黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

法科大学院構想はきちんと「失敗」に終わるのか?

2012-06-12 14:30:33 | 法曹養成関係(H25.1まで)
 最近,気分転換にある漫画を読んでいたのですが,その漫画の主人公はとある女の子で,偶然にも「黒猫」という通称で呼ばれていました。その女の子は,コスプレや同人誌を書くのが趣味らしいのですが,その趣味が昂じすぎて,高校ではとんでもない自己紹介をしてしまい,クラスで孤立してしまいます。
「我は千葉(せんよう)の地に堕天せし女王にして闇の雛,かつての威光は夢幻の果てに,仮初の躯に宿りしは不屈なる魂,堕天聖黒猫よ,共に学びましょう」
・・・漫画のタイトルは敢えて書きません。これだけでも分かる人には十分過ぎるほど分かるでしょうし,分からない人には説明しても分からないでしょうから。ただし,次の2点だけはお断りしておきます。
 第1に,このブログで「黒猫」というハンドルネームを使っているのは,匿名ブログだったときの名残を引きずっているものですが,この漫画やその元になった小説とは全くの無関係です。ハンドルネームが被っているのは全くの偶然です。
 第2に,私が「黒猫」というハンドルネームを使っているのはネット上(基本的にはこのブログ)のみであり,リアル生活では使っていません。上記のような言葉遣いも使っていませんので,くれぐれも誤解の無いように。

 本題。最近「司法改革の失敗」という本も読みましたが,黒猫はこの本を読んで,司法改革は本当に「失敗」だったのか,という疑問を持つようになりました。
 「失敗」と言うからには,何か具体的な「成功」に向けて具体的な構想が存在し,それが事後的に発見された要因によりその構想が実現しなかったことが必要であると思いますが,法科大学院をはじめとする司法制度改革に関しては,そもそも具体的な「構想」自体があったかどうか怪しいのです。しかも,法科大学院構想については,これを主に推進していた勢力の思惑がそれぞれ大きく違うので,「失敗」と言えるかどうかの評価の視点も自ずと異なってくることになります。
 社会一般的には,法科大学院は今や「崩壊大学院」と呼ばれるほど深刻な制度破綻の状態に陥っており,もはや見直しは時間の問題と思われる向きもあるでしょうが,法科大学院構想の推進者たちが何を目論んでいたかを的確に考察しなければ,一向に悪いものが改善されないまま,ずるずると継続してしまうような予感がしているのです。この点について,黒猫の考えが必ずしもまとまっているわけではありませんが,現在思っていることを整理してみたいと思います。

1 法科大学院関係者(1)
 ここでいう「法科大学院関係者(1)」というのは,法科大学院研究者のうち,東大や京大など有名大学の教授や名誉教授といった,研究者の中でも比較的社会的地位の高い人,及びそういう人が所属する上位の法科大学院を指します。
 この階層の人々が,法科大学院に何を求めていたかは比較的明確です。彼らは,司法試験を受験する学生達が,自分達の授業より司法試験予備校の授業を重視している現状を嘆いており,何とかして司法試験を目指す学生達を「大学に取り戻したい」と考えていました。
 彼らの望みはただ一つ,法科大学院制度の創設によって,法曹養成の課程に自らの地位と権益を構築することであり,法科大学院を卒業した学生がそれだけ司法試験に合格するかなどという問題は,実はどうでもよかったのです。実際,「修了者の7~8割を司法試験に合格できるような制度設計」という構想は,経済界の意向に配慮して法科大学院への参入を広く認めるものとしたことにより,彼ら自身が放棄しているのです。
 法科大学院制度に対しては様々な不満や批判が日増しに高まっていますが,法曹養成に関する既得権益の構築という一点に絞ってみれば,彼らの試みは今のところ「概ね」成功しています。新たな利権を提供することで法務省や文部科学省の官僚を完全に味方に付け,日弁連や大手マスコミも彼らの味方をしています。
 国会議員の大勢も,法科大学院制度についても問題意識を持っている人はいるものの,現段階では下位ローの統廃合を主張しているくらいで,法科大学院制度の廃止や受験資格の見直しを強行しようという雰囲気には達していません。おまけに政局はねじれ国会により大混乱の最中で,ほとんど何も決められない状況にありますから,当分は時間稼ぎができます。
 現在は法曹界内部にも法科大学院を批判する人が多いですが,さすがに法科大学院出身者(新60期以降)については,法科大学院制度の廃止を主張する人が圧倒的多数というわけではありません。このまま事態が推移し,法科大学院出身者が次第に法曹界で多数を占めるようになれば,法科大学院の廃止や受験資格の見直し(法科大学院の修了を司法試験の受験資格から外すこと)を主張する人は,次第に少数派となる可能性があります。
 アメリカのロースクール制度についても,授業の内容がアカデミック過ぎて実務の役に立たないといった批判はあるようですが,ロースクールは既に100年以上の歴史を持ち,法曹資格を持つ人は例外なくロースクールの出身者なので,法曹養成制度の改革を唱えるにしても,ロースクール以外の法曹養成制度を誰も知りません。せいぜい一部の州で,認定校以外のロースクール卒業者に司法試験の受験資格を認めるくらいが手一杯です。
 日本もそういう状態になれば,法科大学院制度自体はなんとか存続という方向でうまく逃げ切れる・・・。彼らは,そんなシナリオを描いているのかも知れません。
 ただし,アメリカのロースクール制度と異なり,日本では予備試験という別ルートが存在します。現在のところ予備試験の合格者はごく少数に抑えられていますが,この制度が存在する限り,法曹関係者も一般国民も予備試験ルートと法科大学院ルートを対等に比較することができ,誰も「法科大学院以外の法曹養成ルートを知らない」という状態はなかなか成立しません。しかも,予備試験の合格枠を不当に狭めているのは誰が見ても不合理であり,その不合理性は予備試験合格者が司法試験でもぶっちぎりの好成績を収めることにより今後さらに際立ちますから,これが近い将来,法科大学院制度にとって致命傷をもたらすおそれがあります。
 何とか予備試験を潰さない限り,彼らにとっての完全な「成功」は訪れません。予備試験をどうやって潰すか,それが彼らにとって最大の悩みになっていることでしょう。

