アートインナガハマ★スタッフのブログ

毎年10月の第一土・日曜日に開催の「アートインナガハマ」のイベント情報をお知ら致します。

母、永眠。

2012-10-28 20:17:27 | プライベート日記

前回、「老いをどう生きるか」というテーマでブログを更新してから

わずか2日後、10月24日15時14分に母は逝ってしまいました。

退院してから9日目でした。

9月から入院先の担当医、看護師の方、そしてケアマネージャーさんと

母の最期をどう看取るかについて、2度ほど話合いをいたしました。

その中で、母が元気だった頃に言っていた思いと 家族の思いを伝え

色々な管でつながれて、口からも食べられずに ただ延命だけの

処置はやめて、出来るだけ自然に できる範囲の看護で母の最期を

家族で看取るという結論を、担当医を始め皆さんが尊重してくださって

始まった在宅看護。

折角、家で看取るのだから、病院では医療上できないことも

母が希望することはしてあげよう!と、この9日間いろんなことを

しました。最初の3日間は何を食べても、「おいしいっ!」と言ってくれました。

そして、「足が痛い。揉んで!」「背中がかゆい」と、病院では喋れなくなっていた

母が、いっぱい私たちにリクエストしました。30分揉んでいても、「もっと、もっと・・」

と言い、「らくちん(^_^)」と言ってくれました。

3日を過ぎて、4・5日目辺りに、初めて、やってあげる一つ一つのことに

「ありがとう」という言葉が出てくるようになりました。

「お母さん、ありがとうと言ってくれるようになったね」と感慨深く言ったことを

思い出します。

土日を過ぎて、一時 入院中よりも元気になったように見えた母の体は

再び機能しなくなってきて、徐々に食べ物も、飲み込めなくなりました。

それでも母は、「もっと欲しい」と食事や飲み物をせがみました。

口に入れてはモグモグして最後、「ベェ~」っと戻してしまい、また

「欲しい」と言い、その繰り返し。

そして、最後の2日間は、ほとんど口に入れたものが、胃まで届くことは

ありませんでした。

それでも、母の最期は本当に安らかで、呼吸も全然苦しそうでは

ありませんでした。

10月24日水曜日、いつも通り仕事に行った私に、お昼過ぎ父から電話で

「私の帰宅まで持たないかもしれない。すぐに帰ってきてほしい」との

知らせが入り、急いで家に帰りました。

仕事がなかった妹と、父、そして訪問看護師さんに囲まれて

私と妹の子どもたちも学校から早退させて、最後は、家族で母を

看取ることができました。まるで、眠るように1時間ほどの間に

すうっーと息をひきとりました。

 

7月9日に今年2度目の入院をしてから、本当に色々な問題を

身をもって示してくれた母。

母がいなくなった実感が湧いてくるのはこれからかな・・・

 

木曜日の通夜、金曜日の告別式、初七日を終え、やっと

一段落つき、今少し振り返る余裕ができました。

 

看護疲れの中、通夜・告別式を取り行っている父が

フラフラして、行動もちょっと不安で、私はとても心配になり

火葬場へ向かうタクシーの中、父の背中をずっと撫でていました。

そしてまた、湯灌の最中、棺に入れられた母を見て、あるいは

火葬場での最後の別れの折、泣きじゃくる私の背中を優しく

撫でてくれた娘もまた、私の身を心配してくれていました。

親を思う子の気持ちが痛いほどわかります。

私は娘・息子にとっては、かけがえのない親なのだ!と

思い知らされた瞬間でした。

母のことは、また折りに触れ、記録していきたいと思います。

お母さん、今までありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 老いをどう生きるか。 | トップ | あれから一週間・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

プライベート日記」カテゴリの最新記事