日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

怒りは身体を消耗させる

2012年12月31日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
ママ友からのライン上での個人攻撃からようやく一日が経った。

昨晩は怒りで眠れず、精神的にはもちろんのこと、実に体力を消耗した。その原因をつくった瀬田さんは、良く考えもせず、いつもの衝動的&感覚的なテンポだけはいい(実にそれこそが、ネットにはピッタリ)文でラインに思いの丈を発信したんだからすっきりしてサバサバ、そのことで傷ついて眠れなかった人間がいるなんて思いもしてないだろう。いい気なもんだな。そのラインでは「今から、大掃除」と最後をくくっていたので今頃、部屋はピカピカかしらん。私とはえらい差だ。う~ん、もうムカつきたくないのに、ムカつく~。いかんいかん!

悪い奴ほどよく眠る、て映画があったなあ。ふふ、眠れず怒りで身体が変になっている私、ていい奴じゃん?あ、違うか?!

まあ、怒りにかられたときは、スマホのアプリで英語のクイズをやるにかぎるね。怒りで神経が研ぎすまされているので、いつもより集中できたんである。よかった。テキストとノートでの勉強より、アプリでの方が寝転んでできるので、断然こういう時には便利なんだよね。特にリスニングや発音が大切な語学の勉強には、音付なアプリが多いので、単語の正確な発音も体感でき本当にありがたい。

しかし、私もまだまだ修行が足りないな。怒りで眠れないなんて~。
霊的な怒りでもあったんだけど、今は不思議と平安が戻ってきた。

時が、怒りも傷もなだめ癒してくれるもの。その時間も、何か集中できるものに使えると効果的だね。
いつもは嫌な資格のための勉強も今日は本当に救いだったよ。

目的を持ってそのために努力するのも、意外なことに精神的支えになるんだね。自己顕示欲の塊みたいな人間からくる嫌な波動は振り払い、前に進むしかなさそうだ。

よい波動で生きるためには、良い波動の自然や人間に接するか、少なくとも悪い波動から離れること、それしかないのかもしれない。
人間は自ら作る負の波動で、病気になってしまうのかもしれないね。疲れたら、わたしのところに来なさい、と聖書ではキリストが囁いてくれるわけで、それも本当にありがたい。

嫌なことも、何が大切なのかを知らせてくれる神からの祝福なのかもしれない。そう思って、明日はわたしも部屋をピカピカにしよう。

本当に怒りは身体を蝕む~。人を怒らせるのは相手の寿命を奪うことだ。心して、生きて行かなければなあ。

追加
自分がかなり怒り💢心頭だったことを知る。まあ、友人によるとなんで私が怒って離れていったのか、当人は分かってないらしい。ちゃんとその友人は「あなたがSNSでディスったからでしょ」と諭してくれたようだが。娘からもママってオトナゲナイ!と言われたっけ。が、心の平安を保つことは健康上でも大切だからね。距離を縮めたくない人間との付き合い方をつくづく考えるようになったんだよね、このことからさ。特別に思っていたから裏切られたように勝手に感じて傷つく。ならば、近寄り過ぎないようにしよう、て決意した。よっぽど安心😮‍💨出来ないと、そうそう近づかなくもなったなあ。

2022/10/22 記

ママ友との忘年会で政治を語る愚を思う

2012年12月29日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
昨日は久々に以前住んでいた世田谷時代のママ友達と飲んで楽しんだ。
簡単に言うと、忘年会!

メディアにもちょいちょい出ている「世田谷子どもを守る会」の代表を勤めている瀬田さん宅でママ友6人が集まった。楽しかった~。

が、3:11以降放射能汚染から子どもを守るという高尚で切実な活動を続けているその瀬田さんが、本日ラインにて「友達に自分の活動を否定されて落ち込んだ」というような、メッセージを発信したのでビックリしてしまった。