2 法科大学院関係者(2)
 法科大学院関係者(2)は,法科大学院や研究者のうち(1)に属しない人達のことです。彼らは,法科大学院制度の中心的な推進勢力ではありませんが,少子化による大学の経営難が進む中,「法科大学院もない法学部では学生に見向きもされない」という理由で法科大学院に参入しましたが,彼らにとっての法科大学院構想は明らかな大失敗であり,むしろ彼らは法科大学院制度の被害者であるとも言えます。
 下位ローの多くは無理を承知で法科大学院を設置し,初期投資だけで少なからぬ費用をかけてきたほか,法科大学院からの撤退は法学部の更なる人気低下をもたらす可能性があるため,撤退の決断も容易ではありません。世間からは自業自得だと思われているので,文部科学省による指導の不合理性を社会に訴えても,ほとんど誰も相手にしてくれず孤立無援になっています。
 文部科学省から補助金の削減を受けたにもかかわらず,まだ撤退しようとしない法科大学院も何校かありますが,今後は撤退の判断が遅れたことにより,法学部ごとあるいは大学ごと潰れてしまう法科大学院が出てくるかもしれません。
 そして,法学研究者の間では,研究の時間も取れず仕事ばかり忙しい法科大学院の教員となることを避け,法科大学院のない大学に逃げる傾向があるとも言われており,法学研究者を志望する人も減少しています。法科大学院の学生達が本を買ってくれるのも,多くは東大教授など(1)に属する人の書いた本ばかりで,それ以外の研究者には何のメリットもありません。
 彼らにとって,まさに法科大学院制度は災厄以外の何物でもないでしょう。

3 経済界
 司法制度改革に関して,経済界が望むことは「法務コストの削減」だけと言っても過言ではありません。法曹養成制度に関しても,経済界からの主張には司法修習制度を廃止して司法試験合格者を激増させ,実務教育は弁護士見習いのような形で何年か仕事をさせればよいなどとするものが目立っていました。
 結果的に彼らが法科大学院制度を容認したのは,司法試験合格者の激増に伴い懸念される「質の低下」に,何らかの対策を打ったという外観を取り繕う必要があることは認めたというに過ぎません。彼らにとっては,一般市民と異なり弁護士が優秀であるかそうでないかは見分けが付くので,一部の優秀な人だけに安く仕事をさせればよく,平均的な法曹の質が下がること自体は別に困らないのです。あくまで目的は法曹人口の激増と,それに伴い法務コストの削減です。
 このような目的に限ってみれば,彼らの構想は完全に成功したと言わざるを得ません。弁護士間の競争激化により弁護士費用の相場は下がり,法務担当者の人件費も安上がりになりました。時々,卒業生の進路指導に困った法科大学院関係者が「法務博士」なるものを売りつけてきますが,院卒の採用者が増えているのは法学部に限った話ではないので,企業としては彼らも普通の院卒として対応し,使えそうな人材は採用し,使えそうにない人材は門前払いにすれば済むことです。社会的弱者を保護するための人権活動に取り組む弁護士が少なくなることも,彼らにとっては社会的弱者に対する搾取を邪魔されないという意味ではむしろウェルカムでしょう。
 経済界と次に挙げる官僚は,誤った司法制度改革の見直しを阻む最大の「抵抗勢力」になるような気がします。

