先日買った週刊文春、パラパラ目を通している内に「ロストジェネレーション」という言葉が印象的に目に入ってきました。
この記事を書いた鈴木忠平さん、スポーツ関係ののフィクションライターです。
記事の内容は引退した中日落合監督に心酔した著者の回顧談であります。
熱い語り口はまるで青年のようですが、1977年生まれの彼、昔であれば40代のおっさんです。
彼は自ら、私たちの世代はロストジェネレーション(失われた世代)と打ち明けてくれます。まるで、我が息子(残念ながらそんなのいないけど)に「お母さん、僕らの世代の思いを分かってよ」と迫られてくる感じです。
日本においては、バブル崩壊後の就職氷河期に世に出た世代を称して「ロストジェネレーション」と言うのです。
「すべては平らにならされ、熱くも冷たくもならなかった。もし自分に他の世代と比べて喪失があるとすれば、それは何も失っていないことだ」
親世代においては「戦後は」「安保闘争は」「バブルは」と誇らしげに語るものがあるのに、物質的に豊かな青春期を送り、恋も性も奔放な空気を感じながら、いざ世に出ようとするとそこは夢のない白々とした社会だった、ということなのか、と私なりに受け止めたけど実感として全然分かってないのでしょうね。
ちなみに彼が生まれた1977年は、あのピンクレディが大活躍した年でもあります。
思い返すほどに、「光陰矢の如し」どころじゃない「ロケットのように時間が飛び去っていった」感が強いです。
それにしてもこの時代に生まれた彼らは、「失われた」世代などと言われてしらけてしまってるのかしら。
鈴木さんがもらした何をしても「無力感」がつきまとうという言葉がガーンと響きました。
「努力は報われる、未来は開けてる」そんな輝かしいメッセージが、上辺だけのものだということを嫌というほど知っている世代なのでしょうね。
爺さん婆さんにとっては、お世話にならないと(現在の糧である年金を大量に放出なさっている有難い世代なので)生きていけないこの方たちにアドバイスしようとすればするほど、違和感が生まれる理由が分かった気がいたします。
そうです、「あのバブル崩壊後」に社会人となったのだから。
時代によって人は作られるのかも知れません、時代の大きな流れの中で人は生きているのですね。
ただ、一括りに「失われた世代」と捉えるべきではないと思います、社会の大勢を占める彼らが生み出す文化や思想がこれからの時代を作る訳です。「大切にしらけずに」次にバトンタッチできますように!