日頃、Twitterやfacebookでガンガン、原子力村批判や脱原発発言をしている彼女にとってラインで発言するなんてのは、おちゃのこさいさい。
「・・・・こども守る会の活動でクリスマスに70万円の募金をいただき、福島の養護施設に届けました。三角形のトップにいる皆様には分かりにくいかもしれないけど、底辺の弱者がますます困るような社会ではまずいと思うんだよね。1対99の構図。。。
政治家にお任せするだけじゃなくて、いつも市民は見てますよ、より良い仕事頼みます、と発信したいだけなんだよ。
世田谷の区政や区議会とは案外仲良くやっていて、市民の声でこれだけ変わるし、動くんだ!と実感してる。だから、友だちに否定的に言われるとへこんじゃう~💧」
(一部抜粋)とラインで主張してくるとは。
確かに彼女は立派である。
ただし、自分の活動成果を言わなきゃ(ラインで忘年会参加者全員に発信)気がおさまらない、その我の強さのほうがむしろ気になった。慈善事業はとかく売名行為に思われがち。だから、人しれずこっそり誰からの賞賛も求めずやるべきことなのである。せっかく立派な活動をしていても、人が親切心でアドバイスしたのを「否定」されたと勘違いして憤慨したり落ち込むとしたら、それは自分自身のために行動しているにすぎず、真からの慈善活動とは言えない。その「子どもを守る会」を通して「私は実はみんなに褒めてもらいたいの、すごいでしょ、私」と言っているように見えてしまうのもその自己顕示欲が全面にでてしまうからだ。まあ、区長から区議選出馬のお誘いもあるのよ、とまんざらじゃない感じで言うので、心配になったのだ。彼女は私と同じクリスチャンなので慈善活動も心からしているのだと思う。ただ、慈善活動や放射能から子どもを守るという活動が政治家になるための売名行為となれば、それはまさしく偽善でしかなくなってしまう。

つまり、彼女が子どものための活動を自分の(認められたい欲を満たす)ための活動イコール政治家になる、にすりかえてしまったら、それは権力欲や顕示欲に負けたことになりはしまいか?
本人はあくまでもそれを認めず、弱者擁護のため、人のため、と主張するだろうけど。テレビに出る(私の知り合いの編集者がシースルーのブラウスでテレビに出ていた彼女を批判していたなぁ)だとか、やれ寄付したとか、区長とは仲がいい、なんていちいちSNSを使って言わなければ尊敬されるのに。タレントじゃあるまいし、残念すぎる。有名になることをはしゃいでるように見えるから損なのだ。心配なのだ。

政治家(この場合保坂世田谷区長)が市民の味方だと世間にアピールする絶好のチャンスが「子どもを守る会」を応援することだったに違いない。震災後、放射能被害というのはニュース性が高く、マスコミが取り上げるにはかっこうのネタだった。そういう側面が、彼女のいうところの「市民の声」を通りやすくさせていた点は否めない。私には、純粋な母達の思いが政治的に利用されただけの茶番に見えた。だいたい放射能汚染の真の(真の、を強調)実態がどうなっているのかすらあやふやだ。風評被害で苦しめられた人々も多かろう。とにかく、市民活動が実を結んだと単純に思い込むそのナイーブさが心配で、友情からアドバイスしたつもりが・・・。なんと、翌日にはそのことが気に食わなかったのか、ラインで突然の悪者扱い。"自分は弱いものの味方だけど皆様は社会構造における三角形のトップだから(そんな慈悲もないでしょう、と皮肉りたかっのか)・・・と私の言った内容を独善的に飛躍させつつ、養護施設に献金するお金まで集めたのに! 否定的なこと言われてヒドイ、落ち込んだ~"と一方的に反撃されてしまった。そもそも、ラインにアップされた彼女の主張だけ見れば、「瀬田さん、なんて可哀想」てことになるよね。否定した側の人間は冷たいブルジョワ達かのように皮肉っているし。私は日本のヒエラルキー(三角形)の頂点(トップ)は天皇である、と言ったのよ。そもそも、その頂点にいる天皇は福島をご訪問なされたけど、「子どもを守る会」で福島へ慰問に行ったんかい! 行ってないはずだ。

