前回、「老いをどう生きるか」というテーマでブログを更新してから
わずか2日後、10月24日15時14分に母は逝ってしまいました。
退院してから9日目でした。
9月から入院先の担当医、看護師の方、そしてケアマネージャーさんと
母の最期をどう看取るかについて、2度ほど話合いをいたしました。
その中で、母が元気だった頃に言っていた思いと 家族の思いを伝え
色々な管でつながれて、口からも食べられずに ただ延命だけの
処置はやめて、出来るだけ自然に できる範囲の看護で母の最期を
家族で看取るという結論を、担当医を始め皆さんが尊重してくださって
始まった在宅看護。
折角、家で看取るのだから、病院では医療上できないことも
母が希望することはしてあげよう!と、この9日間いろんなことを
しました。最初の3日間は何を食べても、「おいしいっ!」と言ってくれました。
そして、「足が痛い。揉んで!」「背中がかゆい」と、病院では喋れなくなっていた
母が、いっぱい私たちにリクエストしました。30分揉んでいても、「もっと、もっと・・」
と言い、「らくちん(^_^)」と言ってくれました。
3日を過ぎて、4・5日目辺りに、初めて、やってあげる一つ一つのことに
「ありがとう」という言葉が出てくるようになりました。
「お母さん、ありがとうと言ってくれるようになったね」と感慨深く言ったことを
思い出します。
土日を過ぎて、一時 入院中よりも元気になったように見えた母の体は
再び機能しなくなってきて、徐々に食べ物も、飲み込めなくなりました。
それでも母は、「もっと欲しい」と食事や飲み物をせがみました。
口に入れてはモグモグして最後、「ベェ~」っと戻してしまい、また
「欲しい」と言い、その繰り返し。
そして、最後の2日間は、ほとんど口に入れたものが、胃まで届くことは
ありませんでした。
それでも、母の最期は本当に安らかで、呼吸も全然苦しそうでは
ありませんでした。
10月24日水曜日、いつも通り仕事に行った私に、お昼過ぎ父から電話で
「私の帰宅まで持たないかもしれない。すぐに帰ってきてほしい」との
知らせが入り、急いで家に帰りました。
仕事がなかった妹と、父、そして訪問看護師さんに囲まれて
私と妹の子どもたちも学校から早退させて、最後は、家族で母を
看取ることができました。まるで、眠るように1時間ほどの間に
すうっーと息をひきとりました。
7月9日に今年2度目の入院をしてから、本当に色々な問題を
身をもって示してくれた母。
母がいなくなった実感が湧いてくるのはこれからかな・・・
木曜日の通夜、金曜日の告別式、初七日を終え、やっと
一段落つき、今少し振り返る余裕ができました。
看護疲れの中、通夜・告別式を取り行っている父が
フラフラして、行動もちょっと不安で、私はとても心配になり
火葬場へ向かうタクシーの中、父の背中をずっと撫でていました。
そしてまた、湯灌の最中、棺に入れられた母を見て、あるいは
火葬場での最後の別れの折、泣きじゃくる私の背中を優しく
撫でてくれた娘もまた、私の身を心配してくれていました。
親を思う子の気持ちが痛いほどわかります。
私は娘・息子にとっては、かけがえのない親なのだ!と
思い知らされた瞬間でした。
母のことは、また折りに触れ、記録していきたいと思います。
お母さん、今までありがとう。
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