普段,このブログでは個別のコメントに対する応答はしていないのですが,以前書いた『法科大学院制度の終わりの始まり』という記事のコメント欄では,なんか「行政法なんか要らん」という議論がされているようなので,今回はその問題について書きます。
1 司法試験における「行政法必修化」の背景
旧司法試験では,平成11年まで行政法は選択科目の一つでした。より具体的に言うと,1949(昭和24)年の旧司法試験制度スタート当初は,商法と行政法のいずれか1科目が選択必修となっていたのですが,実務家から「商法は必要だ」との声が高かったことから,1954(昭和29)年から商法が必修化される代わりに,行政法は他の選択科目(破産法や労働法など)と同列に置かれ,その状態が1999(平成11年)まで続きました。
旧司法試験時代の行政法は,他の科目に比べて分量が多い,条文が長く細かいといった事情から受験生に敬遠される傾向にあり,ある年の論文試験で非常にマニアックな問題を出して受験生のひんしゅくを買ったこともあるようです。公務員試験では行政法が必須なので,一般的には,行政法は公務員試験を併願する人向けの選択科目だと思われていました。
ところが,2000(平成12)年の制度改正で司法試験の両訴(民事訴訟法及び刑事訴訟法)が必修化されましたが,これに法律選択科目が廃止され,行政法は司法試験の科目から一時姿を消しました。これに激昂したのが神戸大学の阿部泰隆教授で,司法試験の行政法廃止は法治国家の崩壊であるなどと主張し,口を極めて政府当局を非難しました。
これに対し,当時の法務省は「行政法の問題は憲法で出題すればいいじゃないか」という考えだったようで,憲法の問題には時々行政法的な問題も出題されていたのですが,2006(平成18)年に施行された新司法試験では,一転して行政法は憲法とともに必修科目である「公法系科目」の一部とされました。
もっとも,司法改革の理念的根拠となった司法制度改革審議会意見書では,行政法の必修化には一言も触れられておらず,一時は司法試験科目から行政法を廃止しておきながら,なぜ一転して行政法が必修化されたのかという問いに対する政府の公式見解は今のところ存在していません。
少し前まで,黒猫はこの問題について「単純にアメリカの真似をしたのではないか」と思っていたのですが,アメリカの複数の州で採用されている統一司法試験(MBE)では,主に憲法(31問),契約法(33問),刑事法(31問),証拠法(31問),不動産法(31問)及び不法行為法(33問)から出題されるそうで,行政法という科目は見当たりません。
そもそも,行政法という学問分野は主にフランスやドイツで発達したものであり,イギリスやアメリカなど英米法系の国では,19世紀の末に「イギリスに行政法はない」と自慢げに語っていた憲法学者がいたことからも分かるように,少なくとも学問としての行政法は重視されていなかったようです。
法科大学院制度をはじめ,司法審意見書に基づく司法改革のほとんどは,実際にはアメリカの制度の猿真似だったのですが,新司法試験における行政法の必修化は,単なる「アメリカの真似だった」という理由では説明できそうにありません。結論は推測するしかないのですが,一つには行政法学者による必死のロビー活動が功を奏したということ,もう一つは行政法の必修化が司法改革の正当化に有用だった,ということが挙げられると思います。
後者について若干付言すると,法科大学院制度は「司法試験の合格者数を激増させながら質を確保する」という,現実には完全に矛盾する二つの命題を外観上実現させるために作られたものですが,それが単なるごまかしだと簡単に見破られないようにするには,旧司法試験にない科目を新司法試験に作ってしまうことが最も有効です。そして,旧司法試験合格者の大半が勉強していない,しかし理念上は(司法試験の必修科目にするほど)重要だと言い張れる法律科目,それは行政法しかなかったのです。
実際,もはや法科大学院制度の破綻が完全に明らかとなった現在でも,行政法は法科大学院制度推進派によって「法科大学院教育の成果」と盛んに強調される傾向にあります。端的に言えば,法科大学院生は旧司法試験合格者と違って行政法を勉強している,それが法科大学院教育の成果だと言わんばかりの主張がなされているのです。いまや,行政法は「法科大学院制度を守るための最後の盾」と化した感があります。
2 法学部・法科大学院における「行政法教育」の実態
