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ぴあのぴあ~の うたのある生活

音楽、グリーグ、芸術、イタリア、北欧、旅…大好きなことを、ゆったり、気ままに書いています。

2006年7月スペイン旅行記 3/8日(昼食)

2006年08月11日 23時04分27秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
旧ユダヤ人街を少し歩いた後は、
この近くで昼食だ。

メニュー:

・ 白ワイン
・ パン
・ ガスパッチョ
・ タパス
・ 三色アイス

スペインの白ワインはドスンとこくのある辛口ワインだった。

ガスパッチョは、トマトベースの冷たい野菜スープ。
シェリービネガーが隠し味で
トッピングにトマト、ピーマン、たまねぎを浮かせる。
いろいろな書籍によると日本でも結構普及している食べ物らしい。
レシピも2006年8月のNHKラジオスペイン語講座のテキストに掲載されている。
けれども、私はそれを初めて口にした。
ほどよい酸味とさわやかなのどごし。
こういう暑い日には染み入る味だ。
しかもどんぶり一杯くらいのボリュームでいただけたので
これで大分お腹が満たされた。

タパスはいろいろな種類のものが皿に並べられた。
イワシのフライ、イカリング、クロケット(小さなコロッケ)、焼豚、サラダ
クロケットは、日本のコロッケよりも小粒の
見た目牡蠣フライのような大きさだが、中にひき肉がぎゅっと詰まっていて
とてもおいしい。

未だに、ガスパッチョもう一度飲みたいと
夢に出てくるほどの感動だった。

2006年7月スペイン旅行記 3/8日目(旧ユダヤ人街 花の小道)

2006年08月10日 01時21分51秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
空間音楽を堪能した後、メスキータを背に旧ユダヤ人街に入っていった。
ここはメスキータ出てすぐのところの路地を入っていく。

細い道の両側には赤いプラタナスの植木鉢が沢山飾られた
白壁の家が並び、道はまるで迷路のようだ。

その風景に、紺碧の空が加わると
どこをどう曲がっても絵本の世界のようで
目に写真機がついたままになってしまう。

ツアーの友人らも、ここぞとばかりに順番にポーズをとる。
このときのためにおめかしした服がその風景に映える。
みんなの笑顔、きっといつにない最高のものだろう。

2006年7月スペイン旅行記 3/8日目(メスキータ)

2006年08月09日 23時52分51秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
駅を降りた後、少しバスに乗って
メスキータの目の前を流れる
グアダルキビール川にかかるローマ橋の少し手前で降ろされた
既に40度超えているだろうか。ここと次の拠点セビリアが
スペインで最も暑い場所といわれる。
サングラスと帽子を身につけ歩きはじめた。

ローマ橋は紀元前1世紀に建造されたものだそうだが
その壁面には、見事な落書きが施されてしまっていて、只今工事中だ。
その下を流れるグアダルキビール川はかなり大きな川で
対岸にはイスラーム時代に要塞として建造されたカラオラの塔が見える。

橋を背に道路を渡るとまもなくメスキータの壁が見える。
壁には、イスラム支配時代に作られた入口の跡があり
枠の上部には、アラビア文字であしらわれた装飾が施されており
このあたりから、エキゾチックな雰囲気が漂ってくる。
トリホス通りの入口は工事中で、遺跡発掘を行っているらしい。

メスキータの入口を入るとオレンジの中庭に出る。
まるで炎天下の中のオアシスのようだ。
ここに植えられているオレンジは、直接口にするととても苦いので
食用ではなく、香料や、オレンジマーマレードの原料として
使われる。食用オレンジとの見分け方は
歯の付け根の部分。ここに双子の小さい葉がついているものが
苦いタイプだ。

デアネス門から中は円柱の森だ。
赤と白の縞模様の円柱がどこまでも連なる。
まるで心地よい音楽を聴いているようだ。
その円柱の上のほうを見上げると
キリスト教建築を代表とする、ゴシック・ルネサンス・バロック様式の
白い天井がある。

元々キリスト教の聖堂のあったところにモスクを建立し
その後またレコンキスタでキリスト教の治下に入り
モスクの上にキリスト教の聖堂を作ってしまうのだから驚きだ。
シチリアのパレルモにあるいくつかの教会
トルコ・イスタンブールのアヤ・ソフィアなど
イスラム教とキリスト教の建築様式が融合したものは
いくつか見たことがあるが、歴史の層を見るように折り重なる様式の変化を見ていると
あまりにものスケールの大きさに、思わず時を忘れて見入ってしまう。

おそらく元々のイスラム建築様式の善さを崩さず、且つ引き出すように
キリスト教の施設が施されているのだろうが
特に、イスラム建築が際立って美しい。
その中にいると
写真などの切抜きでは到底語りきれないような、数学的で音楽的なリズムに
吸い込まれそうになる。

