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普段色々考えていることの日記です。

映画「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」

2008年05月23日 | 映画・DVD
ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女 [DVD]

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あの街灯と、東の海の岸辺に立つケア・パラベルの大きな城との間は、いたるところナルニアです。

映画「ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女」

とりあえず復習をかねて第1章の感想を

ナルニア国物語の映画化はあまり期待していなかった一人でした。
なんていいますか「LotR」の映画化でがっくりきてしまった一人だったので。
何ですか? あれは?
『指輪物語』はドラゴン・クエストの映画化じゃないんですよ。
世界に冠たるファンタジー文学を舐めてるんですか!
とまぁ、かなり腹立たしく感じていたので、『指輪物語』と並び称される『ナルニア国物語』の映画化なんてもはやジブリしか無理なんじゃないかと、そんな気分でした。
で、そのジブリも『ゲド戦記』でこけ、もう、ファンタジーなんて『ハリポタ』や『LotR』の二番煎じで食って行けよと投げやりな気分。

そんな時、ふと入った本屋で『ナルニア国物語』の予告をやっており、その予告に総毛立ちました。
ええっ! 何これ? むっちゃ面白そう!?

ちょっとね、ピーターの「For Aslan!」の雄叫びにそこはかとない不安は感じましたが、でも出て来るキャスト、ペベンシー4兄弟は元より白い魔女役のティルダ・スウィントンとか、タムナス役のジェームズ・マクアヴォイとか、何だかイメージどおりのキャラみたいなのです。
うわぁ、これは期待もてそう~……でも、ディズニーか~
というちょっぴり不安、大分期待で観に行きました。
珍しく公開初日に。
(「ハリポタ」や「スター・ウォーズ」、「指輪物語」でもやったこと無いのに)

で、で、で、で。ですよ。
カッコーンとこの映画の素晴らしさにやられました。
まず、まったく子供にこびていない作りです。
子供って、どこかいい子ぶりっこでいたいんですよ。
周りは悪い奴でも自分だけは良い子でいたい。
それが子供なんです。
そんな子供が好む映画とは「ハリー・ポッター」とか「ドラえもん」などです。
分かりますよね。
ハリーものび太も良い子なんです。
だけど、周りに悪い奴らがいるからいじめられちゃうんです。
しかも要領が悪いから大人も理解してくれなくて。
で、「助けてドラえも~ん(ダンブルドア~)」なのですよ。

ところがこの映画「ナルニア国物語」、次男エドマンドがダークサイドへ行っちゃうのは当初から分かっていた設定でしたが、長男ピーターも長女スーザンも次女ルーシィもまったく良い子ではないです。
まず、長男ピーターは両親と別れて疎開する責任の重圧からつい高圧的な態度をとり、次男エドマンドを追いつめてしまいます。
長女スーザンは、こちらも長女としての立場の重圧からエドマンドやルーシィを気遣う余裕もなく、さらには日頃のうっぷんを長男ピーターにぶつけてしまう。
次女ルーシィのみが、子供ということもあって若干純真な部分がありますが、一人で衣装ダンスへ入っちゃうのはやはり兄や姉に対して優位に立ちたいという気持ちの表れでしょう。
時々彼女のこまっしゃくれた言動にカチンときたのは私だけではないはず。
私は長女なので、ルーシィの気持ち以外はすべて何となく理解でき、映画開始10分でこの四兄弟に感情移入していました。

そしてそして、その兄弟の心の間隙を狙うかのようにやってくる白い魔女の甘~い誘惑。
次男エドマンドは絶対ターキッシュ・デライトに魅了されたのではありません。
ピーターよりも偉くなれるという言葉に魅了されたのです。
この気持ちはさすがに上に兄弟がいないので分からないのですが、妹に聞くと「あ~分かる~」って言っていました。
「いつか、ぎゃふんと言わせたるって。それさえ出来れば何でもするって思ってたもん」だそうです。
もう、ピーターじゃないですが、「あいつ、殺してやる」な気持ちですよ。