もっとも,そんなに行政法が重要なら旧司法試験と同じような試験で行政法を必修化することもできるはずであり,行政法のために法科大学院を守れという主張が理論的に成り立たないことは,法律に詳しくない一般市民の皆さんでも容易に理解できると思いますが,実際には法学部や法科大学院の教育でも,行政法は全く重視されていないのです。
すべての大学について調べるのは大変なので主要6大学(東大,京大,一橋,早稲田,慶應,中央)に絞りますが,この6大学の法学部(法曹養成を目的に掲げている法律学科及びそれに類するものに限る)のうち,行政法を必修科目にしていることが確認できたのは東大だけです(京大のようにそもそも必修科目がないというところや,ネット上では必修科目の有無が分からないところもあったので断言はできませんが)。
また,法科大学院については一応どこも行政法の必修科目はありますが,大学の法学部でも行政法は8単位くらいかけて教えるのが普通なのに,法科大学院における行政法の講義は4単位としているところが多く,わずか2単位(京大)というところもあります。演習科目は「公法系」として憲法と混ぜられているところが多いので何とも言えませんが,一般的に法科大学院では憲法・行政法を合わせて,講義・演習込みで10単位が標準とされており,多くても12~13単位くらいが限度のようです。
もっとも,講義時間の不足以上に驚かされるのは,その内容です。東京大学法学部で2012年度に行われた講義内容を見たところ,行政法第1部(太田匡彦教授)の授業計画は以下のようになっていました。
Ⅰ 行政法学の対象としての行政の概念
Ⅱ 行政法の編成
Ⅲ 行政法の基礎に置かれる憲法原理
Ⅳ 行政組織の法学的把握
Ⅴ 行政作用のための人的・物的手段
Ⅵ 行政活動の法学的把握
Ⅶ 行政法における行政の概念
まさに,これは「哲学ですよ」と言わんばかりの内容です。黒猫の学生時代,小早川教授の行政法第1部を聴いた人が,「講義は最初に行政とは何かという話を延々と語り,次に行政法とは何かという話を延々と語り,その次に行政法学とは何かという話を延々と語り,それだけで行政法第1部の講義が終わってしまった」と評していたのを思い出しますが,それと大して変わらない内容であることが窺えます。
しかも,黒猫の学生時代と異なり,行政法第1部は第1類(私法コース)における唯一の行政法必修科目になっているというのですから,もはや行政法は法学部生に対する拷問のようになってしまっています。
もちろん,行政法の教授がすべてこんな人ばかりというわけではなく,例えば黒猫自身が聴いたのは小早川教授ではなく宇賀教授(東大教授の中でも「スタディイングマシン」の異名を持つ秀才で,精緻な判例分析には定評があります)の講義であり,宇賀教授の情報公開法ゼミにも参加して司法試験の選択科目にも行政法を選択し,司法試験合格時にも行政法が最も得意科目だったくらいなのですが・・・。
3 行政法必修化がもたらす「行政法離れ」の懸念
受験者に対するアンケート調査などの結果を見ても,新司法試験の主要7科目のうち,明らかに最も不人気であり,受験生の出来も悪いのが行政法です。司法改革によって唐突に司法試験の必修科目へと成り上がったばかりであり,教える態勢が不十分であるという一因もあるとは思いますが,教える側(特に学者教員)の態度にもかなり問題があるのでしょう。
行政法は他の科目と異なり,「行政法」という名前の法典がありません。一方で日本にある法律の約9割は広い意味での行政法に属すると言われており,いわば日本の法律にほぼ共通して使われている基本原理のようなものを学ぶのが行政法なのですが,このような学問の特徴として,実用性を重視すれば多くの法曹にとって役に立つ学問になり得ますが,実用性を考えずひたすら哲学的な概念論に終始してしまうのであれば,法解釈の共通原理としての実務的な役割を果たすことはできず,司法試験の必修科目どころか選択科目にする価値もない役立たずの学問になってしまいます。
そして,日本の法律学者は条文の縛りがないとすぐ哲学に走ってしまう傾向にあり,現実における行政法学の議論は,判例の動きにすらろくに付いて行けておらず,限りなく後者に近いものが多いのもまた事実です。
最近河野真樹さんのブログで,弁護士資格を持った自治体の任期付職員など役に立たんという2ちゃんねるの書き込みが紹介されていましたが,自治体で働くのであれば行政法への深い理解が必須であるところ,実際には司法試験で行政法が必須科目になっているといっても,受験者の出来が悪いため論文試験の問題ではかなり親切な誘導を入れざるを得ず,それでも満足な水準の答案がなかなか出てこないというのが実情です。