2006年7月スペイン旅行記 3/8日目(スペイン新幹線AVE)

2006年08月04日 23時42分33秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
■ 本日の旅程

  天気:晴れ

  6:00起床 7:00ホテル発
  マドリード ⇒(スペイン新幹線AVE2等 約1時間50分)⇒ コルドバ

  コルドバにて:
   メスキータ ⇒ ユダヤ人街 花の小径

  コルドバ ⇒(バス約2時間)⇒ セビリア

  セビリアにて:
   世界遺産カテドラル ⇒ ヒラルダの塔 ⇒ スペイン広場
   サンタクルス街 ⇒ フラメンコショー



  今日はまだ、日が明けないうちから出発だ。
  朝食はお弁当を持たされた。

  私は列車の旅が大好きだ。今回選んだツアーは、交通手段をあの手この手と
  駆使して効率よくしかもゆったりとまわる構成になっているが、
  スペイン新幹線に乗ることが出来るのも選択の大きなポイントだった。

  ホテルから15分程度で無事にマドリッド アトーチャ駅に到着。
  アトーチャ駅は、昨日行ったソフィア王妃芸術センターの向かいに
  面している。
  中は、まるで熱帯植物園のよう。
  エスカレーターも階段式ではなく、なだらかな傾斜式になっており
  重たい荷物を持っての移動には大変助かる仕組みとなっている。

  まずは、スーツケースなど大型の荷物を預ける手続きがあり、
  チェックインまでに時間があるので、タバコ屋で切手を買ってくるのと
  お弁当を食べることになった。

  スペインの新幹線は、まるで、飛行機に乗るときのような手続きを経る。
  駅構内に入るときに、まず手荷物検査を受ける。 
  そして、行き先ごとにホームというか、ホーム改札口が限定されているので
  その改札口の前で待機、発車時刻近くになると開場となる。

  2等車だというが、映画も見ることは可能なのだ。
  その映画の音を拾うため、イアホーンが配られる。
  そして、乗り心地が快適だ。

  机の上には、AVEグッズのカタログが置いてあった。
  隣に、食堂車(バール)があり、そこでもAVEグッズが購入できるとのこと。

  約2時間弱の旅だが、車窓があまりにもつまらなく、
  しかもまぶしいので、車内の旅に出かけた。

  先発隊のツアーメンバの情報によるとAVEグッズは、陳列棚にあるものしか
  置いていないとのこと。その中には私の欲しいペンがなかった。
  そこで、スペイン語の練習がてら、バールの店員に聞いてみることにした。

  (AVEのカタログを見せながら)
  「この商品を買うことができますか?」
  たどたどしいスペイン語が彼らの興味をひいたようだ。
  「どこで降りる?セビリヤか、それともコルドバ?」
  「コルドバだ。できれば2本欲しいのだが」
  「ちょっと待ってて」
  とお姉さんは急いでAVEグッズの入った箱を奥から出してきて
  くまなく探した後、別の車両へ探しに行った。
  それでもなくて、もう一人の店員も動員して探してくれた。
  そして漸く1つ見つけ出してくれた。

  私の想像していたものとはちょっとイメージが違ったけれども
  とても嬉しくて、それを購入することにした。
  何より自分の会話を聞いてくれて、それが伝わったのが嬉しかった。

  その後、向かいに座っていたツアーメンバが、私に
  大きな絆創膏を下さった。
  今朝方手持ちのものでは、血が覆いつくせないかもしれないと
  不安だったので、とてもありがたく頂戴した。
  添乗員さんも、消毒液を分けて下さった。

  もうすぐ到着の時間になってきたので、トイレに行き
  その絆創膏に張り替えた。あと少しで血が唯一のズボンに
  にじむところだった。

  映画がクライマックスになってきたが
  予定より早く着いたので、私たちは新幹線を降りた。
  スペインでは、遅れると罰金が取られるらしく、
  到着は早めに着くらしい。       

2006年7月スペイン旅行記 2/8日目(本日のキーフレーズ)

2006年08月03日 23時53分50秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
現在約3カ国語を同時に勉強中の上、まだ独学始めてから2ヶ月経っていないので
正確でない内容もあるかもしれませんが
初めてのスペイン旅行で実際に役立ったフレーズをご紹介します。

また、後日スペイン語表記に修正しますので
カタカナと日本語訳を参考にご覧ください。

■ こんにちは/さようなら

・ ¡Hola!<オラ>(やあ)

・ Buenos dias. <ブエノスディアス>(おはようございます)
・ Buenas tardes.<ブエナスタルデス>(こんにちは)
・ Buenas noches.<ブエナスノチェス>(こんばんは/おやすみなさい)

