日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

「世界旅行博」ーヨーロッパ鉄道

2007年09月24日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【ニューヨークのブース。カメラを向けると笑ってくれた】

さて、前回の続き。
「世界旅行博」での余韻、それは突如私に
「旅の鉄人」というところからメールが届くようになったことだ。
(ホームページを開くと、出てくる出てくる旅のお得な情報。
たとえば、ロスまでのエアが3万5千円だったり、ね)

どうも私は「デジカメを当てよう」というエサにつられ、
アンケートに答えてきたらしいのだ。

そこでもらった番号が抽選に当たれば、
デジカメゲットとなるはずだった。

まあ、当たるわけないのだろうが、
な、な、なんと8番違い。
おしくない?

さて世界旅行博はミス・グアムありの
ダンスショーありの、占いありの、マッサージありの、
となかなか盛りだくさんだった。

特にインドのブースはピンクの柱を立てて
微妙なかわいさ!



んな、感じで(上の写真)
若い女性が長蛇の列を作っていた。

なんで? インドが人気?
と思って列をたどっていくと、ちょっとイケメンのお兄さんが
女性の手を取ってなにやら神妙に話し込んでいる。

そう、占いコーナーに並ぶ女性の列だったのだ。
イケメンのインド人男性をまじまじと眺めて、一度その列に並びかけたが、
「やっぱ、そんな暇ないかあ」と諦めた。
インドのブースはその他にもマッサージコーナーまであって、
その心憎いサービスに吸い付けられるのか、人だかりができていた。
タダだったのだろうか? 気になった。並ぶのが面倒だし、
さんざん待ったあげく万が一タダじゃなかったら、
じゃ、やめます!といいづらいし、と
すぐインドブースを離れてしまう。

インドに行けば、心も体もイヤされる、というパーフォーマンスなんでしょか?

でも、他にも美味しい企画は盛りだくさんで、
JTBのブースでは英会話講座をやっていたし、
どっか他のブースではイタリア語講座をやっていた。
とりあえず、英会話講座の前で足をとめてへーえ、などと感心した。
感心したくせに覚えていないところがみそなのだが!

世界旅行博での目的は
「ヨーロッパ鉄道旅行を続けたい!」だったりもしたので、
レイル・ヨーロッパのブースには珍しく座り込んで話しを聞き入った。

前に書いたけれど、シャンパンが出てきたときは
酔い心地になった。というか本当に酔った。
一生忘れない。

さて、これまで、ユーレイルパスは旅行代理店を通してしか、
購入できなかったのが、ネットで直接購入出来るようになったのだとか。

すごいよね、ネットで何でも手配できる時代になったということだ。
もちろん、日本語対応ということなのだろう。
これで、代理店から手数料を取られずにすむね。

といっても私はいつもアメックスに頼むので、
手数料は取られないんだけど!
ネットで直の方が安いのは常識だよね。
今度ヨーロッパに行くときはネットで直接
ユーレイルパスを購入してみよう、と心に決めた私であった。

東京ビッグ・サイトの「世界地球博」に行くのは
なかなか楽しい、ということは確実。

パンフレットをもらいまくっていたら、
最終的に3つの大きな袋をもってヒイヒイ言っていた。
重いのなんのって。
そんな人は私だけではないらしく、
宅急便サービスまで出店であった。

ふと、宅急便で送ってしまいたい、という誘惑にかられたが、
歩いて20分、ゆりかもめで10分の距離で宅急便はないよね。
タクシーだよね、使うなら。

とにかく、我が家には今、各国の政府観光局からもらってきた、
パンフが「うふふ」と置かれている。
ひとつひとつ、読んでいくのがもっかの楽しみ!

旅行博ーヨーロッパ鉄道

2007年09月22日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

【これが昨日書いた、アラスカのブース。氷河がドーンと光っていました】

今日は、2007年秋の「世界旅行博」の様子とそこでゲットした情報を。

ヨーロッパ鉄道のブースに行った。

そこでは、2つのニュースがあった。
それは、余りにも有名なことかもしれないけれど、
①パリとストラスブールがTGVで結ばれ、
2時間20分で移動出来るようになったこと。

更にフランクフルトまでのびたという。

てことはフランクフルトまで直行便でいき、
スタラスブールを経由してパリまでの列車の旅を楽しみ、
最終地のパリを満喫してパリから日本に帰る、という
旅行が可能なわけね。

これはとても広がりのある話だと思い、嬉しくなった。

さらにこれも既に有名すぎることなのかもしれないが、
②ロンドン・パリ間を結ぶユーロスターにも嬉しいニュースがあった。
イギリス側の高速専用線の全線開通に伴い、ルートが変更。
セントパンクラス駅発着となったんだって。

それによって、時間も少し短縮されて、
ロンドンーパリ間が2時間20分、
ロンドンーブリュッセル間が2時間になったのだ。
ユーロスターはビデオを見させられたのですが(車窓の旅)、
クリスチャン・ラクロアによる斬新な色使いの車内が本当に印象的だったなあ。

これらのニュースもさることながら、
最も感動した点は、レイル・ヨーロッパのブースの椅子に腰掛けると
ビデオの上映前に、シャンパンサービスがあったことだ。

太っ腹だよね。


マルタ島での思い出ー犬

2007年09月09日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


「青の洞窟」に行く途中のお店の軒先にいた犬。
そう、マルタ島にも青の洞窟があった!
シシリア島にタルミオーナにも青の洞窟があったはず。

とにかく、「青の洞窟」とは光の屈折で
水面がいとも美しい青色に見える洞窟をさすのであった。
イタリアのカプリ島の「青の洞窟」が
日本では一番有名かも。
身をかがめてギリギリに入っていくあのスリル感がたまらない、
・・・のでカプリ島のものの方が若干ポイント高いかなあ。

でも、30分くらいの間にいつくもの洞窟をめぐる
マルタ島の「青の洞窟」はいろんなパターンの青を見られて
最高に幸せ!
自然がおりなすたゆまない色の変化に、
ただただ感動するばかりだった。

あ、犬くんもいい味出していて・・・・、
ご主人さまから「こら、家から出るな」
なんてどなられてました。



娘がECマルタ(マルタ島の英語学校)のサマーキャンプで
泊まっていたホテル近くの海で出会った犬たち。


---マルタ島の犬

2007年09月09日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


ヴァレッタ(マルタ島の首都で、世界遺産)のシティ・ゲートにいた犬。

写真を撮ろうとしたら、
「この子は絶対にかまないから、大丈夫」
と飼い主の女性が声をかけてくれた。




やはり、ヴァレッタで出会った犬。
ヴァレッタからスリーマへのフェリー乗り場近くの公園に散歩に来ていた。

眼下に見えたプールをさして、
「あのプールは海水なの?」と聞くと、
「そうだよ、君も入ったら?」
と答えてくれた。あ、犬ではなくて飼い主のおじさんがね。
「水着もってきてないんだもの、残念」と私がいうと、
「なんで、裸で泳げば?」
とジョークを飛ばしてくれたっけ。



マルタ島ー動物編・猫

2007年09月07日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


マルタ島のブジッバには
猫がごろごろいた。

ごろごろしていたのではなくて、ごろごろといた。
余りの多さに、びっくりしたが、全員、首輪なし。
どうもそんな野暮なことはしないらしい。
自由に生きているそのかんじはあっぱれだ。



大あくびしたと思ったら、
どこかに去っていってしまった。

思わずつられて私もあくびをしてしまった。
な、わけないか!




