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平和と歴史への責任 いま北東アジアで⑦ 「京都大学永原陽子教授の論説」

2019年01月11日 | 韓国・北朝鮮問題
しんぶん赤旗連載「平和と歴史への責任 いま北東アジアで⑦」文字起こし



「植民地支配責任」の攻防 

 21世紀に入り、欧米によるアジア・アフリカの植民地支配の責任を問い直す流れが世界で起こっています。

衝撃二つ

 「21世紀の最初の年の衝撃は大きかった」。京都大学の永原陽子教授(歴史学)はこう指摘します。アフリカのナミビアの市民が2001年、1904年に起きたドイツ軍による民衆の大量虐殺を告発し、賠償を求めて米国の裁判所に提訴しました。1904年は日本とロシアが朝鮮半島の支配をめぐり戦争(日露戦争)を始めた年です。
 帝政ドイツは当時ナミビアを保護領としていましたが、民衆反乱に初めて陸軍を派兵し徹底弾圧しました。100年前の事件であり当事者性の問題などで裁判は成立しませんでした。しかし「ユダヤ人には賠償したのに黒人には賠償しないのか」という主張はドイツで強いインパクトを持ちました。
 2001年に起きたもう一つの衝撃は、国連主催で南アフリカのダーバンで開かれた「反人種主義・差別撤廃世界会議」でした。そこで、奴隷制と人種差別はもちろん、植民地支配は罪なのか、償われるべきではないかという問題が提起されたのです。
 その後、イギリスによるケニアの「マウマウ」土地解放運動への弾圧(1950年代)、オランダのインドネシアにおける虐殺(1947年)が告発され、原告が勝利和解、勝訴しています。
 「イギリスでは訴訟が提起され、研究者が資料を探求する。すると政府が『ない』としてきた資料がごっそり出て、資料を『抹殺せよ』と政府が指示した資料まで出てくる。それで政府も責任がないとは言えなくなった」と永原氏は語ります。冷戦後、被害を受けた側が声をあげ、西欧の市民社会が呼応する中での変化です。ドイツでも研究が進み、「ナミビアの虐殺はジェノサイド(大量虐殺)だ」という理解が広がると、メルケル首相も公式謝罪の意向を示しました。

甘くない

 他方、永原氏は「植民地支配の責任を問う流れが一方向で進んでいるかというと甘くはない。旧宗主国にとって最も恐れる問題であり、反発が強まっている」と、指摘。イギリスもケニア側の主張を「これ以上は認めない」という姿勢を強め、「ダーバン会議」がイスラエルのパレスチナ軍事占領を批判したことを「反ユダヤ主義」だとして、植民地主義を批判した同会議の成果そのものを否定する国々も出ているといいます。
 永原氏は「植民地時代の罪・犯罪性をどうするかは世界の決定的な対立点の一つであり、被害者の要求を認めざるを得ない」方で、巻き返しも強くなりかつてより激しく攻防している」と述べます。
、日本の朝鮮半島に対する植民地支配の責任を明確にするたたかいも世界的せめぎ合いの中にあります。
      (おわり)
 この連載は栗原千鶴(外信部)、中川亮、中祖寅一、日限広志(政治部)が担当しました
、◆関連インタビュー㊥面


(続く)

 


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