 スペインに来たら、第一声はこれでしょう。
 レストランやバール、お店に入るとき、ホテルの中で
 この挨拶から始められると、後が違います。
 笑顔も忘れずに。

 下の3つは、ややかしこまったシーン、
 例えばホテルのロビーなどで要件を伝えたり、こちらから話を切り出すときには
 こちらを使ったほうが良いと思いますが
 ホテルでも¡Hola!で切り出されたことが多かったので
 言葉につまったら、とりあえず「オラ!」と言ってみましょう。

・Adios. <アディオース>(さようなら)

 まずは、お店に入るとき、「オラ!」、出るとき「アディオース」
 このセットができると、旅の空気にのることができます。

■ ありがとう/どういたしまして

・(Muchas)gracias. <(ムチャス)グラシアス>(ありがとう)
・ De nada. <デナーダ>(どういたしまして)

 「ありがとう」は知っている人も多いと思いますが
 「どういたしまして」は、いくつか言い回しがあるせいか
 意外と盲点なので、押さえておくとよいです。

■ すみません、えーっと…

・Perdon. <ペルドン>(すみません/失礼)
・Oyga,… <オイガ…>(えーっと、あのー)

 Perdonは呼びかける時、話を切り出すときのほか、軽くあやまるときにも使います。
 Oygaも話を切り出したり、相手の注意をひくときに使います。
 バールや売店は混んでいることも多く、ボーっとしていると後からの客に
 先を越されてしまうので、潔くこれで切り出しましょう。

■ ごめんなさい

・Lo siento (mucho). <ロシエント(ムチョ)>
(ごめんなさい/(大変)申し訳ございません)

 謝罪の意をこめるときは、こちら。
 「全然大丈夫」はNo pasa nada.<ノパサナダ>です。

■ はい/いいえ

・Si.<シ> (はい)
・No.<ノ> (いいえ)

 文章でQ&Aのやり取りにならないと、あまり使わないかもしれないが、
 一応ご参考まで。

■ お願いします

・ ~,por favor. <~,ポルファボール>

 これをつけると、丁寧になるし、名詞+por favorで注文が出来てしまうので
 便利だ。

 例:Una serveza,por favor.(ビール1本下さい)

■ 何かここの名物を薦めていただけますか?

・ ¿ Podria recomendarme algo tipico de aqui ?
 <ポドリアレコメンダルメアルゴティーピコデアキ>
 (何かここの名物を薦めていただけますか)

  1ヶ月ほど前のラジオイタリア語で習ったフレーズだが
  メニューで迷った時や、店員がいうことを聞かないときに便利だ。
  この日は、イタリア語で逃げてしまったが、覚えておきたい。

■ ~を持ってきてください

・ Traigame~. <トゥライガメ~>(~を持ってきてください)

  食べている途中で、フォークを下げられたので、言ってみたフレーズ。

  tenedor <テネドール>(フォーク)
  cuchillo<クチージョ>(ナイフ)
  plato <プラート>(皿)
  copa<コパ>(グラス)

■ お勘定をお願い致します

・ La cuenta, por favor. <ラクエンタポルファボール>

  これでフリータイムに食事ができますね。


とりあえず、初日はこれで乗り切れると思います。
ではまた。

2006年7月スペイン旅行記 2/8日目(夕暮フリータイム)

2006年08月02日 23時44分49秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
(続き)

破れたズボンをはきかえる。洗濯をしながらつなぐ予定だったので
2日目にして、残り1本のみとなる。
万一傷口から血が噴出したり、食事中にひどい染みをつけたりしたら大変だ。
Tシャツなら後で購入するのは簡単だが、こういうときのために、
ボトムスは最低3着は持参したほうがよさそうだ。
日本でもつかえるようなスカートやパンツが見つかるといいが…。

時間は19時30分。結構動いた気がするが、まだお腹が空かない。
レストランの空く時間にしてはまだ早すぎる。
足の具合は、傷口を気にしなければ充分歩ける状態だった。

そこで、少し散歩をすることにした。

ホテルはプリンシペ・ピオ駅のすぐ近くだったので、王宮の周りを散策し
その後、駅前をウィンドーショッピングしてからレストランを覗くことにした。

初めての自由行動で、駅前なので、それなりに人通りも多く、ヘンな人はいないかと
緊張したが、その空気にもじきになれた。

犬や子供がとても可愛い。
犬は日本のみたいにともすれば踏んでしまいそうな大きさのものはおらず
ほどよい大きさで、過度のお手入れはしていないけれども、放し飼いで、飼い主の周囲
を何となく気にしながら、でも自由に走り回っている。
子供は何と無邪気なことか。人形を入れた乳母車を持ってお使いごっこをしていたり
きちんと一人で風景に混じりながら、そしてどこかで母親にしっかり見守られながら遊んでいる。(同じ子供でも、自分にまとわりついてくるのはジプシーのスリなので、気をつけたい)