4 官僚
 司法制度改革は,官僚の利権拡大に大きく貢献しました。法科大学院の監督権限を得た文部科学省は,新たな利権である法科大学院を自分から手放すことは絶対にないでしょう。文部科学省ほどではありませんが,法務省も法テラスで弁護士会から国選弁護の権限を奪取し,最高裁も裁判員制度関係で予算を増やすなど,利権拡大のおこぼれに与っています。今後は院卒枠の総合職として公務員となる法科大学院卒業生も出てくるので,彼らの側から法科大学院廃止案が出されることはまずないでしょう。
 官僚組織というものは,どのような国家においても必要不可欠ではあるものの,適切な統制を欠けば際限なく肥大化してしまうという弊害があり,この点に関し自浄能力を期待することは出来ません。政治家にしっかりしてもらうしかないのです。

5 日弁連
 司法制度改革に関する日弁連の態度は,一般の弁護士から見ればほとんど自滅に等しく,執行部が何を考えているのか一般の会員(弁護士)でも理解に苦しむのですが,最も有力な見解は,法科大学院に絡む弁護士会の利権獲得を目的にしていたという考え方です。
 法科大学院には一定数の実務家教員を置くことになっており,これを弁護士会からの推薦にするという当初の目論見は失敗したようですが,それでも日弁連や各弁護士会の執行部に属する会員の多くが「法科大学院教授」の仕事と肩書きを手に入れ,弁護士会と提携する一部の法科大学院に対しては強大な影響力を獲得することに成功しました。
 大阪弁護士会では,法科大学院の維持改善に賛成する意見書案が常議員会の賛成多数で可決されたそうですが,同会の執行部では,法科大学院導入によって生じたメリットについて,堂々と「多くの法曹実務家が,法曹養成課程に関与できるようになった」と説明しているようです(http://www.idea-law.jp/sakano/blog/)。
 多くの法曹実務家が法曹養成課程に関与できるようになり,それによって法曹の質が大いに向上したなどと主張するのではなく,「関与できるようになった」こと自体が大きなメリットだと言っているのですから,利権獲得自体が法科大学院導入の目的であったと正面から認めていると解するしかないのです。
 一部の法科大学院では研究者教員が逃げつつあるということですが,日弁連にとってはこれも渡りに舟で,これまで2割以上とされてきた実務家教員の数を3割以上に増員するという法科大学院の「改善案」を提言しようとしています(大阪弁護士会が賛成した維持改善案にはこのような内容も含まれているようです)。これが何を意味するかは説明するまでもないでしょう。
 その他,司法試験の難易度が全体的に下がり,優秀な新規参入者も大幅に減ったことで,既存の弁護士にとって職業の世襲が容易になったというメリットも無視できないでしょう。同じ士業の中でも,海事代理士などは新規参入が不可能に近いと言われるほど閉鎖性の強い業界になっているようですが,弁護士もこれと似たような状況になり,既存の弁護士と縁故のある人以外はたとえ司法試験に合格しても就職のところで弾かれるのが常態化すれば,既存の弁護士にとってこれほど楽なことはありませんから。

