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馬と犬と人間と、、。

馬と犬、、。私の大好きな動物たち。仕事を離れてただの馬好き、犬好きの人間として、気ままなお話がしたい、、なんてね。

クロノス!!!!

2009年11月08日 | うま
黒毛和牛ではありません馬でございます
名前はクロノスS先生の愛馬で、只今調教中
彼の特技は馬房の鍵を開ける事脱走すること数回
なのでチェーンを付けられてしまいましたが・・・

口を使って開けちゃいました

その他数々のイタズラ伝説を更新中の迷馬です
でも彼の瞳はいつも優しいんですよ

悲しい時も辛い時も、いつも慰めてもらうスタッフKでした。

ご機嫌だ・ジョー!

2009年11月03日 | うま
彼の名前はジョー君 25歳のお爺ちゃんです

毎日お散歩をしますが、何かに驚いて走り出す事もしばしば

の日には大好きな砂浴びをして、ご機嫌です


そして草を食べ



もう帰ろうよー


一人ぼっちだと寂しくなるジョー君

もっとゆっくり放牧を楽しんで欲しいのになあ


隣で心配そうに見つめるレリック君は放牧を満喫してました






暴れん坊?ショーグン!

2009年10月25日 | うま
最近は可愛いパピー達の話題がいっぱいですが、

シュボーシェには個性色々、現在20頭の馬達がいます。

その中でも彼は特別な存在ですね

名前はショーグン!御歳はなんと32歳

1977年生まれの大お爺様です

大好物はスポーツドリンクとりんご

毎日の散歩の後のドリンクはたまりませんな      

馬と仲良くなるためには 講習会

2009年08月21日 | うま


19日に「馬と仲良くなるためには」という講習会が全国乗馬倶楽部振興協会の主催で愛知牧場でありました。


馬に触ったことのないような人のための講習会で、夏休みに親子で参加されている方もたくさんいらっしゃいました。


この講習会にスタッフと参加してきました。


なぜ、初心者の講習会に?と思われるかもしれませんが、それには理由がありまして、、。
* この世界に長くいると、ほんとの初心者には、何が分からないのか、が分からなくなってしまいます。それを再確認するため。
* このときに講師としてくる青木先生という方の大ファンだから。
* 近い将来、子供に犬や馬への挨拶の仕方を教えるようなことをしたいと思っているから。

と言うことで。

この青木先生にお会いしたのはもう15年も前になります。
確か審判講習会でした。お話の内容は主に今の肢についてのことだったと思います。魚から馬へ進化する過程をとっても分かりやすく教えてくださいました。
魚の胸びれ、腹びれが進化して、両生類の足になり常歩を手に入れ、爬虫類になって速歩、哺乳類になって駈歩を手に入れたと言うようなことなどのお話をとっても分かりやすく教えてくれました。


そのときから、青木先生の講義をもう一度(チャンスがあれば何度でも)聞きたいと思っていて、15年も経ってしまいました。


私がいままで聴講した講師の中で1番はやっぱりこの先生です。2番は大坂頴三先生(日本で初のオリンピック審査員)。



この2人に共通しているのは、青木先生は蹄の第一人者であると同時に、馬と言う動物を他の人のも好きになってもらいたい、と言う情熱があり、大坂先生も日本の馬術界を何とか向上させたい、という情熱があります。講義を受けているものはそれを感じ取れます。



馬術界では知らない人がいないほどの先生ですが、この写真に写っている子供にも分かるように話をされています。そしてこの小さな子供達から笑い声が上がるのです。




室内でのお話が終わると、外へ出て実際に馬にさわってのお話です。


口の中にはハミと呼ばれるこんな棒が入っているのですよ
だから手綱は優しくネ



ロバと馬の違いは?



馬の重心はどこ? 第12肋骨のあたりだけど、肩の角度と腰の角度で少しはずれがありますよーという話をしているところ。



先生、馬の重心に赤丸をつけてしまいました



朝の7時過ぎから出かけて行ったのですが、とってもいい気分で帰ってこれました。たとえは悪いですが、美味しいものをお腹いっぱい食べて大満足したような、、、

私も、お粗末ながら人の前でお話をする機会が増えました。
いつかはこの先生のような楽しくて情熱のある話ができたらいいな、と思います。



おまけ  
可愛い仔牛、ジャージー牛だそうです。




スフォルツァ騎馬像

2009年08月06日 | うま
今日は訓練士義務研修があり、名古屋の国際会議場へ


義務研修は毎年あり、必ず出席しないといけません。

今回のテーマは「オビディエンスⅠ、Ⅱ、Ⅲについて」でした。

???去年もそうだったような、、。

Ⅲはなかったかな?