そんな中で王宮の前で写真を撮った。
バイレン通りとマヨール通りの交差点を少し右折すると、見晴らしがよくなっている。
そこで少しボーっとしてから、前より人通りが多くなった元の道を引き返す。

ピオ駅の前は、かなり大きなショッピングモールになっている。
何か面白いものがあれば、購入しようかとも思ったが
全く雑多な日用品ばかりで、イメージ的には新宿の地下街みたいな様子だったので
すぐに出た。

レストランは、そこを出たフロリダ通り沿いに何軒も連なる。味もそこそこ美味しいところだという。足を怪我しており、かなり体力を消耗していたので、なるべくホテルに
近いところで食べることにした。
一番ホテルよりのバールに添乗員さんと、ツアーのメンバーの姿を見つけ、
そこに入ることにした。

メニューは日本語で書いてあったので、それを指差し注文すると
わけのわからないスペイン語が帰ってきた。
そこに、添乗員さん登場。彼のスペイン語を訳してくださった。
そして、我々が彼女の友人だと紹介された。
その時初めて、添乗員さんがかなりスペイン語を話せることを知った。
どうやら、私達の希望しているメニューはおすすめではないらしく
違う皿を執拗に勧めていた。

私も結構疲れていたので、
「何がおすすめですか?」とイタリア語で返してやった。
すると、少々嫌な顔をしていたが、ジェスチャーでオススメの皿を
教えてくれた。

「マッシュルームの煮付け」…これってそんなに美味しいものなの?

でも、太鼓判を押されてしまったので、それを頼むことにした。

後で、添乗員さんに確認したところ、スペインは、特に街中のバールなどのような
お店だと殆ど英語が通じなくて、通じたとしても、スペイン語で話した場合と
そうでない場合とでは差があることを聞いた。
ましてやイタリア語は近隣諸国の同型語族であるものの
お互いさほどよいイメージを持っていないので、多少理解できても、イタリア語で
通されると怪訝な顔をされるという。
さらに、この店は、添乗員さんが顔見知りの店なので、対応が違うという。
内輪の絆が深い世界なので、ここでは合に従うことにした。

私達が頼んだものは、以下の通り。

・ビール
・ムール貝のサラダ
・イベリコ豚の生ハム
・マッシュルームの煮付け

ムール貝のサラダは付け合せだったが、たっぷりのムール貝とピーマン、たまねぎ、トマトの角切りを白ワインビネガーで味付けをしたさっぱり味のもの。
単純ながらもとてもすっきりしていて、暑さも吹き飛ぶ味だった。

イベリコ豚の生ハムはイタリアの生ハムとはまた異なり、コクガあってとても美味しい。
日本で食べると少々高いが、お皿一杯のハムを2人でさらえた。

最後に、おすすめのマッシュルーム。
一瞬ただ、マッシュルームが香辛料で煮てあるだけなのだが
一口食べて、そのうまさにびっくり。にんにくが効いているのか
マッシュルーム自体がおいしいのかわからないが、タパスらしい逸品だった。

添乗員さんのアドバイスに従い、ウェイターには片言ながらも出来る限りスペイン語で
伝えてあげた。そうすると、彼も段々調子に乗ってきた。

店を出たそのとき、22時をまわっていたが、まだ薄明るかったものの
突然町が薄暗くなった。
停電だ。

スペインでは、停電は良く起こるらしい。慌てずに待っていると数分で復旧する。
その当日は、結局2回も停電になった。1回目は、外から帰るときに起こったので
停電だとわかったが、部屋のシャワーを浴びえていた宿泊者の中には、驚きのあまり
タオル一枚で部屋から飛び出してきていた人もいたが、2回目は、私がシャワーを浴びていたときだった。その時は、前回学んだとおり、慌てずに復旧を待つことができた。
トイレの照明も、スイッチを入れてから数分で切れるようになっていることが多いので
照明が消えたら、あわてずに、スイッチを再度押そう。

ホテルで復旧を待っているうちに夜がふけた。
長い一日が漸く終わろうとしている。

2006年7月スペイン旅行記 2/8日目(トレド)

2006年08月01日 23時22分40秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
(続き)

昼食後はフリータイムだが、このツアーにはトレド観光が着いていないので
オプショナルツアーで周遊することにした。

マドリッドからトレドまでは車で40分程度の距離である。
途中、マンション群やジプシー小屋を通過した後は
しばらく何にもない風景が続く。

先にも話したが、スペインでは、防犯のため一軒家は殆どなく
マンションか隣家と壁が1枚でつながっている共同住宅となっている。
それでも、夏のバカンス中の空き巣件数は、マドリッドだけでも23,511件で
前年度比15%減なのだとか。