猫が他の猫の気配に気づいた瞬間。

私も突然違う猫が現れて、ゴロニャンとひっくりかえったのには驚いた。
わあ、かわいい!

ちょっと前の猫、君じゃま!
と思ってしまってごめんなさい。

どうやらマルタ島が猫にも住みやすいところであることは間違いない!

---マルタと猫

2007年09月07日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


猫がマルタにはいっぱいいた。何度もいうようで、申し訳ないが。
何度もいいたくなるほど、いた。


この猫はあまりにかわいいので、いつもギャラリーに囲まれていた。
ある時などは頭をなでられて、のどをならしていたし、
ある時は面倒くさそうに薄めをあけてポーズをとっていた。





この子にはひたすらストーカーをしてしまった。
といっても、ある一日のたった5分の間だけ。

まるで、ここでなら写真撮らせてあげてもいいわよ、
というかのように、光の差し込む場所に横たわってくれた。
でも、耳を後ろにそばだてて、
「もう、いやねえ」
と言う信号を出している。

すんません、ほんとに。



イムディーナで出会った猫。
ニャンだか、君ほどの猫にその後出会えなかったよ。

君だけは「私を写していいわよ」
と言ってくれたきがした・・・。

猫好きにはたまらない島、マルタ島!





8月24日、飛行機での過ごし方

2007年09月05日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
ヨーロッパそれは憧れ、でも。
そのあまりの遠さにほとんどの人は
簡単に行ける(と思っている)ハワイを選んでしまうのだろう。

でも、私は13時間という飛行時間をいたく気に入っている。

疲れていてうっかり寝てしまったとしても、
最低2本は映画を見られるからだ。

わが娘は飛行機に乗り込むやいやな、
プログラムを開いて、どんな映画があるかをまずチェックする。

それを一つずつ見ていくのが楽しくて仕方ないらしい。
私はようやく3本を見たにすぎないが、
「5本見たよ」と今回も平気でいう。
若い、て素晴らしい。

幼稚園児のときですら、
個人モニターは役に立った。
アニメとかの映像を目の前で流しておくだけでも、
こどもは見入ってくれるのでおとなしくなったからだ。

エコノミーで充分だが、個人モニターは必須だ。

もっと小さい赤ちゃんの場合、
母乳で育てていると俄然楽だと思う。
いちいちミルクを作る手間もなく、さっとお乳をあげられるから。

仕事に縛られていない専業主婦の立場を大いに活用して、
子どもに広い世界を見せるため、
子連れ旅行をいろいろしてきたが、
赤ちゃんのときは知り合いのいる町へ、というのが基準だった。
小学校3年あたりから、
知り合いがいなくても未知の場所に子どもと行けるようになった。

これは母子ともに成長している、という典型的な例だと思わない?

母であることで成長するわけよね。

親として楽なのは小学校3,4年での旅行だろう。
娘は小5なのでそれ以上大きい年齢とは比べられないが、
だんだん、小憎たらしくなってきてあつかいづらくなってはくる。
高学年になったら、サマースクールとかに入れて、
他の国のお子さんの中で、もまれて成長していただくのが
望ましいのかもしれない。

いずれにせよ、子育てはいつも試行錯誤。
頭で考えず、行動あるのみ、だ。
来年のバカンスに向けてすぐ始動するのであった。


成田に着くと夫が迎えに来てくれていた。
夫にドンベエ(死んでしまった愛犬)のことを矢継ぎばやに聞く。

「ゴメン、しばらくドンベエのことばかり聞いて
うっとおしいかもしれないけれど許してね」というと、
「いいよ、いくらうっとうしくても、1人でいるよりはいい、と思うから」
とパパ。

ゴメンね、お留守番。
でも、パパとママがチームで子育てをしている以上、
出来る方が出来ることをする。それが鉄則。
私はそう思っている。

いつか、夫が引退して私が仕事をして
夫に娘を海外に連れて行くのを任せる日もくるかもしれない。

人生、思うことが実現するのだから、
思うに任せて、いいことだけを思っていたい。

バカンスは人をおおらかにする、と思うのよね。
まあ、ある意味いい加減にする、ともいえるのだけど・・・。

バカンス計画のために雑誌を読んで、研究するのであった。

さて、今回の旅のまとめと娘のサマーキャンプでの様子(及び思わぬ効果や悪影響)をおいおいブログでご紹介するね!



---空港へ向かう

2007年09月05日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


ほー。杞憂に終わった。
フランクフルト空港に6時頃に着く列車は
バーデン・バーデンで乗ったときには
写真のようにすきすきだった。
(でも、空港に着く2駅前当たりから満席になった、本当に人気)

最後に大ドジをするかもしれない!
その自覚症状もあり、
周囲の人に聞く。
「あの、この列車はフランクフルト空港に行きますか?」と
すると、「そうだよ、でもここ一等車なんだけど」
と言われてしまった、また。

実にこれはほぼ3回め、いや4回め。

どうもわたしたち母子は一等車に乗る人間には見えないらしい。
これは成功なのか、失敗なのか。
貧乏に見えた方が危険度はへるからね。

ただ、ヨーロッパでは
もし、一流のホテルに泊まるならそれなり、に。
一等車にのるなら、やっぱりそれなりに、が正しい選択のような気がした。

余談だが、私はジル・サンダーというブランドが好きで、
今でこそ買わないが、
娘から「昔、ママ、ジル・サンダーを自由が丘のブティックでよく買ったよね、
あの頃のママはセレブだったよね」と言われてしまうほどだ。
まだ、幼稚園児だったのに、
そのブティックに行くと、アメやらクッキーやらを出してもらえるので
妙に覚えているらしい。

バーデン・バーデンのセレクトショップにも
ジル・サンダーの秋ものがショーウインドーを飾っていた。
「ママ、入っていいよ」
と娘に気を遣われて店にはいった。
(丁度ジル・サンダーのワンピースを着ていたしね)

