黒猫のつぶやき

法科大学院問題やその他の法律問題,資格,時事問題などについて日々つぶやいています。かなりの辛口ブログです。

法科大学院教授が唱える「ロー廃止論」② 学者が考える学生の「不満」

2012-07-11 23:57:51 | 法曹養成関係(H25.1まで)
 コメント欄で,甲南ローや広島修道ローのひどい実態について,色々情報提供して頂き有難うございます。頂いた情報は今後の記事の参考にさせて頂きますが,一言コメントしておくと,大した根拠もなく学生をクラス分けして下位クラスの学生をいびるとか,実効性の保障されていない独自の学習方式を学生に押しつけて効果がないと分かると途端に態度を変えるといった教育方法について弁護の余地はありませんが,口述試験で学生にきつく当たるとことについては,必ずしも悪いとは言い切れないものがあります。
 今年,東京ヤクルトスワローズで2000本安打を達成した宮本慎也選手は,若い頃から守備の名手ではありましたが,打撃はイマイチで,打順も8番での起用が多い選手でした。そんな宮本選手のことを,野村監督は容赦なく「自衛隊」と呼びました。専守防衛で,攻撃(打つこと)は全く出来ないという意味ですが,それを聞いた宮本選手は発憤して打撃練習に取り組んだ結果,打撃成績も徐々に上昇し,息の長い活躍で東京ヤクルトに不可欠な選手へと成長したのです。
 この話は以前にも書いたかも知れませんが,旧司法試験の口述も同じような効果を狙っているところがあり,口述試験の合格率は非常に高かったものの,受験者は大抵の場合,試験官から徹底的にやり込められます。試験官によって言葉遣いが乱暴か丁寧かの違いはありますが,質問にうまく回答できず恥をかかされるのは同じです。黒猫自身,口述試験自体は1回で合格できましたが,試験官の質問に上手く答えられたかと言うと,むしろ選択科目の行政法以外は散々でした。
 しかし,司法試験に合格したからといって,それだけで法律のプロになれるわけではなく,むしろ合格してからが真の勉強の始まりであり,やはり「司法試験に合格したくらいでいい気になるな」という意味で,こういう儀式は必要なのですよ。黒猫自身,商法の口述試験で会社の計算に関する話がよく分からず,それがきっかけで簿記や会計の勉強をするようになり,修習生時代に日商簿記1級の資格も取りましたが,口述試験がなければそういう発想は生まれなかったかもしれません。小学生や幼稚園児ではないのですから,教師にやさしく育てられるのだけが教育ではないということです。

 お説教めいた長話はこのくらいにしますが,今日は前々回の続きで,米倉教授の「法科大学院全廃も一つの道かも」の紹介第2弾です。
 米倉教授は,法科大学院制度の前提である司法制度改革審議会意見書自体を「掛け声ばかりの作文でしかない」と断じた上で,同制度に対する関係者の具体的な不満について,(1)学生の不満,(2)教員の不満,(3)法科大学院当局の不満,(4)文部科学省の不満という順番で叙述しています。それを紹介する記事も本来は叙述の順番に従えばよいのですが,書き方の都合上総論と(3)(4)は次回(または次々回)に回し,(2)は量が少ないので前倒しで紹介し,この記事では残る(1)を重点的に取り上げた上で,米倉教授の叙述に対し「それだけで十分か」という問題提起をしたいと思います。

○ 法科大学院制度に対する教員の不満
 法科大学院制度に対する教員固有の不満について,米倉教授は以下の4つを挙げています。
2-1 学生の雰囲気が受験勉強一色であること
 具体的には,「学生の雰囲気が受験勉強一色で,研究に立ち入った話などは全くの無駄であるとして,あからさまに拒絶されてしまい,ほとんどの教員にとって感じの悪いこと甚しい。多くの教員が法科大学院では教えたくないというのを,私は見聞きした」と述べられています。
 司法試験の勉強が大変なのでどうしてもそういう雰囲気に陥るのでしょうが,多くの場合は教える側にも問題があるのでしょうね。優秀で学業熱心な学生であっても,司法試験にも実務にも全く関係のない,学者のオタク的な問題意識に関心を示すことはあまりないでしょう。

2-2 教員不足による負担過重,研究時間の大幅不足,後継者としての若手研究者の不足
 2-1と相俟って,多くの法科大学院では深刻な教員不足に陥り,法科大学院教育の負担が大きすぎて本来の研究が出来ない,優秀な修了生の大半が実務法曹に流れてしまうので後継者も育たないという問題も深刻になっているようです。米倉教授は,「法科大学院の教育はもっぱら実務家教員に委ね,新司試の出題・採点も実務家教員に委ねたらよいではないか」とまで述べています。

