マイヤ・プリセツカヤがバレエ化を熱望し、振付をキューバのアルベルト・アロンソに依頼、1967年にボリショイ劇場で初演となった一幕ものの「カルメン組曲」が、スタジオテイクで収録されています。この他、「瀕死の白鳥」をはじめ、「ライモンダ」「プレリュード」の一場面の映像がおさめられています。
パッケージとメニュー画面(詳細なし)は日本語ですが、映像内の演目・ダンサー名はロシア語です。
ただ、映像のみで、インタビューなどはないので、ロシア語がわからなくても問題ありません。
映像はいいとは言えませんが、充分鑑賞できました。
(私は映像がよくないとだめな質なのですが。)
■1971年 ソ連作品
■収録作品
○瀕死の白鳥(音楽:サン・サース)/マイヤ・プリセツカヤ
○ライモンダ(音楽:グラズーノフ)/マイヤ・プリセツカヤ、ニコライ・ファデーチェフ
○プレリュード(音楽:バッハ)/マイヤ・プリセツカヤ、ニコライ・ファデーチェフ
○カルメン組曲(音楽:ビゼー/シチェドリン、振付:アルベルト・アロンソ)/マイヤ・プリセツカヤ、ニコライ・ファデーチェフ、セルゲイ・ラドチェンコ、ナターリア・カサートキナ
昔、マイヤ・プリセツカヤの特番で、若手ダンサーにカルメンのオープニングを指導しているシーンが映りました。
「音にあっていない」と何度もやり直させていました。
とうとう、普通の洋服に普通の靴のプリセツカヤが実際に踊ってみせたんです。
度肝を抜かれました。
言葉では言い表せないです。
カルメンとはかけ離れた格好をしているのに「カルメンだ。。」でした。
スタッフも拍手喝采。
それ以来、プリセツカヤのカルメンが観たかったのですが、なかなか巡り会えず、プティの「カルメン」(パリ・オペラ座バレエ。Kバレエカンパニーもプティ版でしょうか。)を観ました。
全然悪くないのですが、なにか違う。。
根気づよく探して、ようやく見つけたDVDです。
「カルメン組曲」については、パリ・オペラ座バレエやKバレエカンパニーのとは、まったく別物。
抽象的でした。私は魅入りましたが、好き嫌いというか、得手不得手みたいなものがあるかもしれません。
この他、「瀕死の白鳥」「プレリュード」、そして大好きな「ライモンダ」。
こちらは、おそらく、皆さんが堪能できると思います。
【マイヤ・プリセツカヤのプロフィール】
1925年11月20日生まれ。ユダヤ系。1938年、父親が処刑、母親が強制送致され、叔母の養子に。1943年、バレエ学校卒業、ボリショイ・バレエに入団するが、コールドを経ることなく、プリンシパル・バレリーナに採用される。1958年、作曲家ロディオン・シチェドリンと結婚。1960年、ガリーナ・ウラノワ引退後、ボリショイ劇場のプリマ・バレリーナに任命される。
パッケージとメニュー画面(詳細なし)は日本語ですが、映像内の演目・ダンサー名はロシア語です。
ただ、映像のみで、インタビューなどはないので、ロシア語がわからなくても問題ありません。
映像はいいとは言えませんが、充分鑑賞できました。
(私は映像がよくないとだめな質なのですが。)
■1971年 ソ連作品
■収録作品
○瀕死の白鳥(音楽:サン・サース)/マイヤ・プリセツカヤ
○ライモンダ(音楽:グラズーノフ)/マイヤ・プリセツカヤ、ニコライ・ファデーチェフ
○プレリュード(音楽:バッハ)/マイヤ・プリセツカヤ、ニコライ・ファデーチェフ
○カルメン組曲(音楽:ビゼー/シチェドリン、振付:アルベルト・アロンソ)/マイヤ・プリセツカヤ、ニコライ・ファデーチェフ、セルゲイ・ラドチェンコ、ナターリア・カサートキナ
昔、マイヤ・プリセツカヤの特番で、若手ダンサーにカルメンのオープニングを指導しているシーンが映りました。
「音にあっていない」と何度もやり直させていました。
とうとう、普通の洋服に普通の靴のプリセツカヤが実際に踊ってみせたんです。
度肝を抜かれました。
言葉では言い表せないです。
カルメンとはかけ離れた格好をしているのに「カルメンだ。。」でした。
スタッフも拍手喝采。
それ以来、プリセツカヤのカルメンが観たかったのですが、なかなか巡り会えず、プティの「カルメン」(パリ・オペラ座バレエ。Kバレエカンパニーもプティ版でしょうか。)を観ました。
全然悪くないのですが、なにか違う。。
根気づよく探して、ようやく見つけたDVDです。
「カルメン組曲」については、パリ・オペラ座バレエやKバレエカンパニーのとは、まったく別物。
抽象的でした。私は魅入りましたが、好き嫌いというか、得手不得手みたいなものがあるかもしれません。
この他、「瀕死の白鳥」「プレリュード」、そして大好きな「ライモンダ」。
こちらは、おそらく、皆さんが堪能できると思います。
【マイヤ・プリセツカヤのプロフィール】
1925年11月20日生まれ。ユダヤ系。1938年、父親が処刑、母親が強制送致され、叔母の養子に。1943年、バレエ学校卒業、ボリショイ・バレエに入団するが、コールドを経ることなく、プリンシパル・バレリーナに採用される。1958年、作曲家ロディオン・シチェドリンと結婚。1960年、ガリーナ・ウラノワ引退後、ボリショイ劇場のプリマ・バレリーナに任命される。
大人のバレエで検索。楽しみにちょくちょくおじゃましています。名前のように、老いの一念で、ウン十年ぶりにレッスンに励んでいます。
マヤ・プリセツカヤは「カルメン」「瀕死の白鳥」「小犬を連れた貴婦人(?)」でしたか、舞台を実際見ています。カルメンは肉感的で大人の色気があり、足の美しさが印象に残りましたね。ロシア文学を題材にしたバレエをやりたかったようで「子犬を」ではユーリー・ソロビエフと白いロングドレス、青いサッシュの衣装で幕が下りるまでくるくると抱き合うラストは官能的でした。またおじゃまさせてください。