朝日新聞は、4月23日に二頁見開きで「北方領土をめぐる日ソ・日ロ史」の特集記事を、24日には「歯舞と色丹 返還義務 ゴルバチョフ政権内部文書」と連日「北方四島問題」を取り上げている。
管理人は、朝日新聞東京本社に「ご苦労さまです。昨日は特集記事、今朝はゴルバチョフの記事と『北方領土問題』を取り上げて頂き有難うございます。しかし、歯舞諸島と色丹島を何故にソ連が奪ったのかが今ひとつ解明されていません。それは軍事史的な追求が必要と思います。軍事史研究家の中山隆志氏の著書「一九四五年夏 最後の日ソ戦」212ページに詳しく書かれていますのでご参照下さい。」とメールをした。
中山隆志氏は、旧関東軍とソ連軍の文献資料を研究されて「ソ連軍侵攻と日本軍」を上梓している。
旧日本軍が敗戦時に中国大陸に大量の遺棄した毒ガス兵器によって、多くの中国人が死傷被害に遭っている。その中国人被害者が国を相手に損害賠償裁判をしているが、管理人は裁判を支援する(毒ガス被害者をサポートする会)の事務局長だった時、同氏に東京合同法律事務所で講義をして頂いたことがある。
1945年5月頃から大日本帝国参謀本部は本土決戦準備の爲に、関東軍、朝鮮軍や本土部隊の編成を大きく変えていく。その一つが北海道の第七師団である。歯舞諸島と色丹島の陸軍部隊は第七師団から、千島守備隊の隷下となり、第七師団は北海道本土のみが守備範囲となる。
『九月五日一九時、チェチェリン海軍少佐の艦船は歯舞諸島における日本軍捕虜と武器を上陸用船艇と掃海艇に積み込み、同日二三時三五分、国後島古釜布湾に到着した』と「一九四五年夏 最後の日ソ戦」の中に記述があるが、北千島と中千島、南千島の日本軍の武装解除をしながら占領したきたついでに、歯舞と色丹も占領した。よってゴルバチョフ内部文書には歴史的には弱点があると書かれたと思考される。
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」から「ソ連軍の樺太・千島への侵攻図」