夏物なら40%オフ。
ところがすべてサイズが40と私には大きいので助かった。
ジル・サンダーには理性が効かない私なのだ。
サイズがあったら、買ってしまったかもしれない。

実はそんな私だから
本店のあるフランクフルトを今回は避けたのだ。
今は娘の教育費だけであっぷあっぷなのに!
高い洋服など買ってられない。

いつか、ボロを着ていても
一等車に乗っても浮かないだけの人になりたい。

ボロを着なきゃいいって!
確かに。

ヨーロッパでは着ている洋服はしっかり記号として機能しているようだから。
その人の階級を表すものとして・・・。

さて、空港駅に着くとあり得ないことが起こった。
途中でエスカレータが止まったのだ。
また、見知らぬ善意の人に助けられ、大きなスーツケースを運んでいただけたが。
「ありがとう」というと
「いいエクソサイズになったよ」と切り返しの言葉もステキだった。






8月22日、ドイツにて一生忘れられない日になる

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

(きっと有名な彫刻家の作品に違いない。でも、知らぬが仏で娘もベンチに座り、
記念写真。数々のこういったカワイイ像がいろんなお店の外や中に置かれていて、
ユニークかつ面白かった。)

電話が鳴った。そりゃ、鳴るよね。
朝の7時、日本時間の午後2時に電話を下さい、
と言ってあったのだから。

緊張感が足りないかしら。
眠れない夜、といいながら、実はいつの間にか寝てしまっていた。
心を落ち着かせるために聞いていた「聴く聖書」が
連続再生のままで小さい音を出し続けていた。
ベットを出て、机の上のPCを止める元気もない。
そのまま寝そべった状態で、受話器をとる。
電話の主はシティ・バンクの「ナントカ調査室」の方。

私からカード紛失のいきさつをとっぷり聞こう、というわけ。
私としたら、スーといったらカーというような、
素早い対応で、「はい、それでは、ご安心下さい。出てこなかった200ユーロは
あなた様の口座に再びおもどしいたします」
と言ってほしかった。

でも、現実はとてもシビア。
まずは、私がどんな人間か(つまり詐欺とか、犯罪者とかではないか)
ということを含め、調査に入るという。
単純にキャッシュ・カードが飲み込まれただけなのに。

ただ、問題となったのはシティ・バンクのコンピュータ上では
私がお金を引き出したと記録されてしまっていることだ。

でも、私の手元には一銭もない。

私はとりあえず、怒りを飲み込み、いや、飲み込みきれず、
皮肉を言った。
「そちらにとっては、とるに足りない、預金額の少ない客なんでしょうが、
(でも、私がこの先、宝くじにあたないとは限らないでしょ!)
困った状況には変わりないんですよ。」
相手は老練なかんじの男性だった。怒りを消すのがうまい。
「いえいえそんなことないですよ、大切なお客様です」

結局、今朝、私がこちらの銀行とかけあわねばならず、
その結果を聞いた上での判断になるそうで・・・。状況は変わらなかった。
「シティ・バンクさんの方から、ドイツの(フォルクス・バンク)
銀行に問いあわることはできないのですか?」と
昨日さんざん聞いたことを、またしつこく聞いた。
すると、「規則でできないんです」と同じ答えが返ってくる。

さて、娘を起こし、朝食を食べ、
いざ、出陣!
いつもより、念入りにお化粧したし、
一番高そうに見える洋服を着た。
身につけるものはある意味、記号である。
この場合、相手には「ちゃんとした人でお金に困っているわけではない」
と思わせなければならない。

だから、
ドイツのプランド、ジル・サンダーの黒いワンピースに
プラダのナイロンバックを身につけた。

これらすべては、この旅行ではこの時初めて身につけた。

足下はいつもと同じビルケン・シュトックのサンダルにした。
というのも、ドイツ製のスグレモノだから、かえってモノの価値を知っている
人として好感度が上がる、と思ったのだ。


「こういうときはできるだけ、ちゃんとした格好をしなくてはいけないの、
あなたもちゃんと髪の毛を縛ってちょうだい」と娘に言うと、
すぐポニーテールにした。

8時半から始まる銀行に9時頃ついた。
本来は8時半に着きたかったが、何せ、現金がもうないので、
バスにもタクシーにも乗れず歩かなければならなかった。

昨日はぶらぶらお気楽に歩いたので、気にもならなかった距離が
今朝は俄然遠く感じられた。

汗がにじんでお化粧もくずれてしまった。

銀行に行くと、換金の係りが対応してくれた。
口ひげをはやし、威厳があって恰幅のいい中年の男性だった。
状況を話すと念入りにコンピュータをしらべ、
密封してあった封筒から私のシティ・カードを取り出した。

私の身元を示す、パスポートを提示して
さらに事情を話そうとすると、
人差し指を口にあて、「黙っていて」と合図を送ってくる。

再びコンピュータで念入りに検証を始めたのだった。
内心、気を散らしてゴメンね、と素直に思えたのも、
相手の態度がとても真摯な感じだったからだと思う。

さて、検証内容をプリントアウトしてそれを見ながら、
丁寧に説明してくれた。
「カードが機械から出てきたとき、カードをとらないと
引っ込んでしまうんだよ。カードをとらなきゃ、お金は出せないしね、カード
は15秒間でとらなければ、引っ込んでしまうから、気をつけて」という。
娘に気をとられて、カードを見逃してしまったのだろうか・・・・!

さて、やはり、
私のお金はドイツの銀行から受け取ることは出来なかった。
「我が銀行にはお金はいっさい入ってないんだよ。そもそも君のこのカードは
キャッシュ・カードじゃなくてクレジットカードだよ。
ほら、ここにVISAと出ているだろ?」とプリントアウト下ばかりの紙を
私の方に向けその箇所を指さした。

つまり、こういうことだった。
私のシティ・バンクの口座→VISA→フォルクス・バンク→VISA
という経路をたどって私のお金が、VISAのところに戻ったという。
「でも、私の銀行はもうトランザクションした、といいはるのよ」
というと、「実際はVISAに戻っているんだから、通常また君のところに
もどされるはずだよ」という。
「ほんとうに?」というと
「本当に」と安心させてくれた。
「そのプリントアウトしたもの下さらない?」と聞くと
「いろんな暗号が載っているから無理なんだよ、
通常は絶対かえってくるから大丈夫、念のために名刺をあげよう」
と親切にもその担当者は名刺を下さった。

「バーデン・バーデンを楽しんでね」と最後に明るく言われ、
「わかった、ありがとう」と返して、銀行をあとにした。

さて、カードが戻ってきたのだから成功といえそうだ。
シティ・バンクの人から、「お金はまず、もらえないでしょうが、
カードも返してもらえない場合もありますから」
とさんざん脅されていたのだ。