中部地区はこの競技に参加が少ないそうで、たくさん参加してください、とのことでした
興味ある方はお問い合わせくださいね


私はここに来る楽しみがあります。


スフォルツァ騎馬像

この写真の像が大好きです、何度見ても力強さ、バランスの良さ、そして馬に携わるものが見ても、どこにも違和感が感じられません。
ちょっとマニアックですが、特に、しっかり鐙を踏んでいるこのつま先が、、


芸術に縁のない私で、ダ・ヴィンチの作品といったらモナ・リサしか思い浮かびませんが、この騎馬像はなにか響いてくるものがあります。



ピカソといったらわけのわからない抽象画、と思っていましたが
近くで見た「ゲルニカ」はすごい迫力でした



芸術オンチの私にさえ、働きかけてくるものって、、すごいと思います







曳き馬100人できるかな?

2009年07月25日 | うま
「コモノスイミングスクール」が毎年夏休みに行っている、子どもたちの「乗馬体験」に来てくれました

人気があるそうで、年々人数が増え今年は100人を越えました


写真のように4箇所で乗り降りしてもらい、指導員が曳いて歩く馬に乗ってもらいます。



みんなとっても喜んでくれました。








馬に乗った後は、お礼ににんじんをあげます。
いつも静かな厩舎に子供がいっぱい。馬もびっくり



ちょっと怖々かな?




私は、こどもが初めて動物に接するとき、決して怖い思いをさせないように
とっても注意します。その子が将来馬や犬が好きになってくれるように、、。




ほんとは「子供のための馬と犬の接し方教室」のようなものをやりたいのです。



今日もうちのマリオンに群がる子たちがいました。

そのときに
「上から急に手を出すと、ワンちゃんはびっくりするからね、下方そーーッとゆっくりさわってね」「ワンちゃんが嫌がることをしてはだめよ」とプチセミナー




と、ベテランのマリオンで練習してもらって、、、、ニーケ



こんなにたくさんの子供達を見る機会はないので、さすがのニーケもべったりです。




雨が心配されましたが、お天気も何とか持ちました。
がんばってくれた馬たちを紹介します。


ウォーリー


ロビン



ルーカス


クロノス



周りで100人以上の子供が騒いでいても動じず
まったくたいした馬たちです





審判講習会

2009年03月11日 | うま

審判講習会に行って来ました。犬関係の方にもおなじみの御殿場の競技場です。


日本馬術連盟の審判員には、講習会への参加が義務付けられています。
FEI(国際馬術連盟)の規定がしょっちゅう変わるので、審判員もうかうかしていられません。
たとえば、日馬連ではこの4月から新しいタイプのハミと拍車の使用が認められます。道具はいろいろ新しいものが出てくるし、選手はそれを試してみたいと思って使いますよね。それをひとつずつ検討して決めているみたいです。

その基準となるのが、馬場馬術競技規定の最初のページに書いてある「FEI馬スポーツ憲章」です。


それの1ばんに書いてあるのが下記のものです。


競技出場への準備段階や競技馬の調教段階のいずれの時点についても、馬のウェルフェアが他のどのような要求よりも優先されなければならない。そこには、馬の飼養管理、トレーニング、装蹄、馬装具、輸送などの良質で適切な対応が求められる。
(興味ある方は www.horsesport.org でご覧になれます)


簡単に言うと、何よりも馬の福祉が最優先される、ということです。


それをわかっていないと、審判業はできません。


前日までドイツのトレーナーによって、指定選手の強化訓練を行っていました。
右 ニールセン氏 左 照井氏(昔、大変お世話になった方です。日本人で初めてドイツのマイスターの資格をとっておられ大変努力家です。よく怒られました。)


未来の審判員がその模様を見学しています。





今回は、義務ではないので、若い女性(といっても30歳以上です)がけっこういました。セクレの勉強に来ていたみたいです。みんながんばって!
(馬場馬術の審判員は、人馬を見ていなくてはいけないので、横にセクレがいて点数やコメントを書いてくれる)