例えば,平成24年の行政法(公法系第2問)では,著名な最近の最高裁判例を踏まえた基本的な論点から出題しており,しかも「法律事務所の会議録」と称して受験生がどのような点を論ずるべきかをかなり親切に示している(現実には,ここまで親切なボス弁はあまりいないと思います)のに,実際の答案は「問題文をよく読んでいない」と思われるものが多いということでした。採点実感等に関する意見で示されている採点方針を読んでも,ぎりぎりの合格ラインである「一応の水準」に達しているというだけでは,自治体法務の現場では到底通用しないだろうなというのが正直な感想です。
なお,「採点実感等に関する意見」で示されている指摘のうち,問題文をよく読まない答案が多いというのは単なる受験生の質の問題ですが,条文や設問で示されている具体的事例を離れて抽象論を展開する答案が多いというのは,教える側からの悪影響も軽視できないものがあり,単純な「質の低下」論だけでは済まされない問題があるように思われます。
せっかく行政法が必須科目になっても,法科大学院の講義では時間が極めて限られており,しかも教員が抽象的な哲学の話しかしないというのでは,多くの受験生が行政法嫌いになってしまうのも無理からぬところがありますが,合格水準も低い上に,いまや新司法試験合格者の中にも「行政法なんか要らない」と考えている者が相当数いるという現状を放置すれば,やがては「司法試験の行政法必修化が法曹の行政法離れをもたらす」という最悪の結果にもなりかねません。
4 実は「行政法」自体も消滅の危機にある
ちなみに,行政法は公務員試験における中心的な科目ですが,公務員の間でも現実の行政法学は抽象的過ぎて役に立たないという問題意識があるらしく,一時は公務員試験からも行政法を排除しようという動きがあったらしいです。
もちろん,抽象的・理念的なことを言えば,行政法は憲法の理念を行政の運営に反映させるのに不可欠なツールであり,黒猫自身は今のところ,司法試験においても公務員試験においても行政法廃止論に立つつもりはありませんが,実際の行政法(学)がそのような機能を発揮し,役に立つ学問として社会に受け容れられるか否かは,ひとえに研究者の姿勢如何にかかっています。
最近出版された行政法関係の書籍では,行政法そのものが存続の危機にあるという現実を直視し,なぜ行政法が必要かという議論から書き始めているものもありますが,それも一歩間違えれば新たな哲学論に終始してしまう危険があり,そのような危機感すらない学者もいます。新司法試験で必修になったからといって油断していると,法科大学院制度が破綻して再度の司法試験制度改革が行われるときには,一転して行政法は選択科目ですらなくなってしまうかもしれません。
また,法科大学院生は行政法を勉強しているから偉いんだなどという浅はかな議論をしている法曹関係者は,①法科大学院でも行政法についてはまともな教育がされていない,②司法試験の行政法はレベルが低すぎて合格者でも実務で通用しない懸念がある,③受験生の多くも行政法を嫌っている,④そもそも行政法(学)自体が社会的に役立たずとみなされ消滅の危機にある,という現実を直視すべきです。
1 司法試験における「行政法必修化」の背景
旧司法試験では,平成11年まで行政法は選択科目の一つでした。より具体的に言うと,1949(昭和24)年の旧司法試験制度スタート当初は,商法と行政法のいずれか1科目が選択必修となっていたのですが,実務家から「商法は必要だ」との声が高かったことから,1954(昭和29)年から商法が必修化される代わりに,行政法は他の選択科目(破産法や労働法など)と同列に置かれ,その状態が1999(平成11年)まで続きました。
旧司法試験時代の行政法は,他の科目に比べて分量が多い,条文が長く細かいといった事情から受験生に敬遠される傾向にあり,ある年の論文試験で非常にマニアックな問題を出して受験生のひんしゅくを買ったこともあるようです。公務員試験では行政法が必須なので,一般的には,行政法は公務員試験を併願する人向けの選択科目だと思われていました。