ただ、カードを返してもらう時、
パスポートのサインが漢字なのに、カードのサインはローマ字なので、
2つサインをするはめになったが・・・。
(しかも、パスポートのサインもシティーカードのサインも
慣れないサインで似せるのに困った。だから、
ドイツの人が、今書いたサインここの部分がカードのサインと違うよ、
と言ってきたらもうお手上げだった。
ありがとう、私を信じてくれて、と心から思った)

さて、あとはシティ・バンクの調査部の人からの電話を待つだけだった。

そして、調査部の人にこちらの銀行とのやりとりを包み隠さず話し、
「それだったら問題なさそうですね、さらに調査してすぐ返金できるかどうか
ご連絡します」と言われ、かなり返金への道は明るくなったようだった。

自分の銀行よりドイツの銀行の方がずっと親切な対応だった。
なんだか、複雑な心境だ。

200ユーロがこの先戻ってくるかははっきり分からないままだったが、
キャッシュ・カードが戻ってきたのだから、お金をおろせる。
バンザイ!

ただ、それには本人である私がもう一度、シティ・バンクの
カスタマーサービスに電話をして、
カードを有効にしてもらわなければいけなかった。一応止めてあったからね。

電話先で女性が
「一度紛失なさったのだから、暗唱番号をおかえになって下さい。
今からできますが・・・どうしますか」というので、
「今は海外にいるので、帰国したらすぐそうします」と言っておいた。

帰国して10日は経ったが、
まだ、暗証番号を変えていない。

もし、悪いことが起こるとしたら、
あの優しかった銀行員が悪いことをしたことになる。
あり得ないよね、そこまで疑うのは・・・・ちょっとぉ。

でも、一応、暗唱番号は変えておこう!


ところで、
万が一、カードが戻ってこなかった場合、だうしたかって?

他のカードでキャッシングをする必要があったが、
私は生憎どのカードにもキャッシング用の暗唱番号を持っていなかった。

つまり、キャッシングができなかった。本当に窮地に立たされていた。

が。娘には頼れる父親がいた。この旅行にはいないだけで・・・。
つまり、私の夫にSOSを送った。
そこで、娘を愛する夫がアメックスと交渉して、
(不測の事態ということで)
PIN codeを特別に設定してドイツからアメックスのカードで
キャッシングできるようにしておいてくれた。

夫にも報告しなければ、とすぐ電話を入れた。
「よかったよ、ところで、
アメックスとの交渉、すごく粘ったんだぞ」と夫。
うんうん、ありがとう。
交渉は本当に大変だったと思う、規則第一で、融通きかないもん。
でも、夫はいったいどうやって、交渉したのだろう、
その秘訣を今度習っておこう。
録音テープをもらいたいくらいだ。
持つべきモノは夫。
しかも、交渉術にたけた・・・!
改めて夫に感謝したのはいうまでもない。
もちろん、アメックスにもね。



(SUSHI SAMURAI : In Viktoiahaus Sophienstr.3 76530 ℡ 07221/393734 )

娘はこの件に関する一連のやり取りをずっと聞いてきて、
相当に反省したようだった。

昨日まで
「お金おろしたら、学校で使える洋服を買って」
などとねだっていたのに、とてもしおらしい。

戻ってきたカードでお金をおろすときも、
「もう絶対、手を出さない」と言って
極端すぎるほど後方に立ち、私がお金を引き出すのを待っていた。

実はこの時お金を引き出すのがどんなに恐かったか!
「また、飲み込まれたらどうしよう?」と思って手が震えた。
3万以上だと飲み込まれてしまったとき、
面倒くさい調査が入るのを知ったので、
150ユーロを指定した。(海外では画面上で
6パターンくらいの金額を提示してくるので、
その中から選ぶようになっている)

無事おろせた時の安堵感。
日頃何気なくやってきたことも、
実は本当にありがたいことなんだと思い知った。

さて、現金を手にして、すぐ考えたこと。
お腹がすいた→何か食べる
であった。

昨日、回転寿司を見つけたのでそこに向かう。
「ママ、ちゃんと日本人が作ってくれるのかなあ」
と心配する娘に、
「日本人じゃなかったらやめよう」
とこたえた。

マルタ島でとんでもないラーメンを食べてきたので、
そこは案外、譲れない部分。バーゼルでは日本人が握っていたし。

日本料理は日本人が作るのでなきゃ、と心から思う。

幸いなことに、店内には3人もの日本人がいた。
1人は板前で寿司を握り、
1人は母子の親子なのか、
レジのところで事務的なことをしている様子。

一番いそがしそうだったのは、
やけに愛想のいいウエイター(外人)のおじさんだった。

ここは日本人がオーナーかしら、とふと思った。

当然店内では日本語が飛び交った。
寿司職人が身の上話までしてくれたのだ。
波瀾万丈の彼の人生のその最大のものは
ドイツにまできたことだったのだろう。

そのドイツにまでくることになる、いきさつを語ってくれたのだ。
「自分が雇っていた人間の保証人になっちまってね・・・・・・」
と話し出した。

簡単に言えば
被保証人が作った借金(3億5千万円)をかた代わりすることになり、
自分が寿司やの職人兼オーナーとして築いた
すべての資産を売って返金したのだそうだ。
3億ものお金を30日の間に作って、返したのだという。
残りの5千万が本当に苦労の種だったのだとか。

自分で築いた財産を人のために売り、
さらにドイツにきて寿司を握っているなんて、
そのおじさんは60歳は過ぎて見えたので、本当に胸が痛んだ。
200ユーロが戻ってこようがこまいが、おじさんの陥った自体に比べれば
本当にちいっぽけなことだ。

おじさんの握ってくれる寿司を心より感謝して味わいながら食べた。

芸は身をたすく、というけれど、
オジサンは腕一本で生きていける。
財産は消えてしまうけど、オジサンの腕と粋な心はなくならない、
私はそのなくならないものを持っているおじさんがむしろ羨ましい。

「いいですね、その腕一本で海外でもやっていけるんですから」
と心から思って言った。
「いやあ、そうなんです。本当に寿司が握れてかったですよ」
という。
本当に苦労を知っている人は、本当に大切なものが何かを知っている。

「日本に帰るたびに、近くの小学校に行って、
ドイツのことや世界の話をさせてもらってるんですよ。
すると、子どもたち身を乗り出して聞いてくれる。
まだまだ日本も、子どもには期待できますね。
これからは語学ができなくちゃ、お嬢ちゃんがんばんなよ」

と娘にエールを送ってくれた。

娘がネギトロを何回も頼むので(予算上)ヒヤヒヤしたが、
「ちょっと、何で今朝銀行に行ったのかを忘れないでちょうだい」
と低い声と言うと、娘のオーダーの中心が
ネギトロからカッパ巻きに変わった。

ところで、簡単にカッパ巻きといっても
日本産のキュウリがなかなか手に入らない海外では
カッパ巻きを食べることも
ぜいたくなんだけどね。





---世界で最も美しいカジノへ #バーデン バーデン

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
少しほっとして、お腹も良くなると、
カラカラ浴場でくつろぎたいという願望が頭をもたげた。

でも、朝慌てて出たので、
水着まで用意できなかった。

「水着がなくてもいい、裸で入れる温泉があるけれど、
そこへ行ってみる?」
と娘にきくと、
「うん、はだかでもいいよ、行きたい」という。

さて、その「フリードリヒ浴場」は
カラカラ浴場の傍にあり、
すぐたどり着けた。
とても格式のある古い建物で
エントランスからしてカラカラのカジュアルさはまったくない。

ヨーロッパ屈指の豪華な浴場
ときいていたが、
気軽に子どもと一緒に入れるものだろうか・・・・?