実際に、競技課目をやっているものに点数を付け発表します。
そして、なぜその点数をつけたか講師から聞かれます。馬場馬術の基本がわかっていないと、答えられません。
審判も努力しているのですよ


幹部達が悪だくみこういうところでけっこう重要な話がされていたりします。


下の写真、馬場に立っているのが、去年のオリンピックで、日本人で初めてオリンピックの主任ジャッジをやった古岡美奈子氏。
法華津さんのことばかり放送されましたが、馬術関係者にとってこれはたいしたことだったのですよ!
選手に、わざとミスをするように頼んでいます



ベテラン審判員は、さすがに引っかかりませんでした



馬関係の昔からの知り合いがなくなったりして、少し寂しい思いをしていましたが懐かしい方たちと会えて、いい勉強をさせてもらって楽しかったです。




タカラコスモス号

2008年07月30日 | うま


今日、知らないところからポスターが届きました。

うち宛になっているので開けてみると、大きなポスターが入っていました。


「三本木農林高校馬術部」 「私、コスモの目になる!」

何か聞いたことがあると思いだして見ると、数年前、大坂先生(日本で初のオリンピックジャッジをした人、またいずれこの人の話も)がビデオを見せてくれたあの馬だ。

そのビデオは、女の子が乗って馬場をやっているところで、簡単な課目でしたが、馬は自信に満ちて演技をしていました。

「この馬は目が見えないんだ、騎手を信頼して動いている、、」


以下、「うみねこ博物館」さんからお借りしました。






  【タカラコスモス】

   ~盲目の女王~

 


生年:1984年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:日本(青森県 十和田市)

目が不自由であるにも関わらず、立派に子育てをやり遂げ、マスコミを巻き込んで多くの人々に感動を与えた元馬術競技馬。それが本馬タカラコスモスなのである。その波瀾万丈な馬生を辿っていきたい。

タカラコスモスは実は中央競馬出身。1987年、福島競馬場でデビュー。新潟、中京のローカル競馬場を舞台に転戦するも、成績はまったく振るわなかった。
タカラコスモスは中央競馬から去り、新天地を求めた。どんな人間にも取り柄があるように、どんな馬にも取り柄がある。タカラコスモスは1990年、競技馬としての基礎訓練を受けるため、日本中央競馬会宇都宮育成牧場へ入廐し、そこから日本獣医畜産大学へ。これが正解だった。タカラは「第40回全日本学生障害飛越競技」に出場し、いきなりの三位入賞。1992年には優勝という快挙を成し遂げるのだった。難易度の高い障害を、まったくの気後れなく軽やかに駆け抜ける戦慄の走りに、誰しもがタカラコスモスの時代を予感した。

この時のタカラの雄姿に胸打たれ、引退後は自らが引き取りたいと考えたのが、青森県三本木高校教論で馬術部顧問を務める藤森亮二氏であった。
時は流れ1996年、藤森氏の元へ一本の電話が入った。「タカラコスモスを引き取ってもらえないだろうか」突然の報せに呆気にとられながら、藤森氏の顔には納得がいかないというような、怪訝な色が浮かんでいた。おかしい…引退には早すぎる…。
「馬体にはどこにも異状がないのだが、瞳に白濁が少し見られ、治療を施したけれども回復が期待できない。大学は引退を決めたので面倒を見てもらえるならば輸送したい」、との話だった。

この年、藤森先生は全国高校馬術競技大会が間近に迫り、運営準備のための激務の生活を強いられていた。そればかりでなく厩舎がない。部活動も離れた牧場や大学に馬を預けてやっていたが、そこの馬房にも余裕はなかった。しかし、なんとか温泉牧場に馬房が確保でき、タカラコスモスは平穏無事に引き取られることとなった。
タカラが引き取られた十和田市は、幸運にもかつて旧陸軍の軍馬補充部があり、温泉治療と薬草がふんだんに活用されていた。タカラコスモスはここで眼の治療に専念することになった。

