反射鏡:文明への反逆としての「幻覚妄想大会」=論説委員・野沢和弘
北国の晩夏とは思えない日差しの中、新千歳空港からバスで揺られて2時間余、襟裳(えりも)岬に近い浦河町にやってきた。ひなびた漁港があるのどかな風景だ。
「べてるまつり」が開催される2日間、全国各地から訪れる600人以上の人々で町はにぎわう。精神障害者たちの「幻覚妄想大会」を見るためである。
笑えない人もいるだろう。話題にしたくないという人もいるに違いない。統合失調症やアルコール中毒などの人々が自らの幻覚について語り、失敗談で盛り上がり、自虐的な替え歌を披露するのだ。認知行動療法、SST(生活技能訓練)など心理療法の一環として行われる「当事者研究」なのだが、ダジャレとたわいもないギャグの連発のようにも思える。内輪ネタに過ぎないと言われればその通り。しかし、文化会館の大ホールは爆笑と感動に包まれた。
今年の「幻覚妄想大会」のグランプリは、50メートルもある「幻聴さん」(幻覚のこと)が窓から迫ってくるという仲間を救うために、「幻聴さん」を落ち着かせるダンスを発明した男性に贈られた。過去の受賞者には、35年間お母さんと2メートル以上離れて暮らしたことがないという「母親依存」を脱した男性、「近所のトイレの中で暮らすように」という幻聴を聞いて駅のトイレで4日間過ごした女性もいる。
こういう笑いは記事にできるか? かつて福祉事務所の職員たちが自虐的な川柳を機関誌に掲載して障害者団体の抗議を受け、廃刊に追い込まれたことがあった。そんな出来事を思い出しつつも、私は2日間席を離れることができなかった。どうしようもない弱さゆえの悲しみ、生きづらさを抱えた仲間へのやさしさが腹の奥にしみ込んでくるような感じなのだ。
私だけではない。東京からやってきた大企業の人事やCSR(企業の社会的責任)担当者と何人も出会った。ゼミ生を連れてきた大学教授もいる。入社3年目の地元紙記者はずっと「べてる」を取材したくて浦河支局勤務を希望したと言う。定年後、浦河に居を構えた高名なジャーナリストもいる。
いったい何が人々を浦河に誘うのだろうか。
べてる(浦河べてるの家)は84年、浦河日赤病院の精神科病棟を退院した患者たちが教会の片隅で日高昆布の袋詰め作業をすることから始まる。地域で暮らす障害者のために喫茶店の経営や著作物・グッズの販売など事業を広げてきた。利益が年1億円を超えるようになったのは数年前からだ。
今では社会福祉法人と有限会社を母体に授産事業、グループホーム、福祉ショップ、昆布加工品の通信販売などを運営し、各地から集まった住人(障害者)は100人を超える。
なぜ商売なのか。「苦労が多いからである。生きる苦労というきわめて人間的な営みを取り戻すために商売を始めた」と向谷地生良さんは言う。「べてる」の中心的存在のソーシャルワーカーである。「かつて苦しんだ競争原理に支配された日常のなかに、ふたたび何事もなかったかのように舞い戻るような『社会復帰』はめざさない。一人ひとりがあるがままに『病気の御旗(みはた)』を振りながら地域のかかえる苦労という現実に商売を通して降りていきたい」。向谷地さんは「べてるの家の『非』援助論」(医学書院)でそう語る。
決して地域から歓迎されていたわけではない。偏見や差別との闘いが精神障害を持つ人々の歴史でもある。「幻覚」「妄想」で連想されるものは事件報道という回路によって負の色に染められてきた。私自身、そのような批判をよく障害者から向けられる。しかし、笑いと商売で固定観念をゆったり溶かしていくのが「べてる」なのだ。
他者との関係や自分自身との関係に挫折してきた人々は、「関係」において回復し自信を取り戻していく。「べてる」が障害のある仲間同士のミーティングを頻繁に行うのはそのためだ。暗闇の中、生死を隔てる断崖の上で冷たい風に吹き付けられているのが彼らだ。触れた仲間の手のぬくもりが自分の存在をつなぎ留めている。
「弱さを絆に」「降りていく生き方」「安心して絶望できる人生」などの言葉は話し合いの中で生まれた。現代医療や福祉の自立概念に対して猛毒を含んだ理念である。弱さを辺境へと追いやった文明に対するつつましやかな反逆でもあろうか。
浦河はアイヌ語で「霧深き河」という意味だ。霧の中に迷い込んだ自分と文明の未来を探しに人々はやってくるのだ。
英訳
毎日新聞 2011年9月4日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20110904ddm004070002000c.html