「市民活動家出身の政治家は権力握ると独裁者になりがち。歴史がそれを証明している」と言ったのを「市民活動家は危ない」とラインでやけにはしょって書いてくるし。まさか自分を市民活動家と思っていて、将来独裁者になると言われたとでも、勘違いしたのだろうか? 他にももろもろ私の言ったことを歪曲した感じで並べあげ、前述の抜粋文に繋がっていた。文は「皆様」と始まるので一件参加者全員へのメッセージかと思いきや、内容は私への個人攻撃なのだ。アドバイスや意見を言ったのは私だけじゃないのに私の言った事だけ取り上げてあったんだもん。もはや、これって友達のすること? 私に直接電話なりでいうべきだ。恐るべしネットの申し子!勢いや感覚だけで、個人攻撃を発信しないで欲しいなぁ。それも攻撃された本人だけがすぐわかる狡猾なやり方でラインにアップするなんて‼
さらに、だ。私以外の参加者全員が、「美樹ちゃんのこと尊敬してる」とか「応援してる」とかラインで打っていて。彼女の落ち込んだ、というメッセージに反応してママ友たちがヨイショ、及び瀬田さんへの応援のメッセージを出してるんだよね。真面目に心配して、政治に巻き込まれないようにとアドバイスした私は完璧にピエロ、いや、瀬田さんを落ち込ませた悪人になってしまった。ホントに吐き気がしそう。まっ、活動に没頭する瀬田さんが家庭をギクシャクさせている感もあり、「よくやるよね~」という思いは個々のママ友が抱いている本音かもしれないが。アドバイスなど無駄だと知りつつも、友だちとして見捨てられないという思いからあえて苦言を呈したのに。思いやりがアダとなるなんて⁈

さらには、ラインに参加しているメンバー全員が参加するわけではない新年企画を、わざわざ出したりしてさ。誘われたって行かないけど、私のように誘われてない人間はラインを通して寂しい思いをするだろ! 周囲の友達にさえちょっとした思いやりが足りないのに、 ほんと、それでよく弱者のために「子どもの会」をやってるなどと言えるもんだ。

と、たかがライン上のやりとりでママ友の核心的本性が分かってしまうから恐い、恐い。

言ったもの勝ち、と無責任がはびこるネットの世界で、真偽などは判断しようがないね。(つまりこのブログも真偽は?てことだけど。私は大学でジャーナリズムのゼミを取ったので、虚偽は許せない)

瀬田さんからのラインを読んだ瞬間、
夏に家族でヨーロッパ旅行したり、そこそこ派手な生活をしているように見えるので、底辺の人々の苦しみが本当に分かるんかい~!
と揶揄したくなった。本来は謙遜して、「こういう活動ができるのも家族のおかげ、感謝よ。微力だけど、頑張る、分かってね~」くらいにしときゃいいものを。まっ、さらに反論しても聞く耳持たないだろうから「御礼と幸せを祈る」内容のみの返事をライン上に出しておいた。

瀬田美樹さんの活動の真価は今後10年くらいみないと、本当には分からない。消費者団体や市民の味方をことさらアピールする必要のない区長に変わった時が、正念場だ。引き返せなくなる前に、よく考えようね!と言いたいだけなんだけど。覚悟出来てるんかい?と。

とにもかくにも悔やまれるのは、忘年会で政治の話をしてしまったことだ。
それもこれも彼女が自分の顔写真が載った朝日新聞の囲み記事を嬉しそうに見せ「市議会選に子どもの会から候補者を出せ、と言われているの」と言ってきたり、「保坂区長とメールでやりとりするくらいだもん、すごいよね」などと彼女を持ち上げるママ友がいたりしたからだったのだが。

彼女がクリスチャンでなければ、ことさらアドバイスしなかったかもしれない。彼女が人や政治を動かせたことから湧き出たいっしゅの権力欲や名誉欲に絡め取られつつあるとしたら、それは聖書のみ言葉(下記参考)に確実に反する。それで心配になってしまうのだ。悪魔はその人間の内側にある欲を刺激して、聖書の言葉(神)から人間を引き離そうとする。破滅は自らが自らの欲に負けて起こるものだと思うから・・・

「見てもらおうとして人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときは、偽善者たちが人から褒められようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
施しをするときは、左手のすることを右手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイ6章1~4節)

ただ、その同じ聖書で、

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」とあるから
瀬田さんのことを「クリスチャンとしてどうのこうの」と先輩づらして言うつもりはない。裁きはしない。

