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Real Reality in a Dream

「夢の中のリアルな現実」?? …その肌感を求めて彷徨う日々の記録

信じることの意味

2007-01-14 13:04:52 | think
「様々な外側から入ってくる情報には、左右されるべきではない」と考えて生きてきた。誰がどう言おうと、自分が見てきたその人の姿、聴いてきたその人の話、その人といて感じてきたこと・・・それらだけを、信じればよい。
むろんそれは時には、「騙されることの意味」と同義だ。そのことはわかっている。
しかし、大事なのは、その人が僕に対して見せてきた姿は、少なくとも「僕に対してそう見て欲しいと願った姿」であり、また、僕がその人から感じ取ってきたものは、少なくとも「生身のその人から発せられていた空気を、<僕が>感じ取った」のだ。

つまり、「人を信じること」は「自分を信じること」と同義であり、そこには、「事実」と呼ばれるものとはまた位相の違う「真実」がある。

人は、あらゆる場面に於いて常に同じ人では、ない。
そして、例えば、物理的に24時間一緒にいたとしても、その人の全ては、そこだけにあるわけではない。

たまに揺らいで自信がなくなりそうになるけれど、でも、あらゆることを疑って生きることの不健康に比べたら、自分の判断力と感覚を信じて生きていくことの方が、自分にとってより意味があるだろう。

周囲の人間が鳴らす雑音には揺るがないこと。それがつまり信じることだが、一方で、宗教的なものを盲信するのとは、確実に一線を引いておく必要があろう。
拠りどころとすべきなのは、自分の勘と経験と、そして何よりも、感覚。

・・・That's the game of life, isn't it?

まぁ、女の子はいつも、往々にして嘘つきだけどね。でもそれは別に、悪いコトじゃない。

みんなノイズを聴きたがる

2007-01-14 00:09:53 |  -feel/readings
そういえば、ふと思い出した。
須藤晃という人が書いた本に『みんなノイズを聴きたがる』というのがある。
彼は、尾崎豊、橘いずみ・・・なんかのプロデューサーをやっていた人だ。
「音楽プロデューサーって何してる人なの???」みたいなことにブッチャケ応えつつ、彼の考えていることを思いのままに綴ったとても面白い本だったと記憶しているが、とにもかくにも、彼は言った。

「人は、ノイズを、雑音を聴きたがっているのだ」と。

「ノイズ」とは良く言ったもので、なるほどなぁ、と思う。
ノイズは、本来ならば不快であるはずのもの。でも、実はみんなそれを探していたりする。
・・・完璧に見えるものの裏側に潜む闇。幸福の裏の不幸、真実の裏の嘘、栄光の裏の欺瞞、信頼の裏の裏切り。

「みんな不幸を聴きたがる」なんて言い換えてしまうと、少しずれてしまうのかもしれないけれど、いずれにせよ、人は美しいものだけに惹かれるわけでは、ない。
・・・じゃあ、僕がここに書いている文章なんかは、それがわかっていてその上でやってるんだとすればある種の「露悪趣味」だよね、みたいな話にもなってくるかもしれないけれど、今回は敢えてそこはスルーで。(まぁ、でも、そういう部分も否めないのかも知れない。)

とにもかくにも、「自分よりも不幸な人がいることで喜ぶ」という類いの、不健康な幸福を、自身の生活を振り返って完全に否定できる人は、いないでしょう???
同情だったり、不可思議な共感を示してみたり、、、なんかそういう感じって、見ていて吐き気がするもんね。

恋愛中毒

2007-01-13 22:06:29 |  -feel/music
最近仕事をしていて、いろんな番組で聞いたり見たりする名前だなぁと思ってはいましたが、まぁ、そういう風になんとなく気になっているアーティストには、いつもどこかのタイミングでちゃんとその音楽に出会うことになるわけで。

