知ってるよ
この瞳に
映っているものは
すべて
まやかし
欲しいと願うものも
それを手にした瞬間
色褪せ
温度を失う
要らない
何も要らない
そもそも
ないのだから
それが
生きるということ
そして
そんな要らないはずのものたちを
要るということにしたり
要るということにさせられたりして
塗り固めたもの
それが
生活
何もないものに
期待し
傷つき
怒り
喜び
翻弄され
翻弄されてるふりをする
意味などない
苦悩などない
何もないのに
ただ
どうしてだろう
すべてを諦め
諦めたいと願うこの瞳に
映る落ち葉の美しさ
何も聴きたくない
聴こえないと願うこの耳に
すっと馴染むアコギの温かいメロディ
どうしてだろう
色褪せた世界に一瞬
光が射す
わたしは生きている
色を失った
執着のない生活の中で
諦めたと思っていたものに色を与えたがる光を
わたしは待っているのだろうか
望むこと、求めることはエネルギーなんじゃないですかね・・・;
"何か"で補完しなくても自分を成立させられるのは、優秀な自我だと思いますが、求めることを否定するのはストイックすぎる気がします。
自分を満たしてくれるものがないなら、「ソレはどこかにある」と信じて探し続ける探求者でありたいな と思ってみたり・・・。
あっこさんにいいことありますよう(・・)ノ
求めることは
ゆーしーしーの言うとおり
生活する上でのエネルギーだね
だから私は
生活するのにバテてるのかも
望んだり
求めたりっていうことが
あんまりないからね
求めることを否定してるわけじゃないのよ
そもそも求めていないというか…
わたしの生きる目標があるとすれば
それはただ「生きること」かな
そうなる日が来れば
きっと楽になるだろうなって思う