小学校時代、文子は上級生の恵三を憧れの目で見ていた。
評判の秀才、整った白皙の顔、上背のある恵三を遠くから眺めて喜んでいた。
それがもっと強い思いに変わったのは、突然雨が降り出した下校時の事である。
困りきっている文子に傘を差しかけた恵三は、わざわざ文子の家迄送り届けてくれた。
文子が幼い頃母を亡くして迎えに来る人がいないのを知っていたからである。人の目を気にして身をすくめている彼女に「風邪引いたら困るじゃないか」とポツリと言った一言で、文子は満たされた喜びをずっと忘れられなかった。
土地の大地主である佐伯家と遠い縁続きと言っても小作人の生まれの文子は当時身分違いである。
昭和19年の春、女学校を出た文子は密かな思いを秘めたまま商家に嫁いだ。乙種合格で老兵となる夫康に、まさかの召集令状が来たのはそのすぐ後だった。
長い苦しい戦争が終わった後、恵三は然るべき家から嫁を娶った。新婦の信子は才色兼備の評判が高かった。
しかし、恵三はお互いにどこか馴染めぬものを最初から感じていた。
その理由は皮肉にも、信子が早苗を身籠った後に分かった。
信子には学徒出陣で駆り出された恋人がいたのである。
お互いにいつかは一緒になる誓いをしたが、家の重圧に耐え兼ねて恵三に嫁いだのである。
未だ未だ大垣は古いしきたりや人間関係を重んじる城下町だった。
混乱が未だ続く昭和22年初頭、生母信子は生後間もない早苗を残して出奔した。帰還した恋人が必死に誘い出した結果である。
信子の実家では不治の病で療養離縁という話で収め、子どもの籍が宙に浮いた時、佐伯一族が目をつけたのが夫が戦死して実家に戻った文子だった。
健やかで真面目、子ども好き、この際家の格など言っていられないと、文子に打診した。
文子は踊る様な心を表面に出さぬまま、恵三に嫁いだ。戦争のドサクサで入籍が遅れた為、戸籍上、恵三と文子は初婚、早苗は二人の子どもになっている。
戦後の農地改革で、お城までそのまま歩いていけると言われた広大な佐伯の田畠は消えた。恵三は殆ど執着が無いかのように、残った田畠も処分して、親子が暮らす長屋一角を丸ごと入手したのである。
戦後の農地改革で、お城までそのまま歩いていけると言われた広大な佐伯の田畠は消えた。恵三は殆ど執着が無いかのように、残った田畠も処分して、親子が暮らす長屋一角を丸ごと入手したのである。
あくまでも、その一戸の住人として暮らす為である。
「自分は幼い頃から大きな家が嫌でならなかった。東京の専門学校に行ってから余計にその思いが強かった。
人は身分や金で動かされるものじゃない。今が一番幸せだ」
文子は寝物語に聞く恵三の言葉にうっとりしていた。
「子どもの頃からずっと好きだった人と夫婦になれるなんてこんな幸せってあるのだろうか。夢ではないだろうか」
そしてその幸せは夢のように儚かった。恵三が胸を患って、それが分かった時は手遅れ、一心に介護する文子を嘲笑うようにこの世を去ったのはそれから3か月後だった。
そして、文子と早苗二人だけの暮らしが始まったのである。
親を早くに亡くした文子にとって、その時この世で一番愛しい家族が早苗だった。
恵三がしっかり計画して、長屋の家賃が人知れず親子の家計に入るようにしてくれている。
贅沢は出来ないが穏やかな暮らしが続いていた。