのメモリアルからの景色を楽しんでいた。
さて、階段を上り中を覗くと、天井からは重厚な銅でできた
鐘が下がっていた。柱は鐘を守るように天井から足を伸ばす。
私は咄嗟に除夜の鐘を思い出した。
これは第二次世界大戦後に平和を願って建てられたというもの。
イギリスの王室がそのスポンサーだった!
というのも、ドイツ軍からの砲撃を受け瀕死の状況だった
マルタ島を救ったのがイギリス軍だったのだ。
それも当然といえば当然でマルタ島は1800年から
イギリスの保護下にあったのよん。
(ナポレオンが一週間だけフランスの属領にしたのだが、
それを英国のネルソン総督がマルタからの要請を受け、奪回した)
1964年にイギリスから独立、
1974年に共和制を宣言して共和国憲法を発布し、
マルタ共和国が誕生したのだ。
さて、何と忙しいヴァレッタ訪問になったことか?
マノエル劇場でツアーに参加し、
聖ヨハネ大聖堂で騎士団の残した芸術品と信仰?に圧倒され
そして、「マルタ体験ショー」を観ようとヴァレッタの奥、
砦近くまで足を伸ばしたのだ。
地図をみるといかにも小さいヴァレッタの町であるが、
歩いてみると大違い。坂の連続で足腰がまず、悲鳴をあげるのだ。
劇場と大聖堂では歩きっぱなしでがんばったああ。
でも、体験ショーは映画なので、「座れるもんね」と
休憩も兼ねていた。
生憎、日本語の音声ガイドが機能していなかったが、
マルタの歴史をざくっと知るにはうってつけだ。
冷暖房完備だし、とってもいい骨休めになりました。
約40分の憩いのひとときでしたあ。
【鑑賞して美術館を出るとき、裏門(出口)に咲いていた花々に感動した】
聖ヨハネ大聖堂に続いて、
聖ヨハネ大聖堂美術館が続いていた。
この美術館所蔵で最も有名なのはカラヴァッジョの傑作
「聖ヨハネの斬首」と「聖ヒエロニムス」である。
カラヴァッジョの美術史的な位置づけはどうやらレンブラントに
先駆けての劇的な光の使い方にあるようだ。
その絵の中心となる人物に舞台でスポットライトを
あてるかのように、絵画上でも光を駆使した最初の人らしい。
写真のない時代、画家たちが残す
数々の宗教画は聖書の言葉をよりいきいきと蘇らせる。
他にもこの美術館には歴代の騎士団長から寄贈されたタペストリーが
公開されている。
騎士団の時代のめまいがしそうなくらいまばゆい芸術品が
人間の審美眼というものが、もしや時代と共に曇ってきているのでは、
とおののかせる。
10月13日の体育の日、
私たち家族は上野の「フェルメール展」へ行ってきた。
美術鑑賞は自分のペースでユックリみたいので、
実は平日1人でこっそり行こうかと思っていたところ・・・・。
夫に「フェルメール展に行きたくない?」
と聞いてみたら「みたいよ、そりゃあ」という返事。
ならば、連休どこにも行かずに終わってしまうのもしゃくだから、と
上野の東京都美術館へと家族3人で向かったのだ。
お台場から約30分、ゆりかもめとJRにてたどり着いた。
六本木の2つの美術館(サントリーと国立新美術館)で
ピカソ展も始まったことだし、そんなに混んでないだろう!
というのが私の読みだった。
ところが、本当に混んでまして。予想は大はずれ!