中村中。なかむらあたる、と読むんですよね。
オフィシャルサイトはコチラ
サイトの中の本人のブログがとても面白いですね。「面白い」という表現が適切なのかどうなのかわからないけれど、ちゃんとモノを考えて生きている種類の人なのがコトバの端々からよくわかります。

『友達の詩』という歌やその歌詞なんかにも、けっこうやられてしまったりするわけですが、しかし、なんかそれを本人のセクシャリティ(sexuality)の話に回収してしまうような流れが世の中にあるのだとすると、正直それは相当違う気がします。むろん、本人から紡ぎ出されるのがコトバだから、無関係ではないのだけれど。

この歌は紹介されるときに「15歳で書いた」という修飾語が決まり文句のように付いてくるようですが、それも、例えば尾崎豊なんかを考えれば、若さと深さは・・・関係ないよね。

また、彼女は自身で「戸籍上は男で、しかし自分ではそのことに違和感があり、男という自覚はなく、かといって女としての実感もない」というその性同一性障害を告白した、ということですが、そのことが単なるゴシップ的な話題として先行することで彼女の音楽の捉えられ方が変わってしまう(あるいは一面的になる)とすれば、それはもったいないような気もするし、しかしまぁ一方で、奏でる音楽が本物であれば、そのうちそうした雑音も、消えていくのかな・・・なんてことも思ったり。

そんなこんなでNew Releaseの1st Album『天までとどけ』(2007.1.1 on sale)を聴きましょう。

Lesson 12

2007-01-12 23:57:31 |  -English training
年明けて1度目のLessonということで、少し久々。
ボチボチとビジネス会話っぽく、「クライアントや同僚に何かを提案したり、お願いしたり」的なのが今回のお題。
まぁ、実際に英語を使って仕事をすることはこの先ほとんどないだろうけれど。

それにしても、何かを言いたいときに「動詞」が浮かんでこないと、アウトですね。日本語でもそうだけれど、やはり、最低限の語彙は必要だということで・・・。

懺悔(その2)

2007-01-11 00:37:55 | think
記事が増えていくに連れ、何処かで一度使ったような気がするタイトルで書き始めてしまうような時が、近頃はつい、ある。
例えば、「懺悔」。(その1はコチラ。)

・・・何をそんなに懺悔しなければならないのかよくわからないが、しかしまぁ、思ったこと・考えたことは綴っておこう。

とにもかくにも、好むと好まざるに関わらず、人に影響を及ぼしてしまう立場なのだ。仕事でも、プライベートでも、それは変わらない。
いや、立場の問題だけではないかも知れない。そもそも、生きていくということは、人と関わり合っていくことである以上、人に影響が及ぶのだ。
だからこそ、相手よりも強い立場に置かれてしまっている状況下では、傲慢であってはいけない。
強い立場・・・仕事上の立場であれ、年齢であれ、性別であれ、あるいは知識であれ経験であれ、さらには財力であれ。

「これ以上人を傷付けたくない」と、大学に入りたての頃に、昔を振り返って思った。そして、人との深い接点を、極力排除しようとしたような時期もあった。

むろん、深く立ち入らず、また、深く立ち入らせないようにしていけば、そうしたリスクは多少は軽減されるのかも知れない。
しかし、それではきっと、生きていることにならない・・・と当時の僕も感じたのだろう。

だからこそ、言いたいことは言い、多少余計なくらいにちゃんとコミットする・・・という態度でやっていく。
でも、そんなときには特に、あまりにも上からモノを言って、ペシャンコにしてしまってはいけないのだ。
そこには常に真摯さが必要で、そして、同様に人から学ぶべきコトがたくさんあるということを、肝に銘じておく必要がある。

Good music can help me.