疑問はすぐ浮かんだが、
入り口にはってあった情報
目を丸くした。

「今日は水曜よね、
あら、今日は混浴の日だわ。
男の人も一緒に裸で入るんだって」
と私が嫌そうに言うと、
「いやあだ、ママ、気持ち悪い」と娘。

これはまったく以心伝心だった。
自分のハダカも積極的に
見せたくはないが、
見知らぬ男の人のハダカとなれば、
もっともっと見たくない。

さて、
どうしても温泉に入りたくなったら、
ホテルに戻って、水着をとってくる、
それしかなさそうだ。

しばらくは、バーデン・バーデンの町を探索して楽しむことにした。




(カジノ近くの木陰のテラス)





(世界で最も美しいと言われているカジノ。Kurhaus und Casino http://www.lcasino-baden-baden.de )


---突然の訃報が届く

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


さて、続けて町の散策をする。
気になるお店を巡ってみることに。

お店めぐりといっても娘と一緒なので、”勉強道具でしょ、やっぱり!”
と文房具やさんに入る。

ドイツ製の性能がよさそうな文具が並ぶ。
お見事、どれもこれも日本では超高級品として売られているものばかり。

その中で目を引いたのが、このリボンだった。(上・写真)
シックなセンス!

ドイツの本屋さんでも本が沢山出ていて、
どうやら子どもたちに人気なのが
下の写真のFelixだった。


(これなんだろうと手にとってみたが、分からずに困っていたら、娘がやってきて
いとも簡単にナゾをとく。万華鏡のように覗いて遊ぶおもちゃだった。)


娘と2人でお店の商品を見ては品定めしていたら、
携帯電話が鳴った。

この携帯電話の番号を知っているのは
さっきのシティ・バンクの人か夫の2人しかいない。

どっちだろう、と思いながら携帯をとって、
ボタンを押したが、なれない操作で間違って切ってしまう。

でも、また、すぐ電話が鳴ったので、
急ぎの電話のようだわ、シティ・バンクかしら、
と思って今度はうまく通話を押すと、実は夫からだった。

何だか様子が変だ。
「どうしたの? 何かあったの?」

と聞いた。でも、それから夫が言ったことは
その時の私にはまったく予想もしていないことだった。
なんといっても、
ついさっき、ドンベエ(愛犬)のお土産を買ったばっかりだったし・・・。

私の顔が豹変したので、
娘はすぐ察しがついたようだった。

「ドンベエに何かあったの?ママ?」と聞いてきた。
夫によれば、つい20分前にドンベエが死んだのだという。
夫が会社から帰ってエサをあげ、
しばらく他のことをしていて、ふとドンベエを見たら、
もう息がなかったそうだ。

「苦しまずにいったのね?」
とそれだけは確認したかった。
「ああ、眠るように・・・、まだ、体は温かいよ」
夫の目の前に、まだ体温が残ったドンベエが横たわっている姿を
想像した。夫も辛いだろうが、私より冷静で助かった。
「日本はすごく暑くて遺体がすぐ痛むから、葬式を先にして、
焼却してもらうよ」という。
「パパ1人にそんなことさせて、ごめんね」というと、
夫は「お前たちが帰ってくるまで、もたせられなくてごめんな」という。

もたせるもどうも、ドンベエくんはたった一日(つまり死ぬ前日)
食欲が落ちたなあ、
と夫に思わせただけで、あっけなく突然息絶えてしまったのだ。
旅行中何度も「ドンベエ元気?」と聞くと、
「すごく元気だよ」と言われ続けていた。本当に急なことだったのだ。

ドンベエは私がマンハッタンに
住んでいたときに買った、特別な犬だった。
特別なのは2本足で歩くとか、新聞を口でくわえてご主人さまに
持ってくるとか、そんなことではない。
いわゆる単なる柴犬だ。

ただ、
私の命、とくに心の命を救ってくれた無二の存在だった。

娘が生まれてからも赤ちゃんだった娘が泣き出すと
私よりおろおろして心配そうなそぶりを見せた。
ドンベエは娘が大好きだった。

一年前から足腰が弱ってきて、
胴体を支えながら散歩が出来るリーシュを買い、
よろよろ歩くドンベエを支えながら散歩したものだ。
この一年間、どんどん衰えていくドンベエを見るのが辛くて、
泣きながら散歩してきたと言っていい。

押し車も買ってあった。

お台場の海浜公園を片手で押し車を押し、
もう一方の手でリーシュをもって散歩したものだ。
疲れてきたら、すぐ乗せてあげられるよう押し車は必ず必要だった。

足こそ弱っていても、
相変わらずがんこな性格でてこずったこともあったが。
(足腰が弱いのに行きたい所へ連れていってもらえるまで、粘って動かなくなる)
お台場の海浜公園をそんな風に散歩していると、
いろんな人が声をかけてきてくれた。

「がんばれよ、わんちゃん」という励ましが最も多かった。

「今、何歳? うちの子(犬)もこうだったわ、歳をとると、
どの犬もしょうがないのよね、もういないけれど・・・」と見知らぬ人から
自分の犬がどんな最後だったのかを聞かされることもしばしばだった。

この旅行に発つ朝も、
ドンベエを連れてお台場の浜辺を散歩した。
足はもう全然立てなくなっていたので、押し車に乗せ、
草のところで下に下ろしてあげただけだったが・・・。

それが、最後の散歩になり、最後に見たドンベエの姿となった。
その散歩の時、
いつもより切実にイエス・キリストに祈ったことを覚えている。
「この子(犬)が苦しまずに死ねますように、
あなたがこの子に一番ふさわしい時を選んで、
そのようにして下さいますから、感謝いたします」と。

