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読書の森

君死にたまふことなかれ その1



以前作ったblog で恐縮ですが、今回添削して上げました。


「ああ弟よ 君を泣く
君死にたまふことなかれ
(中略)
旅順の城は滅ぶとも滅びずとても
なにごとぞ」

この歌は歌人与謝野晶子が戦地に赴いた弟を想って、日露戦争の真っ只中で大胆不敵にも詠んだ歌である。

もちろん当時の世論は非難号号たるものがあったが、夫与謝野鉄幹の社会的地位(彼は著名な愛国の志である)と、明治というおおらかな時代によって彼女の社会的生命は保たれた。

歌を読んで分かるように、与謝野晶子という人は、周囲の思惑を考え熟慮して行動する人ではない。
自分の中の熱い情熱に突き動かされて、突進していく人である。

だからと言って、思慮が浅いだけの人とは言えない。
逞しい神経と、強い信念が無ければこの歌を世に出せないだろう。

又、恐らくこれほど胸の思いを真っ直ぐ貫いた日本女性は絶後と言わなくても、空前だと思う。



晶子は家業が傾いた旧家の三女であった為、両親に疎まれたそうである。古典文学を愛好する内気なむしろ当時としては奥手の娘であった。
与謝野鉄幹の下で、好きな歌を習い初めて大変身を遂げた。
彼女22歳の時、師である与謝野鉄幹との間に恋が生まれたのである。与謝野鉄幹は恋多き男で、内妻が妊娠中にもかかわらず晶子を愛してしまった。

「やわ肌の熱き血潮に 触れもみで
寂しからずや 道を説く君」

後に上梓した「みだれ髪」の中のこの歌は、官能的な美しい歌であると同時に背徳そのものである。尊い僧侶を貶める歌とも受け止めかねない。

おそらくこの歌が生まれた背景に彼女自身が道に背いた恋に苦しんでいたのだろう。

与謝野鉄幹は非常に多情多感な人であった。
今の時代だったら、ネットで袋叩きの目に遭っていたと思われる。

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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