フェルメールの絵の前で、1人あたりがそうね、
3分は立ち止まってまじまじと絵を見続けるので、
いったん列に加わると、15分くらいは絵の正面へと
たどり着くのに時間が取られてしまうのだ。
ところで、
娘と私の2人は丁度この夏、オランダでフェルメールの絵や
フェルメールが活動したデルフトという町を観てきたので、
その総復習のような案配であった。
ゆったりと、フェルメールの素晴らしさを脳裏からもう一度
引き出しつつ、新たにみるフェルメールに耽溺するつもりでいた。
が、実際つくづくと思い知ったことは
フェルメールの絵自体の素晴らしさ、というより
オランダで
心ゆくまで絵の前で佇むことのできたその体験が
いかに贅沢なことか、という置かれた状況に対する感慨だった。
【オランダのハーグ「マウスリッツ美術館」の周辺の様子。この美術館には
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が公開されていた】
「オランダで観た方がいいね」と言うと、
夫がにらみつけてくるので(きっと)、
「日本語の説明が丁寧にあって、
日本でみると分かりやすくていいよね」などと
気を遣ってのたまう私であった。
私たち家族は上野の「フェルメール展」へ行ってきた。
美術鑑賞は自分のペースでユックリみたいので、
実は平日1人でこっそり行こうかと思っていたところ・・・・。
夫に「フェルメール展に行きたくない?」
と聞いてみたら「みたいよ、そりゃあ」という返事。
ならば、連休どこにも行かずに終わってしまうのもしゃくだから、と
上野の東京都美術館へと家族3人で向かったのだ。
お台場から約30分、ゆりかもめとJRにてたどり着いた。
六本木の2つの美術館(サントリーと国立新美術館)で
ピカソ展も始まったことだし、そんなに混んでないだろう!
というのが私の読みだった。
ところが、本当に混んでまして。予想は大はずれ!
フェルメールの絵の前で、1人あたりがそうね、
3分は立ち止まってまじまじと絵を見続けるので、
いったん列に加わると、15分くらいは絵の正面へと
たどり着くのに時間が取られてしまうのだ。
ところで、
娘と私の2人は丁度この夏、オランダでフェルメールの絵や
フェルメールが活動したデルフトという町を観てきたので、
その総復習のような案配であった。
ゆったりと、フェルメールの素晴らしさを脳裏からもう一度
引き出しつつ、新たにみるフェルメールに耽溺するつもりでいた。
が、実際つくづくと思い知ったことは
フェルメールの絵自体の素晴らしさ、というより
オランダで
心ゆくまで絵の前で佇むことのできたその体験が
いかに贅沢なことか、という置かれた状況に対する感慨だった。
【オランダのハーグ「マウスリッツ美術館」の周辺の様子。この美術館には
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が公開されていた】
「オランダで観た方がいいね」と言うと、
夫がにらみつけてくるので(きっと)、
「日本語の説明が丁寧にあって、
日本でみると分かりやすくていいよね」などと
気を遣ってのたまう私であった。
大聖堂に入と、音声ガイドの貸し出しデスクがあるのね。
私はめんどくさくって、借りませんでした。
でも、こんな風にみんな聞きながら歩いているの。
借りた方が良かったかも! と後で大後悔。
中央祭壇に続く身廊。椅子は極めてシンプルな木製ですが、
その他の部分はぶっとびにきらびやかな装飾にみちみちておりました。
中央祭壇の様子。大理石でできた祭壇画がお分かりになるだろうか。
腰をかがめているのがイエス・キリストで
そのイエスに洗礼をさずけているのが、マルタ騎士団(ヨハネ騎士団)
の守護聖人とされるヨハネである。
後光の部分を本当に金で作ってあるよね。すごい。
色大理石を使って描かれた絵の豪華さは、床の部分にもいえることで、
本当に騎士団のお金持ち振りがうかがえました。
中央祭壇に続く身廊の両サイドにすばらしく
(私にいわせると恐ろしく)豪華な礼拝堂が8つあった。
それは騎士団を構成していた8つの国(地域)の
個別の礼拝堂で、なんだか競って豪華にしていた節がある。
いつの時代でも虚栄心を競いあうのが人間の本質なんでしょね。
でも、ここは神への賛美と礼拝の場所でしょ。
私は豪華にする必要なんてない気がするんだよね。
実際は権力の場であったにすぎないのかもね。