ただただ忘年会で政治の話をしたことを、心より反省するばかりである。

あっ、私の2012年は占いで人間関係がボロボロ、と出たと兄から言われていたが、ほんとうだ。翌年まで残りわずか3日にして、こんなことが起こるとは。お酒の席で、政治と宗教の話はしない方が絶対にいいよね~、を来年の教訓としよう。友として瀬田さんを温かく見守れるほどの器ではないけど、遠くから物言わず心配している他なさそうだ。
「さらば、友よ。」
と自分の心がうなだれている。
愛がなければ、何事も意味がない。
私の姉妹愛(女性のクリスチャン同士は姉妹と呼びあう)も彼女には通じず・・・! ただそれは私に愛が足りなかったせいかもしれないのだ。

追記
この事件から10年経つがいまだに瀬田さんとは会ってない。友情というのは違いを認め合って尊重するものだが、ママ友の付き合いに友情を求めるのは難しい。違ったから離れた、というのが本当のところ。でも、そんな事が出来たことが私にとっては大きな岐路だった。意に沿わない事をしない日常は、会いたい人にしか会わない心地よさを生んだ。おとなげないが、大人になる必要ってある?






お台場のお散歩

2012年12月27日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
このきせつ、お台場はかなりいけている。

(デッキの上で撮影したら、人が通る度に揺れてブレブレ)
このようにくっきりとレインボーカラーに彩られたブリッジに出会える。

しかも、The Statue of Libertyも。
自由を高々と宣言しているかのように、輝いて見える。
そう、自由の女神、がお台場にも
海を背に立っているんである。



こんな、イルミネーションで記念撮影してみては?

お台場のマクドナルドでオール!

2012年12月24日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
オン歳52才で、徹夜とはシャレにならんぜ。

久々に勉強したくて
昨晩から英検1級の単語を延々と
辞書で引いていた。

いかに単語をしつこく調べられるかが、記憶に定着させるコツだと思う。
急がば回れ~、の精神で。
最低でも2種類の辞書で同じ単語を引いてみた。辞書のアプリ(iPad)だけで、12種以上はある。だから本当はひとつの単語をそれ全部に渡って調べてみたいところであるが。

その単語を使った例文をノートに写していくので、
時間的に無理。3種類の辞書で比べてみるくらいがせいぜいといったところだ。

類語辞典、英英辞典、英和辞典!
という感じでね。



朝の4時だというのに、
お台場のマックは徹夜組の人々で
賑わっている。

私の隣のカップルなんて、
ずーとお互いの仕事の話をしつつ、
私以上に粘っている。

女性は看護婦さんらしく、
今、ノロウィルスが流行っているだとか、病院の勤務条件が法律違反だとか、せつせつと語っている。

恋人未満な感じて、微笑ましい。
お互いに仕事の話をしては、
感心し合ってるよ。

若いっていいな。
2人を残して、私は家に帰るわけで、
歩いて15分で我が家なわけで、
とっとと帰ればよいものを
つい2人の話が面白くて
居座ってしまった?
いや、勉強に精を出してしまった~!

砂漠でサーモンフィッシング、という映画は?

2012年12月24日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
かれこれ、10日くらい前になるのだが、「砂漠でサーモンフィッシング」
という映画を観た。

主演はほら、「スターウォーズ」「ムーランルージュ」にも出ていた。英国俳優のイアン マクレガーだ。

英国人が、(確か)イエメンの釣り好きな大富豪の夢を実現するために奮闘努力する話である。まあ、タイトルで分かるように、イエメンの砂漠に鮭を放流して釣りを楽しめるようにする、というとてつもなく実現??????な夢に、鮭の専門家の主人公が巻き込まれ、どんどん本気になっていくというのが大筋。そのストーリーを縦軸に、恋愛や政治、民族間のすれ違い、宗教感などなかなか盛りだくさんな背景が織り交ぜられ、人間模様が重層的に描かれていた。何だか得した感のある映画なんである。ダークホース~!

主人公がそのプロジェクトの話を最初に 聞かされた時、彼はそんなこと
FEASIBLEじゃないと、主張する。
そして、スクリーン上にfeasibleという単語が浮き上がる。

そのおかげでfeasibleという単語が
半永久的に忘れられないものとなった。
これ、英検1級レベルかと思うんだけど?(実現可能な)という意味なんである。

何とか、英検1級合格をfeasibleにしたいよね。ウンウン。

みんな自分の夢をfeasibleだと信じて、この映画の主人公のように、自分の直感を信じて努力しようではありませんか!

