読書の森

内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』

 

私の子供の頃、キツネやタヌキが里の人を上手に騙して食べ物を盗ってしまったといった話をよく聞きました。
本気で信じてはいませんでしたが、不思議な霊力のある動物、例えばキツネがいて、人間以上の力を持つという言い伝えはよく聞いたものです。
 
著者は1950年東京生まれの哲学者で、群馬の上野村と東京を往復して暮らしています。
自然を深く愛し、昔ながらの里の暮らしに親しんでいます。
彼が提唱した1965年を境にして、村人のキツネ話が消えたことに気づいて、その理由を歴史的に探る話です。出版されたのが2007年ですから、今ではこんな疑問を出す事自体が時代遅れになっているのかも知れません。
 
この本に学問的根拠や科学的推理を求めると全く期待外れになります。人を化かす話の消えた時点が1965年というのも、経験的な立場から捉えられ、きちんと統計を取ったものでもありません。
 
それでも、筆者のこの本を書いた思いは強く伝わってくるものがあります。
かって人と自然が一体化した時代には、自然の山中に迷い込んでも小川の水、木の実、大木の洞の中で、人は生き延びる事が出来たようです。
しかし、経済の発展と共に、自然の山も経済的効果が無ければ見捨てられ、山中に住むキツネなども人為的に育てられたものが殆どとなりました。
「見えない世界」がどんどん失われて、科学で割り切れる事、合理的な理論が生き渡った現在、キツネ伝説が廃るのは当然と言えましょう。
 
著者は、過去長い間伝えられた「生命性の歴史」を私たちは衰弱させていると主張します。
「生命性の歴史」という言葉自体ファジーな印象ですが、私なりに解釈してみました。
 
長い長いこと、人は厳しい自然に侵されながら、折り合いをつけて自然の恵みを受けて、共生してきた訳ですね。
つい最近(と言っても20世紀に入ってから)、この自然の風物を制御して経済的効果を何より優先させてきた結果、ひょっとしたら、自然も人の本能的な五感も衰弱してきたのではないでしょうかね?
 
そういう意味で、長閑なキツネの昔話が消えた事を単に寂しいとは言えない気になります。


スーパーの小松菜の根を植木鉢に植えただけの野菜栽培(土は以前買っておいた菜園用のものです)、なにせ鉢の中だけで育っているので大して伸びずに、それでも元気に生きてました。
 
小松菜が肥料を好む野菜な事も、とっても丈夫な野菜である事も後でわかりました。
緑の野菜が足りていたので、しばらく葉っぱを取らないでいたら、何やら形状が変化してきました。
検索しましたら、花の蕾みたいです。
 
小松菜は黄色い小さな花をつけるのです。
花言葉は「小さな幸せ」。
これも、菜の花です。食べられるんだって。期待が膨らみます。
 

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「書評」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事