タカラが眼を癒している頃、藤森先生は部の存続の命運を懸けた「全日本高等学校馬術選手権大会」の準備に追われていた。
この大会を成功に導かなくては、校内に活動場所が確保できなくなってしまう。それはタカラコスモスの行き場がなくなることも意味していた。
この大会は乗馬クラブの施設で開催されることが多く、開催するには50頭規模の厩舎、競技場、障害物、そしてスタッフがいなければ運営が難しい競技の特殊性がある。さらにその上、多くの学校職員が馬術競技を観たことすらなかったし、校長が春に赴任したばかりで大会返上の弱音を吐いていた。しかし、藤森先生はあきらめなかった。懸命な姿勢に周囲も感動し、協力をかってでてくれた。部員はもちろん、他の教職員や卒業生まで加勢に駆け付けた。作業場は夜遅くまで灯りが消えることがなかったという。

大会は無事に終了。大会会長は馬術部以外の高校生も巻き込んだ大会運営を讃えた。藤森先生の血の滲むような努力と、大会成功への執念が呼び込んだ勝利と言えよう。

大会も終わり、熱い日差しが連日つづく8月後半、タカラコスモスが療養生活から復帰。馬体から疲れはスッカリ消えていたものの、眼は以前より悪化していた。温泉も薬草も、眼には効き目がなかったようだった。馬場に出ても、ただただ同じ場所をグルグルと周回するだけで、障害を飛ぶことなどままならないような状態だったのだ。
藤森先生はなんとかタカラに活躍の場を与えたいと、考えた。熟考した結果、タカラコスモスの仔を生産してみようという、一つの答えが出た。2000年5月、日高に渡り、サンクレールとの交配が決定された。津軽海峡を渡る船の船倉から、蹴り続ける音が鳴り響く。暗く狭い場所に閉じ込められ、不安の余りにそんな行動をとってしまったのだろう。

出発から二ヵ月が過ぎ、タカラコスモスが藤森先生の下へ帰ってきた。赤ちゃんを身籠ったタカラを担当したのは、女子部員の湊華苗さん。苦労しながらも精一杯面倒をみていた。そんなある日、自分の声に近寄ってきたという。まさかと思いつつ、藤森先生が行ってみると、放牧地にいるタカラは華苗さんの声を聞き分け、遠くから近寄ってくるではないか。プライドが高い上に、目が不自由であるタカラコスモスが、華苗さんに心開いたのである。華苗さんの懸命な世話により、タカラは心を許すだけでなく、身体能力も回復させていった。
そして、華苗さんが三年生最後の馬場馬術大会にタカラコスモスと共に出場。タカラは前日に肢を傷めていたにも関わらず、必死に演技し続けた。騎乗していたのが、自らに尽くしてくれた湊華苗さんの最後の大会だと知っていたのだろうか。

翌年の4月、タカラコスモスの初仔が誕生。「モスカ」と名付けられた。しかし、モスカが乳を飲もうとして寄りすがると、タカラは逃げ惑い授乳を嫌がってしまう。それでもなんとか授乳にこぎつけると、周囲からは拍手が起こるのだった。しかし、まだ問題があった。モスカが踏まれるという事故が、起きてしまう可能性が高い。子馬に最悪の事態が起きるのを未然に防ぐため、何らかの対策を講じる必要があったのだ。タカラは視力が低下していたものの、聴力が発達していた。そこで、モスカの首に鈴を付けてみた。すると、タカラは鈴の音で子馬の居場所を判断するようになった。音が消えると動きを止め、鳴り始めるまでタカラは馬房の片隅にじっと立ちつくすようになったという。

タカラコスモスの子育ては地元の新聞社・民放局はじめ、取材が殺到。やがては日本テレビの『ズームイン』で3回放映され、高い反響を呼んだ。県内外から、激励や感想などが電話や手紙で学校に届くだけでなく、お守りやニンジン、リンゴが送られてきた。時としては、薬品まで送られてくる時もあったという。

不況に次ぐリストラ、勝ち組と負け組の格差社会、弱い者が徹底的に虐げられる時代…虚無の不安が立ちこめる現代社会に、タカラコスモスは「希望と勇気」という、ほのかな光を与えたのだ。自らの眼の光を引き替えに…。

現在のタカラコスモスは、担当部員を少々てこずらせているようだ。やはり、湊華苗さんと紡ぎ上げた信頼関係は、よほどの厚みを持っていたということなのかもしれない。そして、今の藤森先生の夢は、タカラコスモスの二世で馬術競技会を駆け回ることだという。

人が馬を想い、馬も人を想う相思相愛の旋律が、今日も流れる…時代と言う名の譜線の上に。


  ★彡追記メモ★彡

☆日本で盲目の馬が子育てをした記録は、タカラコスモスの例を加えても2~3例しか見られない。

☆『盲目の名馬 タカラコスモス』というビデオが、地元企画会社の手で作製され、販売されている。

   