 もっとも,このような考え方は決して弁護士業界の総意ではなく,彼らも2年前の総選挙では,「栄誉ある」日弁連会長の座を無派閥出身の宇都宮健児弁護士に奪われることになってしまいました。今年になって,実質3回もの投票を繰り返した結果,やっと会長のポストを奪還しましたが,現会長を支える「主流派」は,自分達の権力が一般会員の支持ではなく,国家権力との強い結びつきによって何とか維持されていることを強く自覚せざるを得なかったでしょう。
 今年の日弁連会長選挙は,宇都宮,山岸両候補とも表向きは言っていることがほとんど同じに見えましたが,実質的な最大の争点は国家権力との接し方であり,宇都宮前会長が市民運動と結びついた国家権力との緊張関係も辞さない姿勢であったところ,山岸現会長の側は,法曹の養成に関するフォーラムで会費負担の問題などを追及されたのは国家権力と喧嘩しようとしたからだ,国家権力と仲良くすればそのような問題は起こらないという趣旨にしか読めない主張をしていました。
 もっとも,宇都宮前会長の側にも,無派閥出身であることによる人的・組織的基盤の弱さに加え,既に会員の思想信条が多様化し人心も失っている日弁連を昔のような人権活動団体に戻そうと無理をしているところがあり,これに反し会費減額等を望む会員の声には全く応えられなかったため,特に大都市部ではそれほど広範な支持を集められず落選してしまったわけですが。
 日弁連の「主流派」としては,法科大学院制度の導入に伴い相当の利権を手に入れたことに関しては「成功」であったとみることもできますが,その代償はかなり大きく,日弁連自体が会員の支持による自治団体としての基盤を失ったことから,国家権力から見れば,その気になればいつでも任意加入団体に落とし潰すことの出来る与しやすい相手になり果ててしまいました。
 日弁連自体が潰れることによる利権の喪失は,法科大学院の利権とは比較にならないレベルのものですから,国家や国民の怒りを買い任意加入団体への転落を余儀なくされた段階で,ようやく司法改革の重大な「失敗」に気付くことになるでしょう。もちろん,そういう状態になればもはや取り返しはつかないわけですが。

6 マスコミ
 司法制度改革審議会の議論が進んでいた当時,大手マスコミは穴だらけの改革案を積極的に礼賛し,批判を一切しませんでした。そして,法科大学院精度の破綻が明らかになってきたこの期に及んでも,大手マスコミは散発的に,法科大学院や法曹人口激増を擁護するかのような論調の記事を出しています。
 黒猫としては,このような態度を取って大手マスコミに何のメリットがあるのか長らく疑問だったのですが,最近読んだとある本によると,どうやら日本の大手マスコミは,記者クラブ制度を通じて国家権力からの情報ルートを独占しており,官房機密費により政府から接待を受けその恩恵に与っているほか,長年の交流を通じて政府からも弱みを握られているので,正面から国家権力と敵対することなど思いもよらないという組織体質になっているようです。
 要するに,現在の日弁連と大して変わらないような政府の「御用マスコミ」としての体質が染みついているということであり,昨年の原発事故ではその弊害がもろに現れ,特に事故後の初期段階では政府や東電の発表を垂れ流すのみで,ろくに正確な報道がなされなかったため,マスコミ自体が国民の信頼を大きく失うことになりました。
 そのようなマスコミであれば,政府関係者に買収されるのもたやすいことであり,また彼らが司法制度改革を敢えて推進してきたのも,「自分達が権力を行使すれば黒さえも白に変えられる」という驕りに基づく判断があったものとしか思えません。そんな彼らにとっての計算違いはネットメディアの急速な普及であり,多くの国民が新聞やテレビといったマスメディアに頼らずとも,インターネットを通じて多くの情報を容易に入手できるようになった結果,大手マスコミの社会的権力は相対的な低下を余儀なくされています。
 そのような中で,敢えて法科大学院を熱烈に擁護するような論調を続ければ,さすがに一般視聴者からも不信感を買い,国民のテレビ離れ,新聞離れをより一層加速させる結果になるでしょうし,かと言って全面的な法科大学院批判に転じようものなら,政府を敵に回してこれまでの行状が白日の下に晒され,しかも記者クラブというマスメディアの特権を失うことになりかねません。
 最近のマスメディアは,法科大学院のことを「設立7年目にして早くも岐路に立たされている」などと報道していましたが,岐路に立たされているのはマスメディア自身でもあることを少しは自覚しているのかも知れません。

4 コメント

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Unknown (ヒトコト)
2012-06-13 04:57:10
単純な計算ですけど、弁護士が増えて、弁護士会費が下がらなければ、弁護士会の収入は増えますね。
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なるほどですね。 (黒猫)
2012-06-13 18:24:36
もっとも,会員数は増えても経費もまた増大しており,会費の支払い能力がない会員も増えていますので,今後は(病気などではなく)低所得を理由とする会費減免等も検討せざるを得ない状況にあります。今のところは,単純に会員数を増やして会費収入で儲けようという発想まではなく,またそのような効果もなかったであろうと考えています。
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異論があるようで (小太郎)
2012-06-15 16:22:01
弁護士小林正啓先生が、ブログで異論を唱えられています。日弁連のロー推進の目的は、利権ではなく、革命思想に基づく善意にあるとのことです。
http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-24b4.html
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Unknown (Unknown)
2012-06-16 11:58:57
元ネタは、カエサルですよね。
「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それがはじめられた当時まで遡れば、善き意志から発していたのであった」
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