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葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

中国人遺棄毒ガス被害問題を支援された野中広務氏のご逝去を悼みます

2018年01月27日 | 化学兵器問題
園部町長、京都府議、府副知事、官房長官、自民党幹事長などを歴任した野中広務氏が逝去されました。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌

故野中氏は、中国人遺棄毒ガス被害損害賠償裁判に多額なカンパをして頂き、また被害者支援の集会で激励の挨拶をして頂いたこともありました。
2008年10月6~8日まで立命館大学平和ミュージアムで「第六回国際平和博物館会議」が開催されましたが、故人は初日の記念講演をされました。
管理人は分科会で「靖国神社の平和ガイド」について発言をしましたが、故人の記念講演で二つの話が今でも記憶にあります。
ひとつは、京都府議時代は蜷川知事を打倒することに政治生命をかけ、副知事になってからは庁内の赤旗新聞を止めさせることことだったと話されましたので、主催者は何でこのような人を記念講演者にしたのだろうと思いました。
もうひとつは、被差別出身なので差別に対しては徹底的に闘い、軍隊経験から戦争は絶対ダメだと反対してきたと話されたことでした。
日中友好の立場から、南京大虐殺祈念館(侵華日軍南京大虐殺遭難同胞祈念館)には何回も訪問し、南京大虐殺は事実であるが「30万人」の数字だけは絶対に認めないと強調されていました。
南京を侵攻した京都第16師団の元兵士を連れて祈念館を訪問したとき、その兵士は当時のことを思い出して、身体が固まって動けなくなったというエピソードも話されたことは記憶に残っています。












国内の平和博物館と戦争博物館について発言をする、愛知教育大学南守夫教授(故人)
南教授は、遊就館は勿論戦争博物館であるが、昭和館も千人針や戦時中の生活用品を並べてあるだけで、平和のメッセージがないから戦争博物館だと言われていました。
一方、同じく九段下にあるしょうけい館は平和博物館であると推奨していました。




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