☆『私、コスモスの目になる』(橘内美佳 著、主婦と生活社 2001年)という本が出版され、この本は県内の小中学生が読書コンクールに一番多く取り上げるほど評判になった。健気な生き様が人々に感銘を与えたのだろう。





目が見えないということは、どれだけ不安なことか、、、、

目の見えない犬が、訓練競技会に出ていたのを見ました。
顔を見るまでわからなかったのです。目が白いので?と思って見ていると飼い主さんが「この子、目が見えないんです」


脚側も、招呼も遠隔もちゃんとやっていて、聞くまでほんとにわかりませんでした。


車椅子で競技会に出ていた人も見ました、車椅子で犬の肢を踏まないように注意しながら演技をしていました。



感動は近くにあり、動物とはこんなに絆が結べるのですね。

新顔入厩!

2008年07月20日 | うま



先日あるところから
   「いい馬がいるけど、どう?」

と連絡をもらいました。

火曜日が定休日なので、息子のSHIが見に行くのに同行しました。

行く先はヤマハつま恋乗馬倶楽部
オリンピック出場経験のある選手が3名もいます



暑いので、なるべく早い時間に乗ろうと9時に到着
先方もお休みなので、ゆっくりお茶をご馳走になっていると2頭のうまが出てきました。


青鹿毛のバランスの良い馬と、鹿毛の元気そうな馬が出てきました。
こういうときは、最初向こうの人が、乗って見せてくれます


青鹿毛のほうに早速SHIが乗ってみることにしました。


とってもおとなしくて、結構いい感じ


性格がよく、ある程度身体が柔らかければ、どんな馬でも「とりあえずセントジョージ」くらいまでならナンとかなります。


駈歩も上手で、2人の意見が珍しく一致しましたので買うことにしました。


その子が、昨日到着しました。初めての場所なのに怖がりもせず、堂々としたものです


平成16年生まれ セン馬



最初スタッフが乗っていろいろテストをしてから会員さんにのってもらいますので、皆さんに乗ってもらうまでに少し時間がかかりますが待っててね


新入り君、よろしくお願いします。












マリオンとオルフェ

2008年04月10日 | うま


雨です。

今日のラ・シュボーシエはとても静か。たまっていた事務処理をすることができ、やっとブログを書く時間ができました。

昨日(正確には今日)の夜中の1時に馬が到着しました。広島から名古屋に転勤でこられた方の馬です。7時間近く馬運車にゆられてお疲れさまでした。




さて、先にご紹介したオルフェ(元フジマサミラクル)ですが、調教が順調に進んでいます。今丁度、スペインからトレーナーがひと月半ほど来てくれているので、これ幸いと調教をお願いしてしまっています。

基本のトレーニングは思いのほか時間がかかるので、とっても助かります。
私が3ヶ月かかるところを彼は1週間でやってしまいます。


競馬で早く走ることだけ求められていた馬に、今度は人といっしょに動くことを教えていくには時間がかかります。


「この脚は速歩して、という意味だよ」
「少しずらせて使う脚は右駈歩してね、という意味だよ」
「手綱を握ったら、減速してということ、内側の脚で押したら、外側へ行くんだよ」

などなど、心の中で語りかけながら教えていきます。調教の段階では力も必要になってきます。非力な私は、そういう時補助道具を上手に利用するようにしています。


もう3種の歩度、リズム、真直性はかなりまとまり、速歩のカダンスも少し出てきました。







さてさて、どんな馬になってくれることやら、、でも楽しみです。





話は変わって、マリオンです。
今年8歳になりそろそろシニアの仲間入りですかね。お口の周りも白いものが増えました。


この子が子供の頃、馬場に落ちている長鞭(ムチ)を拾ってくるように教えたことがあります。

本人(犬)この作業をとっても気に入っていて、今でもうきうきと持ってきてくれます。思い返せば、これを教えるとき、いつも褒めていたように思います。
「マリちゃんすごいね!上手だね!」と。

おだてて教えたことは、とっても得意げに披露してくれます。今でも落ちているムチをくわえて「どう、マリちゃんすごいでしょ!」と持ってきてくれます。





ほめて教えること、とても重要です。