このエドマンドが裏切った時のピーターの気持ち、ものすごく分かるんですよ。
自分に逆らうためだけに魔女側に付いたあいつ、殺してやる。
今まで魔女に会ったことを黙っていたあいつ、殺してやる。
みすみす魔女の甘言に乗ってしまったあいつ、殺してやる。

なんて言うんですか、エドマンドが自分の言うことを聞かない事への腹立ちと自ら危険へ飛び込んでしまっているその無知さ加減への腹立ち、こっちはエドマンドのことを死ぬほど心配しているのにそれを知らない事への腹立ち、そしてみすみすエドマンドを白い魔女の元へとやってしまった自分への腹立ち。
そういったものがぐるぐる渦巻いているんですよ。
で、それが渦巻いているのはスーザンも同じ。
だけどスーザンにはお兄ちゃんがいるから、ついお兄ちゃんへ責任転嫁したんですね。これはスーザンのピーターへの甘えです。
それが分かっているからこそ、アスランに会った時、兄が反省している姿を見てスーザンも反省するのです。
このピーターとスーザンの気持ちは妹弟たちには分からないだろうなぁ。と思って観ていました。
何よりも弱冠17歳で一家の大黒柱にされてしまうこととか、そんでもって親元を離れなければいけない不安だとか覚悟だとか責任感だとかは長男しか味わわないのです。
これは試しに妹とか末っ子の友人たちに聞いてみたら、「そんなん、そっちが勝手に感じてるだけやろ? うちらは別にそんな責任感とか感じてもらわんでええのに」と言われたことでも分かります。
「いや、そう言われても、感じるのが長男で……」と説明しましたが、「そりゃ、アホなだけや」と一蹴されました。
え~と、その、うん。君たちがそう言えるのも長男が責任とか覚悟とかそういうのを背負っているからだよ。分かる?

一方エドマンドも、実は本心から兄たちを裏切る気はなかったのでしょう。
何て言いますか、兄たちが会ってもないくせに「白い魔女は悪」と決めつけているのがむかついたんだと思います。
だから会いに行った。自分の正しさを証明するために。
そしてそれが証明された時は、兄弟が自分の家臣となる時なのです。

原作のエドマンドは悪い子と設定されていますが、映画のエドマンドは決してそうではありません。
誰でも14,5歳の時ってこんな感じじゃなかったでしょうか。
「中二の夏」なんて言葉があるとおり、子供から大人へなる時期の精神的に不安定な頃。
ただひたすら、誰かに反抗したくて。
ただひたすら、誰かを傷つけたくて。
そういう自分自身の衝動を抑えることが出来なくて、そんな自分に自己嫌悪しながらどうすることも出来ない。
まぁ、結局エドマンドはお兄ちゃんとお姉ちゃんに甘えたかったんだと思います。
自分の中に渦巻いている理不尽な怒りをぶつける相手が欲しかったんだと思います。
こういう理不尽な怒りをぶつけても父親と母親なら何とか受け止められたと思います。
ですが、ピーターもスーザンもまだまだ子供。
エドマンドの心の中でうずいているどうすることも出来ないうっぷんを受け止めることが出来るほど大人じゃなかったのです。
だからエドマンドは魔女を求めたのだと思います。
父や母や、兄や姉の代わりに甘えることが出来る存在として。

これは、結局間違いでした。
それもとんでもない間違い。
さらにその間違いのために自分以外の者の命も奪われてしまいます。
そして兄弟にも危機が。
この白い魔女の城でタムナスさんと会う演出は映画オリジナルのシーンですが、とっても良かったと思います。
自分の欲望に従ったために引き起こした事態への責任を一番感じたのがエドマンドだったでしょう。

さて、責任とか覚悟とかを先に言いましたが、この四兄弟を救うためにナルニアの民たちが払った犠牲はあまりにも大きすぎました。
多くの血が流れ、多くの者が石になりました。
初めは関係ないと言っていた4兄弟ですが、自分たちを救うために命をかけるナルニアの民を見て、「責任」という言葉が頭に浮かびます。
このまま私たちは帰って良いのだろうか? 
私たちが彼らの希望だから、彼らは命をかけてくれている。
その期待に応えるためには?
とうとうアスランまで四兄弟のために命を捧げます。
こうなったら覚悟を決めなくてはいけません。
アスランが愛したこの国をアスランの代わりに守るために四兄弟は立ち上がります。