8月22日の夜(日本時間)、
夫のいるときに静かに眠るように死んだと聞いたとき、
祈りは聞かれたのだと、すぐ思った。14歳と11ヶ月だった。

「今から教会に行くわよ」
と買い物を中断してすぐ教会に向かった。

教会に行ってひたすら泣き続けた。
娘も一緒になって教会でドンベエのために祈ってくれた。
「ごめんね、ありがとね・・・・」
泣き叫んでしまっていた。

そんな場所があったことを神に感謝しなければならいだろう。
私たちだけで、他にだれもいない教会だったのだから。(写真下)

ひとしきり泣いて、一端おさまるのだが、
また、ふとしたきっかけで涙がこぼれてしまう。

「ママ、涙はもう我慢して」と娘に言われた。
それもそうだ・・・。
娘にばれないで泣くしかない。
ホテルに水着を取りにいき、カラカラ浴場で泳ぐことにした。

水の中だったら、誰にも気づかれまい。

温泉は体を癒す所とばかり思っていたが、
心までケアしてくれるところだとはこの時まで知らなかった。







(カラカラ浴場の前にある、小さな教会。コンサートを知らせる看板が入り口に置かれていた。この教会は一生忘れられない教会となった。また、いつか訪れたい)




---バーデン・バーデンの夜

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


今日という日を一生忘れない。
2007年8月22日。

疲れてしまえば寝るだけだ。
そう思う先から、ドンベエ(犬)のことを考え始めてしまう。
カラカラ浴場界隈のカフェは多少、まだ賑わいがあったが。
レオボルト広場界隈はひっそりとしていた。

広場近くのトラム乗り場にたどり着く。
カードで現金をおろせてよかった。
もう現金がないからとトラムをあきらめて、
歩いて帰る必要もない。

「遅くまでなにやってんの」と
声をかけられて、ギクリとした。
お昼行ったお店でおすしを握っていたおじさんだった。
「お店はもう終わったんですか」
当たり前だ、さっきそのお店の前を通ったばかりである。
ひっそりとした店内を覗いたのだから。
「いやあ、疲れたよ。お嬢ちゃんもう眠いんじゃないの?」
とちょっと矛先がやばいぞ。
「カラカラ浴場に最後までいたんですよ、この子、泳ぐのが好きで」
いかにも娘が泳ぎたい、といったのだと主張する。

同じトラムに乗って、私たちが先に降りた。
この旅では一度あった人に偶然また会うことが多い。

私はトラムを降りてから、
おじさんのドイツでの検討をそっと祈った。
多分、60は過ぎているであろうその人の
昼間語ってくれた波瀾万丈の人生をもう一度思い出していた。

「あのおじさんの持っていた、ケースかっこよかったね」と
娘が無邪気に言う。
「そうね、おじさん、元々すごいお金持ちだったんだものね。
あれは、ゼロハリバートンというとっても高級なアタッシュケースなのよ」
と説明した。
人間は見た目でもないし、持っているモノでその人間を一概に判断はできない。
しかし、その人間が自由を与えられ、その自由の中で
自分で選んで身につけているものは、
その人がどんな人かを示す記号の役割をはたす。
私はおじさんの持っていたケースにかつてのプライドをのぞき見た気がした。

日々の生活は何を持ち、何を着て、どんなモノを食べ、どこへ行くか?
一瞬一瞬が選択の連続だ。

しかし、その選択をできるということが、
自分で選べるということが、
どれほど贅沢なことか・・・・。
どうしようもなくしなければならなくて
仕方なく行動することが、実際の日常では多いからだ。

旅をするたびに、
旅が与えてくれる自由な選択の連続を
果てしもなくありがたいことと感じてしまう。
そして、心より感謝する。

だから、自由のきく、
個人旅行の方が
苦労があっても、私は好きだ。

しかし、愛するものの死と向かい合えず、
今、バーデン・バーデンに立っていることが
決して正しいことではないことははっきりしていた。



「聴く聖書」が今晩も必要だ。
PCをあけ、また連続再生にして泣き続けた。
今度は本当に眠れぬ夜となった。

夜中に夫に電話をする。東京は丁度朝だ。
「ドンベエをお葬式場の持って行くとき、
ニューヨークでいつも散歩の時に着ていた、
私のダウンコートでくるんであげてくれない」
どうしてもそうお願いしたかったからだ。

「ダウンコートじゃこの暑い中、ドンベエも大変かもしれないけど・・。
あ、もうそんなこと感じないんだよね」
といいながら。

ロングのコートだからドンベエをすっぽりと包んであげることができるだろう。

この旅行中、娘の洋服にドンベエの毛がついていた。
「あ、ドンベエの毛だ」
と娘が言ったとき、
「きっと、ドンベエもその洋服と一緒に
付いてきているのかもね」
といったのを思い出す。

私の思いはそのロングコートに一杯積もっているから、
と、ドンベエにどうしても伝えたかった。

本当は、ドンベエにくっついて
ドンベエの行く死後の世界までお共したいくらいだ。

いつか、私が死んだとき、ドンベエに会えるように、
ドンベエのように文句も言わず(正確には言えないのだが)
ただ感謝して精一杯生きていきたい(最後まで歩こうとしたよね)、
とまじめに思っている。



---母子、コルマールを探索

2007年09月02日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


ずんずんずんずん、プチ・ベニスに向かって進む。

まずは水辺に出なければ・・・。

ずんずんずん!




ようやく、水辺にたどり着く。

ここで、また「プチ・ペニスはどっちですか」と
聞いてみた。

そして、またずんずんずん、と歩き出す。

娘が「ママ、お腹すいた、お寿司食べにいくんでしょ」
と聞いてくる。

「あなたも、歩きながら日本食のお店がないかしっかり見ていて、
入り口に日本人シェフへの表彰状が飾ってあるらしいのよ。
ね、分かった。見つけられたら、帰りに必ず寄るから」
と命令口調で返す。

何かミッションを与えると、張り切ってやるのが娘の性格(注:自分の興味のある場所に行くときだけだが)なので、
こういう時は、本当に助かる。

ときどき、お店を覗いては「違った」と言って帰ってくる。
のぞくまでもないだろ、というようなお店までも・・・。

ただ、油断できない、
寿司を出すお店、としか聞いてないので、
フレンチ・レストランであることも考えられた。




---コルマールの和食や

2007年09月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

(「Au Soleil Levant SARL SATO」 15,rue Berthe Molly 68000 COLMAR
℡03 89 24 48 55 fax 03 89 23 57 68 ) 

オーなんてこと、本当にあった。
マルタ島で知り合ったフランス人の
お姉さんの言うとおりだ。
店先にその店のシェフが
表彰された記事が貼られていた。

もちろん、日本人だ。
本格的な寿司を食べられる、食べられる!

