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葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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「追憶 金澤輜重兵聯隊」本土防衛のための新作戦方針とその準備

2025年06月23日 | 憲法・平和・人権・防衛

本日は、80年前に沖縄戦が終結した「沖縄慰霊の日」である。

父は、石川県金沢市が本籍なので1937年~39年と1941年~43年第九師団輜重連隊の兵卒として軍務についたので、手元に「追憶 金澤輜重兵聯隊」がある。

第8節 本土決戦 「二、本土防衛のための新作戦方針とその準備」を読むと、「本土決戦の捨て石」であったことが明らかである。

大本営は、米軍の「飛び石作戦」でフィリピンの次は台湾だと思って軍事力を拡充してきました。

しかし、台湾は植民地だったので、戦後に中国に返還するだろう。

戦争が終わったら国共戦争が再発し、共産軍が勝利するとみたアメリカは、対中国対策として沖縄の占領を目指したと考えています。

ですから、北緯28度線(奄美大島は日本に返還)。北緯27度線から南を軍事境界線にしました。

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第九師団輜重連隊は、旧満州(中国東北部)から、沖縄の守備についた。

大本営の命令で、第九師団は台湾への抽出転用した。

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 帝国陸海軍作戦計画の大綱

 四周より迫り来る敵の重圧に対して、昭和20年初頭のわが国土(本土、朝鮮、南西諸島、台湾、小笠原群島を包括する地域)特に本州、四国、九州および朝鮮方面のわが防衛態勢はまことに塞心すへき状態に置かれていた。サイパン陥落以後本土の防衛強化が真剣に採り上げられたが、フィリピンの決戦に国軍の全力が傾注せられたことや、本土の持つ複雑な事情(国民の権利、義務との関係、生産食糧増産と動員との関係、その他)にはばまれて渋滞勝ちであった。
 沿岸防備の地域的重点は南九州と関東、豊橋、八戸平地に置かれていた。しかし沿岸陣地の構築は進まず、重点地域でさえも骨幹陣地の部が概成していたに過ぎなかった。その他の地域は単なる計画の域を出なかった。
 さらに緊急を要する防空態勢も同様寒心すべき状況にあった。北海道を除く本土方面防空戦力は、防空戦闘機約870機、高射砲1,200門を数えた。しかし兵器の性能も不十分で兵員の素質訓練も低下し、弾薬の不足等もあってその戦力が意の如く発揮されぬ状態であった。逼迫する戦局と薄弱な本土防衛態勢に対処するため、大本営は年頭以来討議を重ねていた。昭和20年初秋のころまでに本土において240万名に上る膨大な各種陸海軍部隊を動員し、さらに大陸方面からも多数の兵力、軍需品を本土に転用して、未曽有の大決戦準備を整えなければならなかった。しかも空襲は日々に激化しようとし、すでに海空勢力を失い、国力また急速に低下しつつある当時の情勢下に、これを完整することは真に至難のことであった。 このため、まず米軍の本土に対する進攻を遅滞させ、本土作戦準備に必要な時間の余裕を得ることが何より重要であった。以上の結果にもとづく新作戦計画の基本構想は、本土の外郭地帯の縦深作戦により、進攻米軍に対して出血、持久作戦を遂行しつつこの間本土の作戦準備を固め、本土において最終決戦を遂行せんとするにあった。そして東支那海周辺の作戦は沖繩諸島に重点をおいた。換言すれば、米軍が本土攻撃に先だち沖縄諸島にその進攻基地を推進しようとして来攻する戦機をとらえ、陸海空の総力を結集して、その輸送船団を洋上に攻撃し、基地地上軍の敢闘と相まって、米軍の戦力なかんずく人的戦力に大損害を与え、米軍の基地推進利用を阻止しつつ本土の決戦準備を早急に完成しようとするのが新作戦計画の構想であった。
 こうして作戦軍としての性格と組織が明確にされた。従来の東部、中部、西部軍司令部を廃し、作戦に専念する5個の軍司令部と別に5個の軍管区司令官とが併設された。朝鮮軍司令部も廃されて第17方面軍と朝鮮軍管区司令部が併置された。北海道もまた同様であった。台湾にはこれより先、第10方面軍司令部が設置されていた。
 方面軍司令官は作戦を、軍官区司令官は軍政を担当したが、両者は兼任で実質上は二位一体となっていた。
 このため大本営は主敵を米軍に徹底し対米主戦面を太平洋および東支那海方面と概定し、全国軍をこの方向に向かう如く指導した。すなわち従来対ソ、対重慶作戦を伝統的使命として来た朝鮮軍および支那派遣軍の主敵を米軍に転換させた。また南方軍は国土および中国大陸方面に向かう敵、主として米軍の進攻を控制し、全軍の作戦を容易ならしめる持久任務に切り換えられた。
 これによって支那派遣軍は戦備強化の重点を中南部中国、特に揚子下流地域に置き東西両正面に戦線を構成することとなた。朝鮮軍も作戦準備の重点を南鮮方面に転換した。
 内地防衛軍は作戦準備の重点を関東、九州および東海の三地方とし、これら地域と阪神地方の防空を重視することとなった。

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(了)

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