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虐殺と陵辱 ベトナム集落に何が 起きたのか・韓国軍はベトナムで何をしたのか

2017-08-02 07:44:06 | 政治


ライダイハン(ベトナム語: Lai Đại Hàn、𤳆大韓)とは、大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などの性行為によりもうけられた子供、あるいはパリ協定による韓国軍の撤退と、その後のベトナム共和国(南ベトナム)政府の崩壊により取り残された「敵軍の子」の意味である。

ライ「𤳆」はベトナム語で「混血」を意味し、ダイハンは「大韓」(朝:대한)のベトナム語読みであるが、「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない。

韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(朝:라이따이한)のように発音される。ライダイハンの正確な数は、諸説ありはっきりしない。

1500人(朝日新聞・1995年5月2日)、2千人(野村進)、最小5千人・最大3万人(釜山日報)、7千人、1万人以上)などの説がある。彼(彼女)らの中には父親の記憶を持たず、朝鮮語を話せず、写真だけが唯一残された思い出という者がいる。

韓国との混血児は名乗りでないとの主張もある。正確な調査が行われないまま、援助団体が支援を主張したため、数が膨れ上がったとの批判もある。

原因については韓国軍兵士による強姦、兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて無責任にも韓国に帰国したこと」とする現地婚、「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。」とする慰安婦(非管理売春)などと複数のことが言われている。

ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていたことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する強姦が挙げられている。

戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団(英語版)、青龍旅団(英語版)、白馬師団(英語版)などの兵士が、村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している。

他方、韓国軍の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、軍司令部が再志願させてベトナムに戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている。

当時、韓国の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としてのシンパシーを訴えて派兵を推進した。安聖基は「参加する方では『男に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」とも指摘している。

南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ3.1万名。最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、これも最盛期には2万人近くがベトナムに赴いた。

ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っていると主張する人もいる。こうした中でライダイハンは、これら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた。

兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数え、1969年の韓国の外貨収入の2割に達した。これはアメリカによる軍事・経済援助、 日韓基本条約による莫大な援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となった。 

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