acco ZONE

コトバにしなきゃ伝わらないこともある
コトバにしなくても伝わることもある
accosのつらつら日記

ローカルバスに乗っていたいのに

2015年11月07日 | インド
デリーには

鉄道

バス

メトロ

リキシャ

オートリキシャ

イーリキシャ(電動オート)

シェアオート(相乗りオート)

といった移動手段がありますが
私が一番好きなのはバスです


鉄道は
市内の路線が整備されていないようだから
中長距離の旅行以外では使わない


メトロは
エアコン効いてるから快適だし
渋滞がないから移動時間が節約できるけど
いつも満員だし乗客のマナーが悪すぎて
毎回イライラするから好きじゃない
(実際一番使ってるのはメトロ)


リキシャは
人力だからあまり遠くまで行けないけど
近距離の時はよく乗ってる


オート類は
他に手段がない時には使う
日本のタクシー的な感覚で乗れるけど
おっちゃんと一対一になるのも何か嫌だし
距離がわからない時の交渉も面倒だし高い


バスは
何より安いし
窓から見えるローカルな風景とか
乗ってる乗客たちもそうだけど
素朴なインドを味わえるような気がするから
何となくホッとするんだよね

時間に余裕がある時は
気分転換のつもりでよく乗っている

いつも混んでいるし
スリも痴漢も多いから
すごく気をつけなきゃいけないけど


という感じで
かなりのバス贔屓の日々を送っていたんですが


先日

私としたことが



バスで
財布を盗まれてしまいました



デリー人ですら被害に遭ってるのに
ただでさえ狙われやすい外国人が
気を付けなくていいわけない


のに


その日の私は
ちゃんと注意していなかったのです


お金(全然ないのに)ある風な態度を
気づかないうちに取るようになってしまっていたのか


とか


弛んでいるんじゃないのか


とか


自分はそんな被害に遭わないと
高を括って調子に乗ってたんじゃないのか


とか


気づかないうちに
身なりが派手になっていたんじゃないのか


とか


自業自得なだけに
かなり考えさせられました


そして初めて
バスに乗るのが怖くなりました


これまでは
最低限の注意は払いつつも
できるだけ現地に根付いた生活を送ろうとしていたのに


今回の一件で
すっかり怖気づいてしまっているのです


この流れで生活の幅を狭めることはしたくありません



自分の素行を見直し
身の丈に合った生活をしつつ

現地の人を尊重しつつ警戒しつつ


自分の中で
しっかりバランスを取って
生活していかなくてはいけない


割と切実に思う
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責任と判断

2015年11月07日 | つらつら
デリーは
インドの首都だけあって

近隣の州からの労働者だけでなく
様々な人種と様々な境遇の人々が生活する街

そんな場所で生活していると


「あの人はあのカーストだね」


とか


「あの人はどこどこ州の出身だね」


とか


「あの人はどこどこの言葉しゃべってるね」


とか

そういったことは深く濃く
人々の価値観として
当たり前に存在しているんだなって
肌で感じる


だって
名前でわかるし
顔でもある程度わかるようになっている


それを隠すために
敢えて通称の苗字を変える人も多い


(インドでは
戸籍の登録等も全然整備されてなくて
誕生日だって自分の都合で公言できる

二つ誕生日を持つ人もいる)


今でも
同じカースト内でのお見合いが
一般的な結婚の形態なのだから
そういう意識が強く残るのも
容易に想像できる


だからこそ
家族や親戚同士の関係が濃いんだろうなと
つくづく感じる今日この頃



ちょっと前から
日本に帰国していて
縁もゆかりもない東京に滞在しているんだけど

東京は特に
本当にいろんな人がいるね

外国人だけでなく
日本人でもいろんな人がいると
ここでは改めて感じることができる

当然といえば当然


だって
人間みんな違うんだもん


以前は


同じ日本人だから


とか


同じ日本人なのに


とか

漠然と感じてた


でも今はわかる


みんな違うんだって


日本っていう国のくくりだって
誰かの利益の為に分けられてるだけ

究極を言えば
人類というくくりだって
人類に分類されている「ヒト」が
利己的に分類してるだけ



司馬遼太郎を読んでいる


日本人の起源とか
日本語の起源とか
そういったトピックに関する
対談形式の書物なんだけど

非常に興味深いよ


難しくて
さっぱりわかんないとこも多いけどね


根本的に
血とか遺伝とか
そういったレベルで
人は一人一人違う


そういうことを
改めて考えさせてもらっている



そういう社会の中で

自分がどう生きていくか




考えなきゃいけない


というか
それをしっかり考えなきゃ
生きていけない



テレビの放映だって

ネットの情報だって

国の代表者の会談だって

何だって

誰かの利己的な考えに基づいて行われてるだけ



あぁ

私たちは踊らされてるなと


改めて感じるわけですよ




だからこそ


自分のことは自分で判断しなきゃいけない


どこかの情報に乗っかるにしても
自分の判断で乗っからなきゃいけない


私はそう思う





自分の生活を丁寧に生きる


改めてその大切さと

難しさを痛感する日々でございます
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