田辺聖子は戦中に生まれて根性が座った優しさを持った作家である。
長年連れ添った夫が他界した後、彼女はこのエッセイを上梓した。
夫と酒を酌み交わし仲良くお喋りをして、最高の親友と言われた幸せな女だ。
それは彼女の懐の深い人柄所以だろう。
このエッセイの中で悪友達と男女の別れについて語っている。
「ほな」と夫が逝って田辺聖子は「ほな」と見送ったとか。
これが最高だ、と悪友は遠慮ない。
「さっぱりしていて、後腐れがない。男女の最高の別れだ」
永遠に会うことの出来ない死別はつらい。
無責任だと思うが、聖子さんはおおらかに笑い流す。
その悪友は、中年のプレーボーイでそろそろ彼女との付き合いを終わりにしたい。
その時、つい「飽きた」と本音を言いたくなるそうだ。
なので、女性から相手に別れを切り出す様に持っていけばいいのだと。
言いたい放題だが、別れは悲壮でないのが一番だ。
田辺聖子は、「又、電話かけるよな、元気でね。」と言って(電話をかける気はある)、そのまま別れる形になるのが最高だ、と書いている。
全く同感である。
いつか会えるなと思っていても別れは来るものである。
人に対しても人生に対しても、真っ正面から切り込むよりも、自分をだましだまし対する方が角が立たない様である。
私にとって「自分をだましだまし人生を生きる」とは見習いたい言葉だ。
終の棲家と決めたとしても色々不満は出るものだ。
「だましだまし」暮らせるかどうか分からない。
美輪明宏が、「自分が完全に満足しきった住処を得た時、それが人の死に場所である」などと、かなり大胆な発言をしていた。
「だましだまし」している気分を自覚してるのが生きてる証拠なのだろう。
この世はなにかと儘ならないが、それでも「だましだましもうすこしだけ生きたい」仲間は多いと思う。
追記:
お陰様で台風の被害はそれほど大した事はありませんでした。
ブログUPしなかった為か、眠れずに窮余の策として去年のほぼ同時期のブログを再掲しました。