中学か高校の遠足のとき初めて鎌倉を訪れて以来
何度もいろいろな人とこの町を歩いている。
高徳院の大仏を見上げたり、リュック背負って源氏山を散策したり、
凍えるような寒さの中初日の出を観たり
海水浴の後、大海原に打ちあがる花火を観たり。
だが、円覚寺に参るようになったのはそれほど昔ではない。
「鎌倉梅見めぐり」雑誌のそんな見出しが新鮮で
その中の円覚寺の写真に感銘を覚えてからだ。
鎌倉は小田急線と江ノ電で訪ねるものと勝手に思っていたものの
旅程を練り直してJRの北鎌倉駅から入るようにした。
北鎌倉駅を降りると、円覚寺の入り口へ導かれる。
「北鎌倉の玄関」の風格がそこには満ちている。
円覚寺の山門の前に立つと
いつも異次元へ足を踏み出すような感覚に襲われる。
ここをくぐると、静けさという静けさが凝縮され
その勢いで、背中がしゃんとし、目がよくなるような感じである。
太極拳の先生も言っていたが、鎌倉には良い気が流れているという。
良い気が流れているところにいくと自身も浄化され心正される。
精神を集中し、無心の世界を味わう。
ここでもうぐいすの鳴き声が響き渡り、道を足早にリスが横切る。
神社仏閣を前に静かに咲く梅の花。
まるで自然がうたをうたっているかのようだ。
何度もいろいろな人とこの町を歩いている。
高徳院の大仏を見上げたり、リュック背負って源氏山を散策したり、
凍えるような寒さの中初日の出を観たり
海水浴の後、大海原に打ちあがる花火を観たり。
だが、円覚寺に参るようになったのはそれほど昔ではない。
「鎌倉梅見めぐり」雑誌のそんな見出しが新鮮で
その中の円覚寺の写真に感銘を覚えてからだ。
鎌倉は小田急線と江ノ電で訪ねるものと勝手に思っていたものの
旅程を練り直してJRの北鎌倉駅から入るようにした。
北鎌倉駅を降りると、円覚寺の入り口へ導かれる。
「北鎌倉の玄関」の風格がそこには満ちている。
円覚寺の山門の前に立つと
いつも異次元へ足を踏み出すような感覚に襲われる。
ここをくぐると、静けさという静けさが凝縮され
その勢いで、背中がしゃんとし、目がよくなるような感じである。
太極拳の先生も言っていたが、鎌倉には良い気が流れているという。
良い気が流れているところにいくと自身も浄化され心正される。
精神を集中し、無心の世界を味わう。
ここでもうぐいすの鳴き声が響き渡り、道を足早にリスが横切る。
神社仏閣を前に静かに咲く梅の花。
まるで自然がうたをうたっているかのようだ。