葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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「アナキズム」紙35号の巻頭論説「太田昌国・ウクライナ戦争の背後に、近代日本の戦争を透視する」に共感した

2023年01月29日 | 幸徳秋水・鶴彬

昨日参加した「菅野須賀子墓前祭」で「アナキズム」紙第34号と35号を購入しました。35号の巻頭論説「太田昌国・ウクライナ戦争の背後に、近代日本の戦争を透視する」に共感しました。会場でアナキズム紙を販売していた女性に名刺を渡して、「葵から菊へ」に転載することの承諾を得ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(文字起こし)

ウクライナ戦争の背後に、近代日本の戦争を透視する 太田昌国

 ウクライナ戦争の背後に、明治維新国家=近代日本のアジア侵略の過去を透視する――昨年私がウクライナ戦争について発言する中で心がけたのは、このことだった。もちろん、前者について論じるべきことは多々あるが、ここはその場ではない。ただ一点にのみ触れる。ウクライナ侵攻というプーチンの暴挙の原因は、ロシア社会においてソ連時代の総括がなされていないからだと私は捉える。端的に言えば、ボリシヱヴイキ支配下の「犯罪」を裁く特別法廷が開かれていない。共産党一党支配下で飢饉、大量虐殺と粛清、強制収容所群島化など、<類的共同社会>の建設という美しい夢とは対極にある現実が多々生み出されたことを自ら審判にかけることをロシア社会は怠ってきた。自らが信奉する「正羲」のためにはどんな暴力を揮っても正当化されるという、ソ連時代から地続きで社会に漲る確信が、この不条理な戦争を支えている。主導者が、反共産主義者=プーチンであるとしても。
 だが、他者に対してこう問うことは、ただちに我が身に舞い戻ってくる。近代日本が関わった戦争の時代を1894年の日清戦争から1945年の敗戦までの期間と捉えて、「50年戦争」と規定すべきだと私は考えている。その期間に日本軍が行なったことを大まかに年代順に列挙してみる――植民地のための周辺大国との戦争、植民地化する対象国民衆への弾圧、植民地化とそれに伴う強権的諸政策、軍事同盟に基づく世界大戦への参戦と敗戦国からの領土獲得、革命への干渉戦争、独立闘争鎮圧、大震災に乗じての朝鮮人大量虐殺、中国侵略と占領地での傀儡国家の創設、真珠湾やマレー半島での奇襲占領した各地での軍政統治・・・。そしてこれらを遂行する上での虐殺、暴行、拷問、性的暴行、虐待、無差別爆撃、強制連行、民間人殺傷、人体実験、略奪、細菌戦の展開・・・その罪業表に限りはない。他人事のように語られている「ウクラィナ」の悲劇の多くは、実はこの国が、百数十年前から80年近く前まで、広くアジア太平洋地域で国家意志に基づいて繰り広げていた所業と重なり合うことを知る。
  戦後の残滓
 愚行に愚行を重ねた挙げ句に1945年に迎えた敗戦が、これらの過去に関わる内省謝罪補償相互理解和解のための出発点を画す契機になったのであるならば、せめてものことではあった。だが、私たちの祖父母や父母が中堅層をなしていたあの時代には、周知のように、真逆のことがこの国では起こった。勝戦国側が開いた東京裁判で、僅かな数の軍人と政治家が戦争實任を問われ、7人が処刑された。だが、この社会の内部から、然るべき者の責任を問う声は上がらず、翼賛し加担した己の在り方を顧みる態度を示した者も極端に少なかった。民衆法廷が開かれないままに、「昭和」天皇裕仁に至っては、占領軍のマッカーサー最髙司令官との幾度もの会談を通して、自らの戦争責任を痛覚することもなく、沖縄を恒久的に米軍支配下に置く言質を与えた。そして敗戦から30年後の1975年には、記者会見で戦争責任について問われ、「そういう言葉のアヤについては、文学方面をよく研究していなので、よくわからず、答えかねるJ(大意)とまで語った。
 敗戦直後のこの出発点が、今や78年もの時を刻みつつある<敗戦後史>を規定した。やがて中堅層となった私たちの世代も、この趨勢を覆すことはできなかった。その間に、戦前の汚辱に満ち溢れた自国の歴史の記憧を消し、別なものに置き換える詐術が堂々と罷り通る時代が来た。A級戦犯被疑者とされつつも不起訴となり、東京裁判に付されることを免れた挙げ句米国CIAの工作員となった岸信介と、その孫・安倍晋三が敗戦後の政治・社会史において担った役割を振り返れば、私たちの社会を貫く、虚偽・不公正・欺瞞・厚顔・無恥・偽善・・・の構造が明らかになるだろう。現政権が独断で強行しつつある「安保3文書」路線は、その延長上にある。
    民族犯罪と権力犯罪を撃て
    今年9月、とうとう百年目を迎える1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺のことを考えてみる。日本では、六千人を超える朝鮮人が虐殺された事態が、日本人社会主義者・労働運動活動家10人が殺された亀戸事件やアナキスト・大杉栄とその縁者2人が殺された事件とが併記される記述が多い。私自身も10年ほど前までは、それを読み過ごしてきた。だが、在日史家・姜徳相氏の著書『関東大震災虐殺の記憶』(青丘文化社、2003年)を読み、官民挙げての民族犯罪と、自国内部での権力犯罪とを区別しない歴史観の重大な過ちに気づいた。いい加減ではあるがどこか憎めない点もあるギロチン社の若者たちが死せる大杉栄に対して持つ敬慕の念を理解しつつも、知らぬはずはない朝鮮人虐殺の事実については関心を寄せていないらしいことに苛立ちを感じるよぅになった。
 問題は、絶大な権力を誇示して行使する側にのみあるのでばない。これとたたかい、権力なき<類的共同社会>を志向する者たちもまた、革新すべき問題を多々抱えているのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(了)

 

 

 

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