ところが,2000(平成12)年の制度改正で司法試験の両訴(民事訴訟法及び刑事訴訟法)が必修化されましたが,これに法律選択科目が廃止され,行政法は司法試験の科目から一時姿を消しました。これに激昂したのが神戸大学の阿部泰隆教授で,司法試験の行政法廃止は法治国家の崩壊であるなどと主張し,口を極めて政府当局を非難しました。
これに対し,当時の法務省は「行政法の問題は憲法で出題すればいいじゃないか」という考えだったようで,憲法の問題には時々行政法的な問題も出題されていたのですが,2006(平成18)年に施行された新司法試験では,一転して行政法は憲法とともに必修科目である「公法系科目」の一部とされました。
もっとも,司法改革の理念的根拠となった司法制度改革審議会意見書では,行政法の必修化には一言も触れられておらず,一時は司法試験科目から行政法を廃止しておきながら,なぜ一転して行政法が必修化されたのかという問いに対する政府の公式見解は今のところ存在していません。
少し前まで,黒猫はこの問題について「単純にアメリカの真似をしたのではないか」と思っていたのですが,アメリカの複数の州で採用されている統一司法試験(MBE)では,主に憲法(31問),契約法(33問),刑事法(31問),証拠法(31問),不動産法(31問)及び不法行為法(33問)から出題されるそうで,行政法という科目は見当たりません。
そもそも,行政法という学問分野は主にフランスやドイツで発達したものであり,イギリスやアメリカなど英米法系の国では,19世紀の末に「イギリスに行政法はない」と自慢げに語っていた憲法学者がいたことからも分かるように,少なくとも学問としての行政法は重視されていなかったようです。
法科大学院制度をはじめ,司法審意見書に基づく司法改革のほとんどは,実際にはアメリカの制度の猿真似だったのですが,新司法試験における行政法の必修化は,単なる「アメリカの真似だった」という理由では説明できそうにありません。結論は推測するしかないのですが,一つには行政法学者による必死のロビー活動が功を奏したということ,もう一つは行政法の必修化が司法改革の正当化に有用だった,ということが挙げられると思います。
後者について若干付言すると,法科大学院制度は「司法試験の合格者数を激増させながら質を確保する」という,現実には完全に矛盾する二つの命題を外観上実現させるために作られたものですが,それが単なるごまかしだと簡単に見破られないようにするには,旧司法試験にない科目を新司法試験に作ってしまうことが最も有効です。そして,旧司法試験合格者の大半が勉強していない,しかし理念上は(司法試験の必修科目にするほど)重要だと言い張れる法律科目,それは行政法しかなかったのです。
実際,もはや法科大学院制度の破綻が完全に明らかとなった現在でも,行政法は法科大学院制度推進派によって「法科大学院教育の成果」と盛んに強調される傾向にあります。端的に言えば,法科大学院生は旧司法試験合格者と違って行政法を勉強している,それが法科大学院教育の成果だと言わんばかりの主張がなされているのです。いまや,行政法は「法科大学院制度を守るための最後の盾」と化した感があります。
2 法学部・法科大学院における「行政法教育」の実態
もっとも,そんなに行政法が重要なら旧司法試験と同じような試験で行政法を必修化することもできるはずであり,行政法のために法科大学院を守れという主張が理論的に成り立たないことは,法律に詳しくない一般市民の皆さんでも容易に理解できると思いますが,実際には法学部や法科大学院の教育でも,行政法は全く重視されていないのです。
すべての大学について調べるのは大変なので主要6大学(東大,京大,一橋,早稲田,慶應,中央)に絞りますが,この6大学の法学部(法曹養成を目的に掲げている法律学科及びそれに類するものに限る)のうち,行政法を必修科目にしていることが確認できたのは東大だけです(京大のようにそもそも必修科目がないというところや,ネット上では必修科目の有無が分からないところもあったので断言はできませんが)。
また,法科大学院については一応どこも行政法の必修科目はありますが,大学の法学部でも行政法は8単位くらいかけて教えるのが普通なのに,法科大学院における行政法の講義は4単位としているところが多く,わずか2単位(京大)というところもあります。演習科目は「公法系」として憲法と混ぜられているところが多いので何とも言えませんが,一般的に法科大学院では憲法・行政法を合わせて,講義・演習込みで10単位が標準とされており,多くても12~13単位くらいが限度のようです。