この覚悟を決めた時の四兄弟の表情はものすごく良い表情をしています。
彼らは普通の少年少女で、ナルニアにはたまたま足を踏み入れた何の力もない子供達かもしれません。
ですが、ここで覚悟を決めることが出来る勇気こそが、彼らがナルニアの真の王と女王と呼ばれる由縁なのだと私は思います。
普通はやっぱり帰るって言いますよ。
下手したら余裕で死ねるんですから。
またまがりなりにも勝てたとしても、その後この国を治めることは出来るのでしょうか。
ロンドンの親は一体なんて言うでしょう。
カーク教授は?
そもそもただの子供に国を治める能力があるの?
でも、それでも逃げるわけに行かないと彼らは大地に足を踏みしめて戦います。
子供だからと逃げることなく、最前線で。

そして何とか魔女を打ち倒しますが、エドマンドが重傷を負います。
この時のピーターがものすごく良い表情をするのですよ。
第1章で私が一番好きな表情かもしれない。
ルーシィの薬で治ると分かっていながら、心配で心配でたまらない顔。
この戦いにエドマンドを参戦させた自分への後悔とか、頭に血が上り魔女を倒すことだけを考えてしまいエドマンドの手当へ駆けつけなかった自分への懺悔とかそういったものがグルグル回っていて、もう泣き出す一歩手前という顔。
うわぁ、分かる。うわぁぁ、分かるよお兄ちゃん!
うちも妹がタンスに上って遊んでいた時、「何アホなことをしてるんや」ってほったらかしにしていたせいで、妹がタンスから落ちて腕を骨折した時こういう気分やった。
ただの骨折やって分かるまで心配で心配で。
ちゃんと注意しなかった自分を責めて責めて。
で、腕をギプスでグルグル巻きにした妹に「ごめんな」と謝れば、「何で謝るん?」と言われ、ホッとしたのと同時にガックリきたんだけどね。
ピーターじゃないけど、「もうあんなアホなことはするな」と言えば良かったです。

とまぁ、こんな感じで私は第1章は四兄弟に感情移入しまくりで見ていました。
と同時に、子供が持つ特有の「悪」を良く表現したなと思いました。
これは原作がすごいのか、映画がすごいのかよく分かりませんが、まぁどちらもすごいんだと思いますが、この子供の悪を映画に盛り込んだのはすごいと思います。
兄弟なんて仲良さそうに見えてその実はどろどろだよ~とか。
子供って無邪気そうに見えてその実は邪心だらけだよ~とか。
よく子供は無垢だって言いますが、子供ほど欲望にまみれた生き物はいませんからね。
ただ、子供には大人にある駆け引きを知らないだけで。
そういうのをよく見せてくれたなぁと思います。
しかもあくまで子供向け映画というスタンスを崩さず。

だからこそ、この映画は人気がないのかなぁとも思いました。
やっぱね、子供からするとハリーとかのび太とかが異世界で不思議なアイテム使って大活躍する方が観ていて楽しいからね。
そして大人はハリソン・フォードとか悟空とかのように自分の拳で悪い奴をぶっ飛ばす方がスカッとするからね。
でも、色々なサイトの感想をのぞいていると、高校生とか中学生とか思春期真っ盛りの人が、このナルニアの映画見てはまったと言ってくれていて。
そういう感想の人たちは、ルーシィに感情移入したとか、エドマンドは僕と同じだとか、スーザンの言っていることは当然だとか、ピーターの気持ちが理解できるとか、それぞれ自分と近い位置にいる人に感情移入して好きになってくれているみたいで、ものすごく嬉しかったです。
って、私が作ったんや無いけど。

次回はちゃんと第2章の感想です。


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