戦後間も無い昭和の冬は寒かった。
阿久悠は銭湯帰りにタオルがカチンコチンに凍る寒さと言っている。
阿久悠は本著を書いた2007年に70歳で他界した。
天才作詞家の奢りなどカケラも見せずに、ただ昭和への思いを綴ったものである。
「無意識の懐かしさが人間を救うために呼びよせたのが、昭和のある時期なのだろう」
「ああ、阿久悠もそう感じていたのだ」と胸を抉った言葉がある。
阿久悠の子どもの頃、「ごくごく特定の悪人以外は、すべて善人であった。ところが今は情報に人並みの関心を示すと、この世には善意も善人も存在しないかのような気分になる」と嘆くのだ
戦後昭和の子供は精神的に恵まれていたと、私の実体験から感じる。
子供に危害を加える人など先ず居なかったし、自由に道草を食って、道行く大人とおしゃべり出来た。
今は、長閑な善意だけで人と関わる事が難しくなったと思う。
70年代に『時間ですよ』というテレビドラマがあった。
街の銭湯が舞台である。
人が群れて、家族みたいに付き合う風景が幸せそのものに見えた。
このドラマの中で、堺正章が唄っているのが阿久悠の作詞した『街の灯り』だ
「触れる肩の温もり感じながら話を
もっともっと出来るならば今はそれでいいさ」
なんて事もう言えないのかしらね。
追記:
修正再掲載のものです。