もっとも,講義時間の不足以上に驚かされるのは,その内容です。東京大学法学部で2012年度に行われた講義内容を見たところ,行政法第1部(太田匡彦教授)の授業計画は以下のようになっていました。
Ⅰ 行政法学の対象としての行政の概念
Ⅱ 行政法の編成
Ⅲ 行政法の基礎に置かれる憲法原理
Ⅳ 行政組織の法学的把握
Ⅴ 行政作用のための人的・物的手段
Ⅵ 行政活動の法学的把握
Ⅶ 行政法における行政の概念
まさに,これは「哲学ですよ」と言わんばかりの内容です。黒猫の学生時代,小早川教授の行政法第1部を聴いた人が,「講義は最初に行政とは何かという話を延々と語り,次に行政法とは何かという話を延々と語り,その次に行政法学とは何かという話を延々と語り,それだけで行政法第1部の講義が終わってしまった」と評していたのを思い出しますが,それと大して変わらない内容であることが窺えます。
しかも,黒猫の学生時代と異なり,行政法第1部は第1類(私法コース)における唯一の行政法必修科目になっているというのですから,もはや行政法は法学部生に対する拷問のようになってしまっています。
もちろん,行政法の教授がすべてこんな人ばかりというわけではなく,例えば黒猫自身が聴いたのは小早川教授ではなく宇賀教授(東大教授の中でも「スタディイングマシン」の異名を持つ秀才で,精緻な判例分析には定評があります)の講義であり,宇賀教授の情報公開法ゼミにも参加して司法試験の選択科目にも行政法を選択し,司法試験合格時にも行政法が最も得意科目だったくらいなのですが・・・。
3 行政法必修化がもたらす「行政法離れ」の懸念
受験者に対するアンケート調査などの結果を見ても,新司法試験の主要7科目のうち,明らかに最も不人気であり,受験生の出来も悪いのが行政法です。司法改革によって唐突に司法試験の必修科目へと成り上がったばかりであり,教える態勢が不十分であるという一因もあるとは思いますが,教える側(特に学者教員)の態度にもかなり問題があるのでしょう。
行政法は他の科目と異なり,「行政法」という名前の法典がありません。一方で日本にある法律の約9割は広い意味での行政法に属すると言われており,いわば日本の法律にほぼ共通して使われている基本原理のようなものを学ぶのが行政法なのですが,このような学問の特徴として,実用性を重視すれば多くの法曹にとって役に立つ学問になり得ますが,実用性を考えずひたすら哲学的な概念論に終始してしまうのであれば,法解釈の共通原理としての実務的な役割を果たすことはできず,司法試験の必修科目どころか選択科目にする価値もない役立たずの学問になってしまいます。
そして,日本の法律学者は条文の縛りがないとすぐ哲学に走ってしまう傾向にあり,現実における行政法学の議論は,判例の動きにすらろくに付いて行けておらず,限りなく後者に近いものが多いのもまた事実です。
最近河野真樹さんのブログで,弁護士資格を持った自治体の任期付職員など役に立たんという2ちゃんねるの書き込みが紹介されていましたが,自治体で働くのであれば行政法への深い理解が必須であるところ,実際には司法試験で行政法が必須科目になっているといっても,受験者の出来が悪いため論文試験の問題ではかなり親切な誘導を入れざるを得ず,それでも満足な水準の答案がなかなか出てこないというのが実情です。
例えば,平成24年の行政法(公法系第2問)では,著名な最近の最高裁判例を踏まえた基本的な論点から出題しており,しかも「法律事務所の会議録」と称して受験生がどのような点を論ずるべきかをかなり親切に示している(現実には,ここまで親切なボス弁はあまりいないと思います)のに,実際の答案は「問題文をよく読んでいない」と思われるものが多いということでした。採点実感等に関する意見で示されている採点方針を読んでも,ぎりぎりの合格ラインである「一応の水準」に達しているというだけでは,自治体法務の現場では到底通用しないだろうなというのが正直な感想です。
なお,「採点実感等に関する意見」で示されている指摘のうち,問題文をよく読まない答案が多いというのは単なる受験生の質の問題ですが,条文や設問で示されている具体的事例を離れて抽象論を展開する答案が多いというのは,教える側からの悪影響も軽視できないものがあり,単純な「質の低下」論だけでは済まされない問題があるように思われます。