壁が薄くて、隣がうるさい場合は、欧州全般のルールとして
壁をコンコンと叩くのでOKだそうだ。
ただ、それを承知でも効果が出ないこともしばしあるらしいけれども。

トレドの街に着き、まずは旧市街が一望できる眺めの良い展望台へ。

摂氏40度…。

目の前のきれいな眺望を前に、気温が耳に入った。

スペインの夏は、14時~16時にかけて、気温が一気に上がる。
このような炎天下の中行動をすると、熱中症に見舞われることもあるせいなのか
殆どの勤務形態がこの時間帯を休みにするシエスタを採っている。
飲食店や専門店は、昼に一度シャッターを閉めてしまうのだ。

また、日出日入も日本と異なる。
日本では、この時期、日の出:4時半頃、日没:19時頃
であるが、
スペインでは、日の出:7時頃、日没:22時頃
なのだ。

だから、ライフスタイルやラッシュアワーも異なる。
ラッシュアワーは一日4回。
朝通勤時/シエスタ帰省時/シエスタ後通勤時/帰省時
都心での人の流れもそれに応じた時間だ。
夕食を出すレストランの営業時間も20~21時開店というところが多い。
だから、14時~16時の現地民の人通りも少なく、店もしまっている時間に
犯罪率が一度増えるのだ。

さてさて、話を目の前のトレドに戻すが、そんな熱帯の渦中に繰り出した。
サングラス、日焼け止め、帽子、ペットボトル
これらは必携である。

タホ川に抱かれるように茶褐色の旧市街が照り返す。
とても美しい光景。だが、よーく植物をみると、サボテンが多いし、とにかく乾燥
しているのが良くわかる。
過去に、夏のインドやパキスタン、サマルカンドなどの熱い地域を
訪れたことがあるが、多分40度の暑さの中にいる経験は初めてである。
しかも乾燥しているので、汗も出ない。暑い。
写真の中に自分を納めるエネルギーで全てを消化して、ふらふらになりながら
バスへ戻った。

旧市街へ入って、カテドラルを見学した。
ここは、スペインの主席大司教座がある大教会で、世界的にもバチカンの次くらいに
位の高い教会である。ゴシック建築で、夥しい彫刻やステンドグラスが荘厳さを
出している。

エル・グレコの絵画が数多く展示される「聖器室」では、彼の
画風の変遷を辿ることができる。

また、教会の内部には、墓があるが、ここは踏んだりまたいだりしても全く問題が
ないという。その墓の上を見ると帽子がつってあり、この帽子が墓に落ちると
魂が復活するのだという。

その他、イサベル女王の王冠などが見られる宝物室、中央祭壇や、観音様に良く似た
お顔のマリア様、スペイン・フランスの彫師の作風が面白い合唱団席の彫刻など
見所は尽きないが、個人的に一番気に入ったのは、天井画である。
以前、イタリアのパルマにも、コレッジョの天井画が見たくてはるばる旅してしまった
が、ここもいろいろな箇所に、素晴らしい天井画が施されている。

少しあるいて、サント・トメ教会へ向かう。
旧市街は迷路のようになっているので、マイペースで歩くことは禁じられているが
細い路地をくねくねと歩くのは、何故か懐に抱かれ、子供の頃の無邪気な気持ちを
かきたてられるようで、とても良いものだ。

サント・トメ教会は、世界3大名画の一つ、エル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」
のある教会だ。教会内には、黒人のマリアも祭ってあり、それらにお祈りをして
外に出た。

あとは、途中バールでお水を調達する機会があり、早速、スペイン語を使う機会が
やってきた。(本日のお役立ちフレーズは、後日投稿します)

元来た道を戻って、ゴールのアルカンタラ橋へ近づいた。
ここは、城壁と橋の入る写真スポットでもあったので、撮影を試みたが
どうも、このサボテンが印象深く、それをいれて撮りたくて、
ベストスポットを探していた。

橋を渡ったところがゴールだったが、ツアーのメンバは皆退散していたので
路を急いだ。途中、邪魔なところで写真を写しているアジアの人がいて
長いこと動こうとしないので、彼の背後の隙間を無理やり通り、その後、一気に
方向転換をして駆け出した。足場が、妙な石畳になっていて、足元が不安定になったのと
暑かったのともあり、思わずひざをついて転んでしまった。

とにかく急いでいたので、その後すぐに立ち上がってバスへ向かった。
どうも、ひざの辺りがビラビラ目に入ると思ったら、ズボンがボロボロに割けていた。
「あーやってしまった」と思いながらバスの中に戻る。

あまり痛くなかったので、しばらく放置していたところ
周りの人が心配しだしたので、念の為足を見た。
どう転んだのか、かなり肉が深くえぐれて大きな傷が出来ていた。
またしても「ああ、やってしまった」と思った。