自分自身が真から感動できれば、夢も恋も途端に輝き出し、人生が色めきはじめるんである。そして、見失っていた何かを取り戻せる。

この映画の主人公のように、
自分自身を感動させる瞬間に出会えたら、人生の大切なものを得ることもfeasibleなんだわん。うん、まず、
自分が感動出来なきゃ、夢は色づき始めないよん。

そう信じて、じぶんのインスティンクトに忠実でいたいよね。

え、何のこと?て。
ぜひ、映画を観て下され~。
映画を観るのは、feasibleざんしょ。



私立の大学付属高校の平常点。

2012年12月20日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
学校の成績に平常点というのがあるのをご存知だろうか?


私は愛知県の県立高校卒だが、
通信簿はあくまでも単純かつ明確にテストの点が全てであった。
まじめであろうと、おっちょこちょいであろうと、授業中静かであろうとうるさかろうとテストの点イコール成績表だった。備考欄に「授業中落ち着きがありません」て書かれる時はあってもね。

つまり、私の学生人生の中で平常点というのは無かったのに等しい。

が、娘の通う青山学院では平常点というのがあり、娘はそれがからっきし悪く、つまり授業中うるさいのを直さずテストの点自体がもっと下がってしまうと進級は出来ても大学への内部進学は危うくなるかも、なのだそうだ。警告というやつで、親切な先生に心から感謝する。

青学では、テストの点が学年トップだとしても、先生が平常点を悪く付ければ7か8になってしまうということだ。
これは残念だけど、授業中騒いでてトップを取れる実力があるなら受験してもっとランクが上な慶応とか早稲田とか受けるという選択も可能だろう。

ところが、娘はテストの点がイマイチで、授業中うるさいと、赤点ギリギリ手前の成績になってしまい、これは本当に命取りなのである。しかも、受験してランクが上の他大学に受かる可能性はゼロとまではいかなくても、限りなく可能性は低い。

さて、そこでそんなテストの点がイマイチな我が娘は呼び出しをくらってしまったのであるが、実に授業中のおしゃべりがひどく、かなり点を引かれているとのことだった。赤点は家庭科のひとつだけ、なんだけどね。






授業を妨害する娘への先生からの逆襲!おー、なんと恐ろしい~。いや、愛のムチ?

ちなみに主人に、「麻布学園には平常点て、あった?」と聞いたら「あるわっきゃないだろ」とのことで、体格の悪い生徒がフリにならないように体育だけには平常点があったそうだ。まあ、うーんと昔のことで、今は分からないわけだけど?

平常点というのは先生の主観なので、なんだか聞いててモヤモヤとしてしまうのだが、もし、青山学院大学に上がりたいなら娘の口を塞がせるしかない。しかも、娘の声は妙に響くのだそうだ。家庭科の先生のみならず、担任の先生もそうおっしゃった!

赤点は家庭科一つだったものの・・・!(くどいか、ひとつひとつ、て!)その家庭科も授業中うるさいことへの見せしめ赤点、というところらしい。テストの点はその手前ではあるものの、赤点をつけるほどではなかったとのことだった。(ひとつを強調するのは赤点が3つからが進級不可だったはずだからだ?)

ここで疑問。
授業中、スマホをいじって校則違反をしている生徒は見つからない限り平常点は引かれない。このような不公平が生じることが予想される、のではないか?

ま、どっちみちうるさいのはダメだけどね。

青山学院における平常点とやらが、宿題を提出していないかどうか、ということくらいのものと思っていたので、本日面談で先生から「授業中のおしゃべり減点」を指摘されて寝耳に水、であった。先生にとってはおしゃべりでうるさい生徒は害でしかなく(確かに!)、授業中に居眠りしてくれてた方がマシでありがたいそうだ。