北国の晩夏とは思えない日差しの中、新千歳空港からバスで揺られて2時間余、襟裳(えりも)岬に近い浦河町にやってきた。ひなびた漁港があるのどかな風景だ。
「べてるまつり」が開催される2日間、全国各地から訪れる600人以上の人々で町はにぎわう。精神障害者たちの「幻覚妄想大会」を見るためである。
笑えない人もいるだろう。話題にしたくないという人もいるに違いない。統合失調症やアルコール中毒などの人々が自らの幻覚について語り、失敗談で盛り上がり、自虐的な替え歌を披露するのだ。認知行動療法、SST(生活技能訓練)など心理療法の一環として行われる「当事者研究」なのだが、ダジャレとたわいもないギャグの連発のようにも思える。内輪ネタに過ぎないと言われればその通り。しかし、文化会館の大ホールは爆笑と感動に包まれた。
今年の「幻覚妄想大会」のグランプリは、50メートルもある「幻聴さん」(幻覚のこと)が窓から迫ってくるという仲間を救うために、「幻聴さん」を落ち着かせるダンスを発明した男性に贈られた。過去の受賞者には、35年間お母さんと2メートル以上離れて暮らしたことがないという「母親依存」を脱した男性、「近所のトイレの中で暮らすように」という幻聴を聞いて駅のトイレで4日間過ごした女性もいる。
こういう笑いは記事にできるか? かつて福祉事務所の職員たちが自虐的な川柳を機関誌に掲載して障害者団体の抗議を受け、廃刊に追い込まれたことがあった。そんな出来事を思い出しつつも、私は2日間席を離れることができなかった。どうしようもない弱さゆえの悲しみ、生きづらさを抱えた仲間へのやさしさが腹の奥にしみ込んでくるような感じなのだ。
私だけではない。東京からやってきた大企業の人事やCSR(企業の社会的責任)担当者と何人も出会った。ゼミ生を連れてきた大学教授もいる。入社3年目の地元紙記者はずっと「べてる」を取材したくて浦河支局勤務を希望したと言う。定年後、浦河に居を構えた高名なジャーナリストもいる。
いったい何が人々を浦河に誘うのだろうか。
べてる(浦河べてるの家)は84年、浦河日赤病院の精神科病棟を退院した患者たちが教会の片隅で日高昆布の袋詰め作業をすることから始まる。地域で暮らす障害者のために喫茶店の経営や著作物・グッズの販売など事業を広げてきた。利益が年1億円を超えるようになったのは数年前からだ。
今では社会福祉法人と有限会社を母体に授産事業、グループホーム、福祉ショップ、昆布加工品の通信販売などを運営し、各地から集まった住人(障害者)は100人を超える。
なぜ商売なのか。「苦労が多いからである。生きる苦労というきわめて人間的な営みを取り戻すために商売を始めた」と向谷地生良さんは言う。「べてる」の中心的存在のソーシャルワーカーである。「かつて苦しんだ競争原理に支配された日常のなかに、ふたたび何事もなかったかのように舞い戻るような『社会復帰』はめざさない。一人ひとりがあるがままに『病気の御旗(みはた)』を振りながら地域のかかえる苦労という現実に商売を通して降りていきたい」。向谷地さんは「べてるの家の『非』援助論」(医学書院)でそう語る。
決して地域から歓迎されていたわけではない。偏見や差別との闘いが精神障害を持つ人々の歴史でもある。「幻覚」「妄想」で連想されるものは事件報道という回路によって負の色に染められてきた。私自身、そのような批判をよく障害者から向けられる。しかし、笑いと商売で固定観念をゆったり溶かしていくのが「べてる」なのだ。
他者との関係や自分自身との関係に挫折してきた人々は、「関係」において回復し自信を取り戻していく。「べてる」が障害のある仲間同士のミーティングを頻繁に行うのはそのためだ。暗闇の中、生死を隔てる断崖の上で冷たい風に吹き付けられているのが彼らだ。触れた仲間の手のぬくもりが自分の存在をつなぎ留めている。
「弱さを絆に」「降りていく生き方」「安心して絶望できる人生」などの言葉は話し合いの中で生まれた。現代医療や福祉の自立概念に対して猛毒を含んだ理念である。弱さを辺境へと追いやった文明に対するつつましやかな反逆でもあろうか。
浦河はアイヌ語で「霧深き河」という意味だ。霧の中に迷い込んだ自分と文明の未来を探しに人々はやってくるのだ。
英訳
毎日新聞 2011年9月4日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20110904ddm004070002000c.html
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