ツアーの方々は本当に優しかった。
自分の命の水をティッシュに含ませて、何度も消毒を渡してくれた。
私は、自分の不注意で、その後、いろいろなことが崩れていくのに放心状態であったのに
気遣って飴をくれた人もいた。
私の友達は、解散場所を、マドリッドの町の中心街から、ホテルに変更すべく
交渉をし、薬の手配の方法を考えてくれた。
一人じゃなくて本当に良かったと思った。

宿に着いてから、ガイドがフロントに薬の手配をしてくださり
部屋に帰り、それで足を消毒し、持ち合わせのバンドエイドを貼った。
薬の名前はこちら。

AGUA OXIGENADA(オキシドール)
VETADINA(スペインの「赤ちん」のようなもの。黄色い容器に黒いキャップ)

もし、外で怪我をした場合は、Farmacia(薬局)に行けばどこでも売っている。

2006年7月スペイン旅行記 2/8日目(昼食)

2006年07月31日 00時16分01秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
(続き)
2大美術館鑑賞の後、免税店へ寄って、昼食となった。

■昼食メニュー■

・ ビール
・ ビーツの酢漬けの乗ったサラダ
・ パエリア
・ 3色のアイス

ツアーの場合、飲み物は別料金。
物にもよるが、大体2~3ユーロくらいでいただける。
暑くて乾いた土地でのキンキンに冷えたビール。それは格別に美味しい。

まずは、サラダ。大きなお皿にレタスとにんじんが
たんとのっていて、上にビーツの酢漬けが添えてあった。

私のテーブルのメンバーはビーツの酢漬けを皆知らなかったが
ロシア・北欧などでは御馴染みの食べ物。
これが1つのっているだけで、サラダを混ぜているうちにサラダボール中が赤くなる。
日本国内の輸入食品店では、何故かあまり置いていないが
私の大好物なので要チェック!
IKEAの広告をいろいろなところで見かけたので
スウェーデン物資の輸入もおそらくかなりされているはずと見た。

味付けはテーブルに備え付けのオリーブオイルとワインビネガーで
適当に配合する。
それまで、野菜という野菜を口にできなかったので、口が喜んでいた。

そして大皿のパエリア登場。
ウェイターがそこから取り分けてくれる。
各自に海老とムール貝が1つずつのっていた。
決して具沢山ではないけれども、おこげがおいしかった。
お米の大きさは、パエリア皿で炊いたせいもあるかもしれないが
日本のよりも少し粒が大きめだった。
(スペインでもお米は普通に売っているので、スペイン産のものだと思われる)

デザートは、バニラ・チョコレート・ストロベリーの3色アイス。
スーパーで売っており、ツーリストメニューではよくあるもの。

イタリアには、4回ほど渡航しているが
うち1回だけ添乗員付きツアーを利用したことがある。
そのときには、イタリアでこんなにまずい食事を出すレストランがあるのだと
思うくらい毎回ひどいメニューで、
最後は自分でバールに調達しにいって食べたくらいだったが、
このたびの初回ランチはツアーアレンジにしては、なかなか良かった。

2006年7月スペイン旅行記 2/8日目(マドリッドの美術館)

2006年07月28日 23時57分11秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
■本日の旅程

 7:30 起床
 スペイン広場 ⇒ プラド美術館 ⇒ ソフィア王妃芸術センター ⇒ 昼食 ⇒
 (以降フリー)
 トレド(OP) ⇒ (マドリッド)夕食 ⇒ (マドリッド泊)

 天気:晴れ

 ツアーの割には、起床時間が遅めの朝。
 でも、就寝時間が遅くて、飛行機疲れで、久しぶりに良く眠れなかった。
 室内は乾燥気味でカラカラだ。

 ホテルは4つ星だったものの、冷蔵庫がない。
 スペインの建築物は防犯のため
 一軒家は、裕福で警備員を雇える田舎に住む人でない限りは
 マンションか共同住宅である。
 そして、壁はわざと薄くなっており、隣の音がわりと筒抜けだ。

 朝食はコンチネンタルスタイルで、まともであったが
 菓子パンは甘めで、そうでないパンはとても固い。
 野菜がなく、コーヒーも薄かった。
 口の中は口内炎が出来始めた。

 スペイン最初の旅程。まずは、ホテル至近のスペイン広場。
 スペイン広場という名前の広場は、イタリア・スペインの主要な都市の
 中心的な広場にいくつかあるが、どれも特に統一した謂れがあるわけでは
 ないらしい。
 スペインの治安は欧州の中でも悪いほうで、とりわけマドリッドの治安は
 悪いと聞いていたので、貴重品は携帯せずの写真撮影。
 「ドン・キホーテ」の著者セルバンテスの没後300年時に建てられた
 彫像が立つ。