2007-01-10 01:03:05 |  -feel/music
不思議と、音楽がいつも以上に美味しく感じられるタイミング(いつもにも増して妙に心に染み入る感じのするタイミング)というのが、ある。
それは個人的には、往々にして、精神的に余裕がなかったり、少し弱っていたり、ココロの振れ幅が大きくなっていたりするときのような気もする。
メロディがカラダにスッと入ってくるというか、リズムがまっすぐにココロの芯をヴァイブするというか、リフが魂を切り刻むというか。

・・・そう、いつだって音楽はそこで鳴っていて、けっして僕を裏切らない。

burst

2007-01-09 00:30:18 | feel
・・・たぶん、もうすぐ、堤防が決壊する。
決壊すれば、押し留めてきたものが何だったのかが、おそらく、ハッキリするだろう。

場合によっては、素直にそれを認める勇気。
あるいは、それは本当に「流されている」だけなわけでは“ない”のかどうかを見極める冷静さ。

その両者をもって、向かうべき方向を判断することだ。

いま、決壊するに任せて良いかどうかには、まだ、確かに迷いがある。
というより、「疲れて、飽きて、放り出そうとしている」という見方も、出来なくはない気もする。

要は、バランスなのだ。
だが、心がバランスを崩して過度に反応しだしたとすれば、そこで何が起こっているのかを、見つめ直す必要があるだろう。
・・・どうやら、信号は、発せられている。しかしこれは、何を意味しているんだ???

2007年は、意外と、僕にとってまたある種の転機となるタイミングなのかも知れない。
とにもかくにも、自分の奥底からの声に、耳を傾けろ!!!

What for ?

2007-01-08 13:12:18 | think
「何故、どうして、何のために?」という例の問いが再燃するとき。
それは、やはりどこか自分を見失っているというか、あるいは、いわば踊り場的な場所に自分がいるということを、示しているのだろう。

「何のために」と問われたときに、人に対して話せる答えが出せている状況というのは、必ずしも健全なことではない。例えば「彼女のために」「子どものために」「仲間のために」「プライドのために」「お金のために」。それらの答えは、全て本当の意味での答えではない。その答えはいつも、どこかで無理をしていることを自覚しながらか、あるいは自分をも騙しているかはさておき、常に、胡散臭さを放っているから。

何度も言うように、「何のために」なんて「考えちゃいない」というのが、その問いに対する唯一の正解なのだ。
ただ、ただただ強がって僕がその正解を口にしようとするとき、そこには更なる欺瞞がある。

・・・「弱さ」だなぁ・・・。

どんなページもルー大柴ナイズ

2007-01-06 06:53:16 | weblog
世の中には面白い人達がいるモノで・・・。

まずは、こんなブログ。
 ルー大柴のキャッチキャッチキャッチ!
最近これを見つけて、このバカバカしさが懐かしいというかなんというか・・・と思っていたところに、さらにくだらないものを創った人がいて、いま話題沸騰中、とか。
 ルー語変換
どんなテキストも、一発でルー語(=ルー大柴が使うようなコトバ)に変換!!!

・・・いやはや、なんというか、逆にこういうことをマジメにやっちゃう人こそ、ホントに凄いなぁ、と思います。

こんな流れの中で、ルー大柴が再び大ブレイク、か???

「あれから3年」までもう少し

2007-01-04 13:56:32 | love
早くも「仕事始め」の日がやってきました。
ここ数日風邪をこじらせていてかなり調子が悪いのですが、とにかくまぁ、仕方がない。今年もなんとか頑張っていきましょう。


さて、年が明けてふと考えてみると、あの時「時間を空けよう」と言った彼女が、つい言ってしまった「例えば3年」の3年が、まもなく経過しようとしていることに気付く。
ふたりの距離感がまたバランスを崩し始めているのは、そんな時間の経過のせいでもあるのだろう。

結局僕は、その3年を、なんだかんだで待ってしまったことになるのだろうか。
「3年」は時間的な意味で「3年」を指しているわけではなく、「半永久的に」ということと同義だったハズなのにね。
・・・少し冷静にならないと、たぶん、また、苦しむことに、なるね。

螺旋階段はまだまだ続く。僕は登っているのか、降りているのか。