読んだ本の中で小説の内容は覚えているのに、なんというタイトルだったか、思い出せないことがあります。歳のせいばかりではなくて、若い時にもそうしたことがありましたが、すでに読んだ本をまた図書館から借りてきて、読み進めてから「あら、これはもう前に読んだ本だ」と気づくなんてことは、やはり歳のせいなのでしょうか。
最近読んだ小説で、妻子と別れてひとり暮らしになり居酒屋を始める主人公とその周りの人たちを描いた短編がありましたが、どうしてもそのタイトルが出てきません。
ヤフー知恵袋で聞くほどでもないけれでもなんとなく気になり、奥歯に物が挟まったような心持でした。細部はいろいろ覚えていて、居酒屋でバイトする若者のことや主人公と一緒に住み始める若い女の子が店で簡単な手相見をする様子など思い出せるのですが、タイトルが・・・ 出てきません。
ここ一週間ほど、あれはなんという小説で誰が書いたものだったかしらと思い出そうとしていましたが、今日、やっと思い当りました。
山本文緒という人が書いた第124回直木賞(平成12年)受賞作「プラナリア」という短編集のなかの「あいあるあした」という小説でした。表題作のほか全5編の短編小説が1冊の文庫になっていた本でした。
小説のタイトルが分かり、やっとすっきりしました。こうして忘れていることを思い出すことが脳トレーニングになるとか、でも思い出せない間はあーなんだったかなと気になるものですね。
「あいあるあした」という小説はなかなか面白くてよかったのですが、他の4編の小説はあまり好きな感じではなくて、続けてその作家の本を読んでみようと思わなかったせいで、作者もタイトルも失念していたのかもしれません。
「あいあるあした」というタイトルから受けるイメージとずいぶん違う内容の小説ですが、妻や一人娘と別れた少しかたくなな主人公が居酒屋のカウンター越しに触れ合う市井の人々との出来事がとてもよく伝わってくる小説でした。タイトルを思い出せてよかったです。
映像が浮かんでくるような描写力のある小説だったので、映画やドラマになっていてもいいように思いましたが、映像化はされていないようですね。直木賞ももう15年も前の受賞ですから、映像化はないのでしょう。映画になっていたら、見てみたいなと思うような小説でした。
今日は昼間は暖かだったのに、夜は少し冷えてきたようです。我が家のワンニャンたち、三匹でくっついて寝ています。床暖房をつけてやりましょう。お互いに温め合っている様子は見ていてほのぼのします。「あいある三匹」かな。
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