せっかく行政法が必須科目になっても,法科大学院の講義では時間が極めて限られており,しかも教員が抽象的な哲学の話しかしないというのでは,多くの受験生が行政法嫌いになってしまうのも無理からぬところがありますが,合格水準も低い上に,いまや新司法試験合格者の中にも「行政法なんか要らない」と考えている者が相当数いるという現状を放置すれば,やがては「司法試験の行政法必修化が法曹の行政法離れをもたらす」という最悪の結果にもなりかねません。
4 実は「行政法」自体も消滅の危機にある
ちなみに,行政法は公務員試験における中心的な科目ですが,公務員の間でも現実の行政法学は抽象的過ぎて役に立たないという問題意識があるらしく,一時は公務員試験からも行政法を排除しようという動きがあったらしいです。
もちろん,抽象的・理念的なことを言えば,行政法は憲法の理念を行政の運営に反映させるのに不可欠なツールであり,黒猫自身は今のところ,司法試験においても公務員試験においても行政法廃止論に立つつもりはありませんが,実際の行政法(学)がそのような機能を発揮し,役に立つ学問として社会に受け容れられるか否かは,ひとえに研究者の姿勢如何にかかっています。
最近出版された行政法関係の書籍では,行政法そのものが存続の危機にあるという現実を直視し,なぜ行政法が必要かという議論から書き始めているものもありますが,それも一歩間違えれば新たな哲学論に終始してしまう危険があり,そのような危機感すらない学者もいます。新司法試験で必修になったからといって油断していると,法科大学院制度が破綻して再度の司法試験制度改革が行われるときには,一転して行政法は選択科目ですらなくなってしまうかもしれません。
また,法科大学院生は行政法を勉強しているから偉いんだなどという浅はかな議論をしている法曹関係者は,①法科大学院でも行政法についてはまともな教育がされていない,②司法試験の行政法はレベルが低すぎて合格者でも実務で通用しない懸念がある,③受験生の多くも行政法を嫌っている,④そもそも行政法(学)自体が社会的に役立たずとみなされ消滅の危機にある,という現実を直視すべきです。
実際、最近では行政訴訟は増えているようです。もちろんそれが大量の弁護士の食い扶持になるような状況ではないのですが。さらに今後、TPPが実現したら日本政府が訴えられることが多発するのではないでしょうか。ただ、それによって生まれる法務サービス市場が日本の弁護士業界をどれだけ潤すのかはわかりませんが。
行政法も新司も法科大学院も法学部もバカな法曹も。
司法自体が既に末期がん患者です。
国民は早逝を望んでいます。
それに旧試験制度で受かった人達は裁判官も含めて、行政法ほとんど勉強してないので行政事件を扱える法律家が少ないという欠陥がありました(その結果行政事件を扱うのは、刑事弁護を扱う人以上に思想的に偏った一部の法律家に限られてました)。
今の法科大学院を中核とする法曹養成制度が失敗なのは明白ですが、だからといって坊主憎けりゃ袈裟までとばかりに、それに関連するもの全てを無価値なものみたいに切って捨てるのはやめて下さい。
その程度のことも読めない受験生が増えたんだなあ。
どうやって行政訴訟をやるんですかね(^^;)
現実の行政訴訟は民事訴訟の亜流でしかないのに
あれだけ科目が増えれば、旧試験の人間より知識が浅くても仕方ない。広く浅くになってますから。
商訴の択一?
あのレベルで6割取るだけなら、旧司論文合格者なら余裕でしょ
行政法?
全体のレベルが低いから、合格点を取るだけならそんなに大変じゃない
選択科目?
明らかに、他の7科目よりも問題のレベルが低い
受験生の勉強が不十分なことに配慮しているようだね
未修者が不利益を被ったら困るし、他の選択科目に人気を取られたくなしね
そもそも、受験生全体のレベルが落ちてるんだから、範囲がいくら広がろうと関係ない。
合格に必要な勉強量は、旧司よりも減っている。
>商訴の択一?
あのレベルで6割取るだけなら、旧司論文合格者なら余裕でしょ
6割とるなら余裕だけど、論文合格者は、8割9割とってますね。
>行政法?
全体のレベルが低いから、合格点を取るだけならそんなに大変じゃない
全体のレベルは低いけど、旧司と違って8択◯×すべてわかってないと解けないから大変。合格点取るだけなら大変じゃないけど合格点とってたら論文が不利になる。
>選択科目?
明らかに、他の7科目よりも問題のレベルが低い
受験生の勉強が不十分なことに配慮しているようだね
未修者が不利益を被ったら困るし、他の選択科目に人気を取られたくなしね