期待がふくらむ。

店内に入ると、先客が一組いた。




8時台の列車に乗って帰るから、
えっと、1時間くらい
ゆっくりできるかな、
私は慎重に計算した。

時刻表をチェック! 
自分が乗る電車の時刻にマルを
つけてあるから、
ササッと見ればいいだけ!
さて、この時どうしてもう一度、
自分の能力を疑わなかったのかと、
あとあとで思うことになるのだが、
まさか、時刻表を間違って見るほどのバカじゃない、と信じていた。

さて、ウエイトレスさんは
東洋人だったが、
日本人ではなく、
英語もイマイチ通じなかった。

私の頭の中で寿司が踊っている。
ピーヒャラ、ピーヒャラ!
あんーんなに、寿司食べたい、
と主張したのだから
当然、娘もピーヒャラ、ピーヒャラと頭の中で寿司が踊っているはずだ。

ウエイトレスさんが来て、
「江戸前ずし」と私が頼むとすぐ、
娘が言った。
「カレーうどん!」

え、そんなメニューあるの、
と思ったと同時に、
「お寿司は食べないんだ」と聞くと、
「うん、ママのちょっとちょうだい」
ときた。

メニューを開くと同時に、
お寿司の写真に釘付けだった私は、
カレーうどん🍛の存在を
認知できなかった。

娘よ、割と冷静ではないか、
いや、私より、てことだけど💦😅

つくづく知った。
海外の和食レストランの柔軟な姿勢を。
表彰されるような寿司職人が
うどんまで出してくれる、
その柔軟な心意気?を。

7時を過ぎたあたりから、
店は満席になりその人気振りが伺えた。

日本人の男性が一人、店に入ってきて、
私たちの横を通るとき
「そうだよね、海外にいるとカレーうどん食べたくなるよねー」
と娘に声をかけていった。
娘が美味しそうに
ズルズルしていたからだろうか。
ちなみに、西欧ではうどんやそばですら
ズルズル食べるのはマナー違反なのだが。

お寿司は本格的なにぎり寿司だったが、
ネタが4種類ぐらいしかなかった。
でも、美味しいからよしとする。

さて、私たちにはもうひとつ
難問が残っていた。
駅までどうやって戻っていけば
いいのか検討つかない。
駅からプチトレインに乗ったものの(そのまま乗っていれば駅にまた戻れた)、
途中から降りてうろうろしている内に
駅と現在位置の関係が
全く分からなくなっていた。

お支払いと共に
英語の通じるお兄さんの方に
道順を聞いてみた。
「15分くらいで着くよ、まっすぐ行って・・・・・・」と
教えてくれたが、覚えられない。
結構何回も角を曲がる、あり得ない、
最初の角でまた人に聞こう、
と安易に思って店を出た。

これを甘い! と言う無かれ。
自分で地図を見て進むより、
人に聞いた方が急ぎの場合は
早いのだから。

すると、本当に偶然、駅の方へ向かっているご夫婦とはち会った。
フランス人らしいが、英語が通じた。
「あとはここをまっすぐ行けば駅だよ」
という地点まで、偶然向かう方面が一緒だったのだから、
運がいい!

本当に駅に着いたときは予定していた列車の発車まで
既に5分を切っていた。
ギリギリセーフ、と思って掲示板を見ると、
あれ、ない、ない、ない!
バーゼル行きの列車が・・・・。

うん、もう、フランスの時刻表って、いい加減なんだから!
とこの時はまだ、
真実を知らなかったのだ。
そう、真実。
実は私が時刻表を読み間違えていた、
という恐い真実。
【コルマール発は20:24が正しかったのだが、私は次の駅から発車する時刻20:45をコルマール発の時刻と思いこんでいた。つまり、一段間違えて時刻表に印をつけてしまっていた。トホホ・・・】

それからの親子2人の苦労をここで書くのは気が重い。
まず、駅員に聞く。
「今度のバーゼルまでの列車は何時?」と、聞かなくても
時刻表でわかったんだけどね。
「23時49分だよ、次の列車は」
ときっぱり。

やっぱり時刻表通りだ。
3時間弱も待たねばならない。
「駅で待っているの、て危険かしら?」
と聞くと、
「僕たちがいるし、危険なんてないよ」
と駅員。
ちなみにその駅員さん、
長い黒髪をうしろで束ね、
スラッとして、
とってもすてきな男性だった。
若くてね。
「あるいは、次の駅まで行ってしまうか、君が自分で決めろよ、
どっちにしても、バーゼルに帰れるよ」
と付け加えられた。

いい男から”君がチョイスするんだ”と言われると
いっぱしの大人の女(というか私、おばさん、なんだけど)
扱いされた感じで、
キリっと身が引き締まった。

で、私たちは次の駅にとりあえず
行くことにした。
そのままコルマールで待っているより
1時間は早く
バーゼルに着く列車に乗ることができた。
次の駅(Mulhouse)の方が
バーゼル行きの列車の種類が多い
ということなのだろう。
びっくりすることに、
バーゼルにはドイツ、フランス、スイスと3国の列車と3国の駅があったのだ。

こんなこと予想してはいなかったが、
(トホホ、時刻表を読み間違えるなんて)
ユーレイルパスだったので、
その都度切符を買う必要もなく、
ただ、列車を待つだけでよかったのは
不幸中の幸いだった。

バーゼルの駅に着いたのは
夜中の12時少し前。
トラムもまだ動いていて、助かった。

ま、途中、まったく違う方向に向かっていくのに気が付いて、
降りて引き戻したけどね。
ホテルまで5分もないところで
起こったことだけど、
夜中に暗い町を歩くのは冷や汗もん。

こういうとき妙に昔とったキネズカ(というかどうか?だけど)
が力量を発揮する。
マンハッタンで培ったんだけどね。
とにかく車道を歩く。歩道の隅は避け、
人目につく所を歩くのだ。

まだ、1,2件開いていた店もあり、
通りにぽつぽつ人が出ていた。

いい人とは限らないので、
本当に警戒しながら、
娘と早足で歩いた。

ただ、女の人が1人で歩いていて、
この町はそんなに危険じゃなさそうだ、
と思えたのは救いだった。

ホテルに着くと、
到着の日にお世話になった
女性からFAXが入っていた。
電話を夜の11時まで下さい、
という内容だったので、
あらま、と恐縮してしまった。
とっくに11時は過ぎている。
私からの電話がないので、
がっかりさせてしまったかもしれないし、
何より心配をかけてしまった
のかもしれなかった。

自分のミスだけに、情けない。情けない。
娘はというとあっという間に眠りについてしまった。

その寝顔を見て、
何だか親なのに
子どもに癒されているような気すらした。

何事もなくホテルに着けたことを
心から神に感謝したのはいうまでもない。










---ドイツの底力、薬局

2007年09月01日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

(駅を挟んで旧市街地と反対側にあった教会と芝生広場)



(旧市街に続くメイン通りにあった薬局のおじさんの推薦してくれたもの。娘の
打撲が劇的によくなった。手前は植物成分でできた塗り薬、自然の成分が効いた)





駅に着いてまずは、重たいスーツケースをなんとかして、
身軽にならなければ、らちがあかない。

目的地へ行く途中、他の駅を立ち寄ってぶらぶらする。
せっかくの鉄道の旅だもの、しかも、ユーレイルパスを持っているんだから。
いちいち、切符を買う必要もなくて便利なんだし、途中下車しちゃえ!

