葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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つまびらかに読んでいなかった“ポツダム宣言”は「天皇陛下の御聖断」で受諾しました

2015年05月22日 | 憲法・防衛・平和・人権
 党首討論で、安倍首相は日本共産党志位委員長の質問に「このポツダム宣言を、われわれは受諾し、そして敗戦となったわけだ。そして今、私もつまびらかに承知しているわけではないが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、例えば日本が世界征服をたくらんでいたということなども今、ご紹介になられた。私はまだその部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、ここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思うが、いずれにせよ、まさに先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけであって、われわれはそのことは忘れてはならない。このように思っている」と答えました。【産経ニュース
 靖国神社遊就館展示室15「大東亜戦争5」の壁に、「カイロ宣言、ソ連への和平工作、ポツダム会談と宣言、鈴木内閣の対応、アメリカがニューメキシコ州で原爆実験の成功、広島へ原爆投下、ソ連の参戦、長崎への原爆投下、10日と14日の御前会議、終戦の詔勅、人間宣言、全国へ巡幸、サンフランシスコ条約調印」までの大きなパネルがあります。安倍首相が「つまびらかに読んでいないポツダム宣言」が「天皇陛下の御聖断」で受諾したことをそのパネル説明文から紹介しようと考えました。
 しかし、管理人の書棚に、昭和46(1971)年8月10日・センチュリー音楽産業〔編〕東芝音楽工業〔発売〕「萬世の為に太平を開くー天皇陛下の御聖断ー」がありますので、御前会議に同席した人達の手記を紹介した方が、ポツダム宣言を「詳らかに承知」してもらえると思いました。当然、「開戦の詔書」に署名した祖父の岸信介元商工大臣のお友達だった方々ですが、皇国史観の立場で書かれていますので批判的にお読みください。
 明日から順次アップしていきます。
 「終戦当時の思い出」安倍源基(終戦時 内務大臣)
 「至難の終戦事情を追懐す」太田耕造(終戦時 文部大臣)
 「終戦集結の御聖断」保科善四郎(終戦時 海軍省軍務局長)
 「終戦御前会議前後の回想」迫水久常(終戦時 内閣書記官長)


この油絵は、遊就館展示室「大東亜戦争5」にも展示されています。


【録音資料】万世の為に太平を開く:-天皇陛下の御聖断- 東芝 1900 国立国会図書館蔵書
【図書】萬世の為に太平を開く : 天皇陛下の御聖断 センチュリー音楽産業/〔編〕 センチュリー音楽産業 1971  公共図書館蔵書


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