阿部卓馬ブログ

北海道新ひだか町サポート大使のシンガーソングライターです。ライブ告知、活動情報などを中心に更新しております。

コラム:お芝居と現実

2012年01月04日 | ひとりごと
少々遅くなりましたが、皆さま明けましておめでとうございます!
本年もアベタクこと阿部卓馬をよろしくお願いいたします!

少し遅くなったのは、年末年始の暴飲暴食が祟ったのか、2日より丸二日間、急性の胃炎?によりほとんど寝込んでおりました…。
ちょうど読みたい本があって読書でも…と思ったのですが、痛みの中では読書も思うように捗らず…。
今年の抱負で「業を減らす」と言っておきながらいきなりの自業自得に、これは何かの戒めだろう…と思わずにはいられませんでした。
今はだいぶ体調も戻ってます(^^)

さて、しばらくこちらのブログでは業務連絡ばかりが続いておりましたが、超久しぶりに個人的コラムを。
「お芝居と現実」と題しましたが、昨年12月に市民劇団ど・こ~れ新冠という劇団に参加させていただきまして、いろいろと思うところがありましたので、少し書いてみようと思います。

皆さんも保育園から中学生ぐらいまでの間、お遊戯や演劇などでお芝居に関わった方は非常に多いと思います。
演劇とは、舞台を使ってそこには無い架空の現実を作り出して、観ているお客さんをその世界に引き込み楽しませる、というものです。
テレビドラマや映画というものも、二次元の媒体を使う演劇、と言えるではないでしょうか。

配役を割り当てられた人は、素人から著名な俳優に至るまで、その人の技量やそのお芝居に対する気持ちの度合いによって、意識的にその役を演じようとするでしょう。
そのお芝居を観ている人々は、熱演する俳優に魅せられると、あたかも現実を目の当たりにしているかのような気持ちでその世界に引き込まれます。
それとは逆に、演じる側が恥ずかしがったり、やる気のない風なお芝居をすれば、観客たちは自分たちの現実に引き戻され、そのお芝居には入り込むことができなくなったりします。
舞台の配役には、現実世界と同様に様々な役柄がありますが、その役柄によらず上手い役者のお芝居は人々を魅了します。

さて、私たちはお芝居に魅了されるとき、何に魅了されているのでしょうか?
もちろん、観客の役者に対する好き嫌いを含めると贔屓の部分があるのは否めませんが、それを差し引いて魅了するものとは?
それをひとつ、私の独断と偏見で申し上げると、それは「意識」を向ける姿、であるように思います。
その役者がその役柄に意識を集中して、なり切っている姿は、それがたとえみすぼらしい役であったとしても、人々を引き込むことでしょう。
演劇やドラマ、映画では、演じる側と観る側がはっきり分かれていますので、観客はその世界にさらに引き込まれ感情まで揺さぶられるでしょう。

一転、現実世界においても、同様のことが言えると思います。
簡単な例では、スポーツが良い例で、プレーに集中する姿は老若男女問わずに人々を魅了します。
また、非常に技巧的な職人技や、大道芸やサーカスなどの息詰まる演技なども、観ている人々を魅了するでしょう。
さらには、日常的な風景では、仕事に集中して取り組んでいる人や料理を手際よくこなす人なども、観る側が意識的に観れば魅了されると思います。
しかし、日常においては、多くの人々が自分のことに集中しているため、他人のことを意識的に観る機会が少ないので、日常的なものに魅了される機会を失っている、とも言えるかもしれません。
また、自分のことに集中している、と言っても、それが意識的な行為や動作で無い場合は、やはり他者を魅了することはないのではないでしょうか。