授業をおしゃべりで楽しくしてくれる明るい生徒、あるいはおしゃべりさせてしまうほど退屈な授業とは思ってくれないわけなのだ💦😅

私は娘を青山学院に初等部から入れたことを、時折後悔してきたが、これにはアッパーブロウのごとく吹っ飛ばされた感がある。(もちろん、良かったと思ったこともある。) 要領よく生きること、先生に好かれること、そりゃ大切だけど。これからの世の中はますます結果が全てという厳しい競争時代へと加速するだろうことを思うと、何だかふに落ちない。テストの点という結果オンリーで先生の主観など入る余地はなくしてもらいたいな。本当はね。もちろん、校則違反はダメだけど。

それに、だ。娘の友人が「授業中静かにしていれば、テストで失敗しても赤点まではつかないよ」と娘にアドバイスしていたのを聞いて、要するに我が娘は要領が悪いわけね?と気づかされてしまったのだ。

しかし、何のためのテストなのか?
塾に通って頑張っている娘が、おしゃべりのために、友達より評価点が悪いわけで。オー、ノー‼ まあ、家庭科用のクラスは塾にはないが、、、

これはきっといい教訓になる。
「郷に入っては郷に従え」
それがどんなに不条理に思えても、この現実に対応していく他はないのである。実力主義とはほど遠い青学の美しき、キリスト教主義教育に脱帽!

かくも優しい、平常点というおバカさんへの救済処置は、我が娘には逆に作用する。

実力がなくても救ってくれるなら、要領よく生きた方が利口というものだ。
もちろん、ベストなのは実力も付け、要領もよくなることなのだが。

今日は52年間の人生の中で、
三番目くらいにショックな日であった。私立の校風は入ってみて分かる。
偏差値では測れない。肝に命じたまえ~。

郷に入っては郷に従え!
おしゃべりにはご注意あれ~、我が娘よ。
でもなんだか、「思いっきり勉強して他大学に出ちゃえば」、て言いたい衝動にかられてしまう。

少なくとも私だったら奮起して、
出ることを考えるだろうな~?

全ては娘が決めることなので、どうなるにせよ、更なる成長を祈るしかないのであるが。




親の私の方が娘よりショックを受けていることは明白だ。先生に嫌われても、逞しく生きていけよ~、我が娘。いや、嫌われたわけではない、愛のムチ、愛のムチ。愛よね、きっとキリスト教主義教育なんだし😣

親っになるって、気苦労が絶えないということなのね。


Oh! My God!!!!!!

2012年12月18日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
世の中の不幸は多分本当にささいなことから始まる、たぶん。
それはあくまでも主観なのではたから見たら、くそみたいなどうでもいいことだったりする。でも、どうでもいいことであればあるほど、実にその溝は深いのだ。他人から理解してもらえず、自分がまるでピエロにすらおもえてくる。

だから、ガンであるとか、破産したとか、失恋したとかわかりやすい不幸の方が考えようによっては扱い易いかもしれない。

私が今、落ち込んでいることなど、はたからみたらむしろ贅沢な悩みだろう。そう理解すればするほど私の心は鉛のように重くなる。

そう、娘が家庭科で赤点を取って、呼び出しをくらったことなど!
今、受験を目前にして睡眠を削って頑張っている受験生を持つ親に言わせたら、くそだ。しかも、家庭科で赤点を取るような娘が大学付属の高校に通っていて、ましてやその大学がMARCHと言われている難関大学だとすればなおさらだ。

大学への進学はよっぽどのアホでなければ確実なはずなのだが、そのよっぽどのアホなのかどうか、我が娘を冷徹に判断しなければいけないなんて。

これを不幸と呼びたい衝動を抑えながら、人からは、「受検がない」と羨ましがられる状況に甘受せよ、というのか。受検がない、わけではなく、受検が小学校で終わっただけなんだけどね。あのお受験にかけた(親の、いや、自分の)努力と時間とお金を無駄にしたくない、というエゴを捨てろというのか?
娘自身の能力だけを直視しなければと自分に言い聞かせるものの、自分が犠牲にした時間などへのもろもろの対価を求め、突き出てくるエゴに引き戻される。この葛藤は、まことにまことに深くて得たいがしれない。

ね、ほんとにどうでもいいことだったでしょ。それでもどうか誰か、いや、神様、そのへんで働いているアリンコさんでもいいから分かってほしいのです。

↗むすめは塾に通っておる。ほんと、ヤル気が全てよね。塾の問題じゃない。