ただユーレイルパスも種類がある。
私はセレクトタイプを選んだので、
たった5日間しか使えないが、
その5日は自由に選べる。
セレクトタイプのものでなければ
連続した5日間の間乗り降り自由、ということ。

空港への移動も含めて、今回移動は4回必然的にある。
フランクフルト空港→ハイデルベルグ→バーゼル→バーデン・バーデン→空港
         1回      2回    3回        4回

だから、その移動の時に行きたい町をついでに見てしまうのが賢いというもの。
で、昨日ハイデルベルグ・ハウプト通りにあったDBのトラベル・オフィスで
こんな質問をした。
「ユーレイルパスを持っているので、ハイデルベルグからバーゼルまで
移動する時、ついでに立ち寄るのにお勧めないい町はどこ?」と。
すると、太っちょで、ぶっきら棒なおじさんがすぐ、
「フライブルグ」と都市の名前だけで、答えてくれた。

このオジサン機嫌悪いなあ、と私は思った。
というのも、丁度、電話で話しているときに私がおじさんのデスクの前に座った。
電話の相手の声が漏れ聞こえてきた。
ドイツ語なので内容はわからないが、女性の声で
「ガミガミガミガミ」といったトーンのしゃべり口調。
おじさんも、「バカヤロ、バカヤロ」といったトーンで
興奮して話していた。
電話を切るとき、よく映画で外人がやるしぐさ。
手を上にあげて顔をふる、をオジサンはした。
せりふをつけるとしたら、
「マイッタ、マイッタ、お手上げた!」であろうか。

ヤバイ、こんな機嫌の悪そうな時に・・・・、
と思ったが、相手もプロなんだから、
こっちには笑顔で気分を切り替えてくれるだろう、と思ったが。
面倒くさそうーに私に接している。

ヤな感じだが、私は続けた
「じゃ、そのフライブルグの駅には荷物預けるところある?」と。
「あるよ」というので、
「明日10時から12時くらいの間に立ちたいんだけど、列車の時刻表ある」というと
すばやく、キーボートを叩いて
「待ってろ、今、プリントアウトしてやっから」という。
待っている間にも電話がまた鳴り、電話で対応を始めた。
いやいや、人手不足?

プリントを受け取ると
フライブルグからバーゼルまでの列車の時刻表まで入っていた。
おじさん、態度悪いけど、仕事はできるのね、
とおじさんの配慮に感激した。

でも、おじさんが
「3ユーロ」とまたぶっきら棒に言ってきたので、呆然とした。
その妙なマで私がタダのサービスだと思っていたことを察したのか
「あのね、このサービスは3ユーロかかるんだよ、タダじゃないんだ」と
今度は丁寧に説明された。
ゴネたいところだが、3ユーロでごねるのも、
かっこわるいかあ、と思って素直にお金を渡す。

でも、ここが私の嫌らしいとことなんだけどね、
「あ、20日にバーゼルからバーデン・バーデンに移動するんだけど、
その時刻表もくれないかなあ」と
言ってみた。
おじさんはまた、ぶっきらぼうに「何時?」
と聞いてきたから「午後なら何時でも」と答えると、
また、おなじようにキーボートを操作してプリントアウトしてくれた。

でへ、どうせなら、めいっぱいサービスせい!
と3ユーロを払ったんだから、と追加要請をしたわけだ。

また、オジサンが電話の応対を始めなければ、
もうひとつほしい時刻表があったのだけど・・・・・。
ちょっと、電話の終わるのを待ってみたが、
長そうだったので、諦めて「サンキュウ」と言ってオフィスを出た。

さて、この事務所でもらった時刻表も駅(駅はタダ)でのと同じように
列車のプラットホームの表示まであるので本当にありがたかった。

・・・とこんないきさつで立ち寄ったのがここフライブルグだったのだ。


さて、荷物置き場はすぐ見つかった。
ところが、もし、私たちの前に同じように荷物を預けている人がいなかったら、
わたしたちはわけも分からず、途方に暮れてしまったに違いない。

お、おそろしく、ハイテクだったのだ。

コインを入れる→大きなロッカーの扉が開く→自分のスーツケースを入れる
→OKのボタンを押す→扉が閉まり、カードが出てくる

という手順。
3つしかないそのハイテクのオートロッカーのうち1つは故障中で、
たった2台しか使えない。

混雑してたら自分の番がくるまで待ち続けるのか、とぞっとした。
今回は幸いなことに私たちの前にひとファミリーいただけだった。

前の人がしたように、
それを何とか思い出しながらやるしかない。
”いざチャレンジ”とその未知なるロッカーと格闘した。

小さく見えたスペースも私の巨大なスーツケースが悠々入ってほっとした。
取り出すときに必要なカードを手に出来たとき(つまり預けられたとき)
何だか、国際レベルのハイテクに追いつけたようで、
嬉しくなった。ところで、今度東京駅のロッカーはどうなってるか
調べてみよう、と。


さあ、娘の後ろ向きなモードを解決すべく向かったのが薬局だった。
そして、薬局のオジサンの勧めるものを素直に購入した。
それが本当に功を奏して、娘の足は2日後に
完全復帰のごとく治ってしまったのだ。

その記念すべき薬と補助グッズが写真上から2番目のもの。
ついでに、ヴェルダ、も購入(私のスキンケアのため)。

写真の教会の近くにあった自然食品のお店で
パンやら石けんやらを買った。
そのお店のオーナーと思われるおじいちゃんが、
かわいいお孫さん(5歳くらい)に
レジをやらせてあげている(この頃の子どもは何でもしたがるもの)。
子どもが好きなおじいちゃんなのか、
娘に英語で声をかけてきてくれた。

それをきっかけに話をしていたら、
「大聖堂に行かなきゃここに来た意味ないよ、
すごく有名なんだよ。道教えてあげるから、行っておいで」
という。

どうやら、簡単に行けそうなことが分かった。
というのもさっき行った薬局の前の通りをまっすぐ行くだけなのだから。

じゃ、と娘と2人、行ってみることにしたのは言うまでもない。