ではなぜ現代の日常では、自分の意識的な行為や、また他者を意識的に観ることが難しいのでしょうか?
私の尊敬する五井野正博士が、月刊「ザ・フナイ」2011年11月号で述べていらっしゃることを要約しますと、現代の社会は意識を保つのが非常に難しく、ほとんどの人の意識は大脳に移行して欲望と結びついてしまっているため、大脳による欲望でもって行為や判断を行ってしまっている、とのことです。
例えば、もうおなかは一杯なのに、美味しそうな甘いものが目の前に来ると、「甘いものは別腹」と食べてしまうのは、大脳の欲望が優先して判断して行為を起こしてしまっている、というものがあります。
それと関連付けて考えますと、例えばお芝居で、自分の演じたい役を選べるとして、「おなか一杯なのに、甘いものが目の前に来ると『別腹』と言って食べてしまう女性」という役を与えられれば、誰しもそういう役はイヤだと思い、断って別なもっとカッコいい役を希望するでしょう。
なぜなら、役を選ぶ段階は、自分がどういう役を演じるか?ということを意識的に考えている段階であり、そのようにしてしまうことを避けているからです。
しかし現実は、その意識的に役を選ぶ段階を経ずに、「おなか一杯なのに、甘いものが目の前に来ると『別腹』と言って食べてしまう女性」を演じきってしまっていたりします。
結果的にそういう姿は、周りから観ても意識的な行為ではなく欲望的な行為であるため、人々を魅了することなく終わってしまうでしょう。
また逆に、ものの見方が欲望的になってしまうと、他者やいろいろなものに対して自分の欲望に応じた好き嫌いのレッテルを貼ることになり、見境もなくガツガツ食べる人を見れば、自分も同じように食べたくなるか、その人に対して嫌悪感を持つかもしれません。
しかしそういう状態は、自分が見たものに少なからず影響されているわけで、意識的にそういった人を観れば、その出来事から何ら影響を受ける必要が無いことが分かるはずです(言わば、その人の業が観える?ということでしょうか)。
もし人や出来事を意識的に観ることが出来ないならば、そこに欲望があればそれにつられて欲望を起こし(または嫌悪感を催し)、怒りには怒りで返し(または内的な嫌悪感(暗い気持ち)となり)、いろいろなものに対する反射的な影響を受けやすくなる、とも言えるかもしれません。

…結局何が言いたいのか?というと、自己の内部(大脳)から欲望が現れたら意識的にそれを止め、また自己の外部(他者やいろいろなもの)から欲望(怒り)が来たら意識的にそれを遮断し、本来の人間的意識から来る行為を最優先に出来ないものか?という自問自答(?)でした。
その一つの取っ掛かりとして、お芝居と現実、ということを考えてみましたが、なぜお芝居かと言えば、意識的に活動する多くの人々で構成される社会というのは、それ自体が楽しいお芝居のように観えるそうで、過去のそのような社会といえば、日本の江戸時代がとても素晴らしかった、ということなのです。
なぜ江戸時代の人々が意識が高かったのか?リサイクル文化を作り上げた江戸の文化の魅力とは?といったようなことを、これからこちらのブログでも取り上げていきますのでどうぞお楽しみにです(^^)



さて、皆さんは今年どのような役柄を演じたいですか?
あなたが思う、意識的に、また継続的に演じ切れたら素晴らしい役柄とはなんでしょうか?
年の初めに、ちょっとしたコラムでした。

私はさっそく、「年末年始の誘惑につられて、暴飲暴食をしてお腹を痛めしばらく苦しむ役」を演じ切ってしまい、自戒しているところです(^^;)

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2 コメント

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あけおめです (たかしなひろゆき)
2012-01-05 20:49:15
遅れ馳せながら明けましておめでとうです♪

今回のコラム、大変興味深く読ませてもらいました(*^_^*)

けど、読み進めていくうちにだんだんコンガラガッてきて何度も読み返しました(^_^;)


凝り固まった自分の脳味噌に違ったアングルの切り口で新鮮な風を吹き込んでくれましたo(^-^)o

またおせーてね☆いい話♪
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コメントありがとうございます(^^) (アベタク)
2012-01-05 22:10:22
> たかしなひろゆきさん

あけましておめでとうですー(^^)
しっかり読んでいただいて感想までいただけると書き甲斐があります(^^*)

自分も書き進めていくうちに、「ちゃんとまとまるだろうか?!」なんて思ったりしてますが(笑)
いろいろ物事を振り返る良いきっかけになっていただければこれ幸いです(^^)
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