 次は、プラド美術館鑑賞。
 東京でも、ここからの出品は数多く、つい先日まで当該美術館をテーマに
 展覧会が催されていたほど、世界随一の絵画コレクションで有名である。
 特に、ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコのスペイン3大巨匠の傑作が見られるほか
 オランダ・フランス・ドイツ・イタリアなど中世ヨーロッパ絵画を幅広く
 見ることができる。
 さらにそれらの常設展のほか、特別展で「ピカソ展」が開催されており
 希望し、事前に整理券さえ手に入れておけば、これも鑑賞可能だという。
 但し、ツアーの鑑賞時間は1時間30分。これらを全て堪能することは
 不可能なので、テーマを絞っての鑑賞。我々は、3大巨匠の傑作とピカソ展を
 観ることにした。

 展示の順番で効率的に見るべく、まずはピカソ展から。
 ピカソは若い頃、プラド美術館に通い、スペインの様々な巨匠の絵を模写し
 さらに、大声を得てからも、巨匠達への挑戦も込めて、模写を試みている。
 現代絵画の巨匠ピカソの描く「ベラスケスのラス・メニーナスの模写」を片目に
 その横奥に広がる本物の「ラス・メニーナス」。場所はプラド美術館。
 スペインの懐の大きさを感じた瞬間だった。
 その他、ゴヤの描いた「裸のマハ」や、エル・グレコの描いた「胸に手を置く騎士」
 の模写と本物との比較があり、ここスペインならではのまたとない大きな企画に
 立会い、胸が一杯になった。

 エル・グレコの「胸に手を置く騎士」については、騎士の眼差しが
 真摯で背筋がまっすぐになるような気持ちになり、とても感銘を受けた。
 彼の描く宗教画は過去にも何枚も見たことがあるが、あまり自分自身揺り動かされる
 思いはなかったが、この絵はとても良い絵だと思った。

 数々の巨匠が書いた「ラス・メニーナス」の模写や、写真は見たことがあったが
 あの絵の本物がこれかと圧倒された。
 いろいろないわれのある絵であるが、一番目に付いたのは、大画面の右下の少女が
 犬の背中を蹴っているシーンであった。
 それを何度も何度も模写しているピカソの絵を後で見たときは、
 「やっぱり強烈だよね、これって…」と嬉しくなった。

 そんなこんなの間にも、時間は刻々と過ぎ、駆け足で見たものの
 ブリューゲルや、ティツィアーノ、ルーベンス、ファンダイク・
 カラバッジョ、ラトゥールなどの絵が、惜しげもなく
 しかも、飽きさせずに配されているところが素晴らしいと思った。
 一つの間にある絵の数がさほど多くなく、人込みも気にならない。
 建物の構図や、配置、間取りが、なんともみるのに丁度良くなっている。
 ピカソだけでなく、数多くの巨匠が、絵を学ぶためにここに何度も通って
 学んだというけれども、それがわかるような気がした。 
 
 ミュージアムグッズも充実している。が、スペインの会計は非常に遅いので
 集合時間の15分前には、レジ前に並んでいないと危険である。
 私もぎりぎり並んで、ガイドブックを購入した。

 1時間30分というのは、(日本では充分かもしれないが、スペインでは)
 全く少ない時間なので、後の傑作を背に潔く帰ることができた。

  
 次の目的地、ソフィア王妃芸術センターへ。鑑賞時間は「ゲルニカ」を含めて40分。
 ここには、ピカソの「ゲルニカ」がある。
 「ゲルニカ」そのものをガラスを通さず
 このスペインの地で、目の前で鑑賞できたこと、
 そして、その絵ができるまでのおびただしいデッサンを
 見ることができたのは、非常に有難いことだった。

 が、私は、出口直前にある、ダリのコレクションに感銘を受けた。
 日本でダリの絵を集中的に鑑賞できた機会というのは、
 自身の記憶上ではなかったと思った。
 何枚かは本物を見たことがあったが
 10枚以上の絵を一同に見たのは初めてだった。
 画集の上では、不思議で一見グロテスクに見えたものの
 スペインの陽の光の中で本物の澄んだ色彩を目にして
 実はとても繊細でロマンチストな人だったのではないかと
 大変ファンになった。
 今秋、上野で彼の回顧展が開かれるというので楽しみだ。 

2006年7月スペイン旅行記 1/8日目

2006年07月27日 01時28分52秒 | ・ 2006年 スペイン旅行記
■本日の旅程
 成田 (アリタリア航空)⇒ イタリアミラノ マルペンサ空港
 ⇒ スペインマドリッド空港 ⇒ マドリッド泊


成田空港に11時集合のゆったりコース。
天気 曇り。

H社のツアーに参加した。メンバー15名。
構成は新婚旅行組み2組、シングル1名、それ以外は皆友人または姉妹で参加だった。
年齢層は、予想だが、平均35歳くらいだろうか。比較的同年代の旅慣れくんが
揃ったという感だ。

