ヒット曲を生んだ曲名!の真相告白
◎ 沢田研二「TOKIO」のナゾ
歌詞を書いた糸井重里氏に聞く。
当時飛行機に乗ってフト見るとPARI→TOKIOと見えた。
パンフレットだったのかな~舞妓さんと桜と富士山が見えたという。
"TOKYO"じゃなく"TOKIO"と印刷されていたとか。
タイトルだけは出来たが業界の人から「それの作詞もしてよ」
と言われ作ったという。「ゴジラは東京を壊したけど、僕は
"東京"を飛ばしちゃったからね」と。「~TOKIOは空を飛ぶ♪」だからね😁
カルロス・トシキ「君は1000%」のナゾ
1986年の大ヒット曲。1000%はもりすぎじゃない?の件
ご本人カルロス・トシキさんに聞く(ブラジルからリモート)
年配D「1000%ってどういう意味ですか?」
ご本人「1000は100という意味」
日本では100だがブラジルでは1000(cem)なのだそうだ。
一節歌って欲しいと無茶ぶりのDだが快く一節歌ってくれた。
「もう1曲もありますよね。〇〇〇〇!」題名忘れた😅
しかしこちらも一節歌ってくれた。今もライブを現地でやっているとのこと。
気のいい中年のおじさんにはなったが愛想がよかった😌
みなみらんぼう作詞の「山口さんちのツトム君」のなぞ
作詞のみなみらんぼうさんに直接聞きに行く。
「なんで山口さんなの?」
一番だけ歌っているが凄~く暗いのだ。
こたつに入ってギター持ったらスッと出来たと話す。
凄くさみしそうな歌になっていたからね~。
本来はツトム君は架空の人物だったという。
作った時代は山口百恵さんとかがアイドルして活躍した時代。
山口 敏夫 代議士も活躍したり阪神の山口が活躍したときだったとか。
それで"山口"になったとか。山本でもよかったんじゃないかと聞きに言った
人がお願いして・・・しかし出だしのゴロがよくなかったみたい😅
やっぱり"山口"の方がいいとらんぼうさん。
何年かして気づいたらこの中にいるモデルは自分だと言う。
最後に3番は軽快に歌っていた。「お母さんが田舎から帰ってきて、
お土産に買ってきた、イチゴが甘くて酸っぱい」と歌っている。
お母さんがいなかったから落ち込んでいた1番だったということか~。
中森明菜「少女A」のなぞ
"A"は誰?明菜さん?と当時はいろいろ噂が流れた。
作詞家売野雅高氏に聞きに行く。
新聞紙上には少年法で名前が出ないので少女A、とか少年Bとか
書かれていた。(今もそうだけど・・・)
14歳くらいは思春期で心は不安定な時期なのでアイドルに歌わせても
いいものだろうかと。
「少女A」は周りに仮タイトルだと思われてしまって・・・中森明菜さんも
最初は拒絶したという。(デビュー曲は「スローモーション」だったから)
それをレコーディングの時いやがっていたが「一回歌ってみてよ」と
説得して歌ってもらったら一発OKだったという逸話!
それが大々的にヒットしたからね~。
「禁区」、「1/2の神話」などなどギリギリすぎの伝説。
「禁区」のタイトルは中国での話し。(アリスに同行して中国の
ライブ会場の周りを散策したら「禁区」と書かれた場所があって・・・
いずれ何かに使いたいと思ったとの話し)
「1/2の神話」は最初「不良の1/2」というタイトルだったとか。
タイトルに別のタイトル「めばえ」とか普通のタイトルで覆って
ファックスで送っていたと暴露していた。
こういう話しって面白い逸話がいっぱいあるよね~。
歌詞に時代背景もあるってことがたくさん知れてよかった。