ツアコンダクタは麗しき女性だが、かなりのベテランである。
しかも幸いにもスペイン語が堪能な方。
まず最初に彼女お手製のスペイン語単語集とスペイン事情について簡単に説明のある
資料を頂いた。

それによると、スペインは、英語が殆ど通じない国だという。
現地添乗員から聞いた話だが、スペイン人の、生涯の読書平均量は、何と5冊。
若者も含め、文字の分らない人が殆どのため、トイレの標示などは
文字ではなく全て絵で表現されている。

世界の共通語は英語だと思っている人は日本には多いが
欧米諸国に関しては、特にラテン系の国々では、特に関係諸国との間で
英語を習得するメリットよりも、他の欧州言語のほうが利用する頻度が
高い場合は、そちらを学ぶ率が高いという。
しかも、英語を学ぶ場合も、ブリティッシュイングリッシュであって
米語で話すと「随分アメリカなまりがひどいですね」と言われる。

時間がなかったので、万全な準備ではなかったものの
事前にスペイン語をかじり、「旅の指さし会話帳」を持ってきてよかったと思った。

飛行機の中で、ツアコンダクタの作った資料を読んだ。
旅行会話のポイントが凝縮されていて、自分の手持ちの資料の中では
これが一番とおもい、その資料に他の参考書から原語のスペルを拾って
友人と一緒に唱えた。

飛行機は揺れた。特に日本海を渡るまでは、食べ物がこぼれてしまうかと
思うほどだった。フライトの前から、「今日は梅雨前線と台風の影響で揺れる」
と再三のアナウンスがあったので、多少の覚悟はしていたものの
飛行機嫌いの私にとってはかなりこたえた。
約12時間の飛行中、一睡もできなかった。身体が緊張し、強張っていた。
備え付けの映画や音楽も鑑賞する気になれず、折に触れて
ただただスペイン語会話を口ずさんだ。

漸く、ミラノマルペンサに着いた。
ここで入国審査も行った。Buonaseraと笑顔で言ってみたが
無言でパスポートの中身もろくにみずにつき返される。

4年前にもここから旅を始め、ここで旅を終えた。
一人旅だったのにトランジット先の搭乗口で飛行機を待つ日本人が見当たらず
目を凝らして見つけた一家族に声をかけたあの場所。

その帰り、イタリア語の恩師が、出産で帰省していたが、日本に行くところで
偶然ばったりとそこで出くわした。

その前にも何度となく来たことがある馴染みの空港。
いろいろなところで、次々と昔のエピソードが頭によみがえる。

こんなところで、約1時間40分ほど放置されるようだ。
自由時間だといっても、椅子があれば、少しでも身体を休めたいのに
なかなか待合室の席が空かない。

待合室の隅で、人間ウォッチング。
こちらの女性は、今の日本人よりも、もっと下着っぽい薄着をしており
褐色の肌にキャミソール オンリー、胸の谷間もばっちり見せて、とても格好良かった。
肉付きのよいお腹がむっちり横からはみ出していても、ヘソだしルックで闊歩していた。
靴は皆サンダル。
スカートの色は、やはり日本と同じように、今年は「白」なんだなあと思いながら
見ていた。

漸く待ち時間を潰せたと、出発掲示板のところに向かった。
すると、スペイン人が、「私のフライトの時刻と搭乗口を教えて。目が見えないのよ」
と声をかけてきた。
早速会話のチャンス。それにしても、彼女は何故私に声をかけたのだろうか。
彼女の言うフライトナンバーに耳を傾けた。
…そうだ、私、数字もアルファベットも覚えていない…
そんな状況の時には、自分も目が見えなくなるものだ。
早々彼女に手を上げ、私達も搭乗口へと急いだ。

よくよく考えれば、いろいろな手段があったが
私の語学力なんて、所詮そんなものだ。

搭乗口へ行ってしばらく待ったが、一向にチェックインが始まらないので
数字とアルファベットの練習をした。
40分くらい経っただろうか、チェックインが始まったが、
「席は自由席となりました」とのこと。どうやらダブルブッキングがあったらしい。
パキスタンに行った時に、席が比較的空いていて、後から席を移動したことはあるが
そんなの初めてだ。前のほうの席を予約していた中国人は憤慨していた。

スチュワーデスのやる気のない救命道具の説明。
そして揺れも相変わらず。
機内食も摩訶不思議なものが挟んであるパニーノを出された。
普段あまり食べ物を残さない性質だが
こればかりはいただけなかった。

そんなこんなで漸くスペインの首都マドリッドに到着したのであった。ふうっ。
現地時間24:40。
そう、スペインは日本からの直行便がないのである。