2-3 あいまいな言葉による当局の非難
 文部科学省や第三者評価機関が,「受験指導不可」「質の低下」といったあいまいな言葉を使って法科大学院を責めることにも米倉教授は苦言を呈されています。質の低下はともかく,「前者を細密に定義してもらわないと,平生の授業がやりにくいことこの上ない。見方によっては,平生の授業はこれすべて受験指導に当たると,いえなくもないからである」という米倉教授の指摘は,黒猫としてももっともな不満であると言わざるを得ません。

2-4 一貫性のない文部科学省の態度
 米倉教授は,そもそも「法科大学院制度が瀕死の状態に陥ったについては,文科省の制度設計のミスによるところが極めて大きい」と指摘した上で,文科省の態度について,「法科大学院制度は新司試合格至上主義を採用しないとしつつ,合格率の低い法科大学院は悪いとする(そして,閉校,統合を勧告する),そこで教員が合格率を上げるべく指導をすると,それは受験指導をすることになるから悪いとする。これでは現場の教員はやりにくい」と述べられています。
 米倉教授は,法科大学院の制度設計ミスを文科省が率直かつ明示的に認めて,明示的に謝罪し関係者の責任も追及した上で,法科大学院制度は新司試合格至上主義を採用しているのか否かをはっきりさせ,どういう指導なら受験指導に当る,当らないを,いくつかの類型を掲げて明示すべきであると主張されており,黒猫としてもこの主張はもっともだと思います。

○ 法科大学院制度に対する学生の不満
 そして,米倉教授の挙げる「学生の不満」を箇条書きにすると,概ね以下のとおりになります。なお,1-2については学生と教員共通の不満だそうです。

1-1 入学前からの不満
 詳しくは前々回の記事で書きましたが,要するに適性試験は役に立たない,一種の悪徳商法だったのではないかという話と,入試の際に添附する推薦状も無意味だという話です。

1-2 カリキュラム・教育方法についての不満
(1)無理のある配当単位による詰め込み教育
 米倉教授は,民法なら法学部では一般に20~24単位が配当されているのに,法科大学院ではこれを12単位でこなす必要があり,学生は教育内容を未消化のまま暗記に追いまくられる,特に真正未修者にとっては無理のあるカリキュラムだと指摘しています。
 それでも民法はまだ良い方で,行政法なんか法学部では8単位以上が普通なのに,法科大学院では良くて4単位,悪くすれば講義2単位,演習2単位,しかも大学法学部でも私法(法曹向け)コースでは行政法が必修でないところは未だに多く,既修者コースの入試でも行政法を課さないところが多いため,新司法試験でも行政法は全体的に受験生の苦手科目となってしまっています。
 平成21年度の採点雑感では,行政法の論文試験について「条文を条・項・号まで的確に挙げているか,すなわち法文を踏まえているか否かも,評価に当たって考慮した。」と記載されており,このような常識的事項にまでも配点して救済しなければならないほど出来が悪いのかという印象を受けたことがあります。
 また,平成23年度の採点雑感でも,全体的印象として「問題文,資料,設問を正確に読んでいない答案,何を聞かれているのか理解していないまま解答をしている答案が見られた。」「全体として,問題に素直に取り組んで自分の考えを論理的に述べるものが極めて少なく,問題に関係のありそうな事項の記述をランダムに並べるようなものが目立った。」との指摘があり,全体的な学習度の低さが窺われます。

(2)新司法試験に不合格になると無駄になる科目の履修が求められている
 具体例として,米倉教授は法曹倫理,リーガル・クリニック,エクスターンシップを挙げて,これらの科目は「法曹になった後に役に立つのだから,試験科目ではないが,受験前から勉強せよと求められても,学生がその気になりにくいのは当然のことではないのか」と述べています。
 受験者の7~8割が新司法試験に合格するという前提なら,このような科目を置いても良かったのでしょうが,実際は逆に受験者の7~8割が不合格になるという状態なので,これらの実務基礎科目を法科大学院で履修させることの合理性は疑問視されても仕方ないでしょう。逆に日弁連は,これらの実務基礎科目こそが法科大学院の存在意義であるかのように称え,実務基礎科目をさらに増やすように提言するつもりのようですが,このような米倉教授の指摘にはどう答えるつもりなのでしょうかね。

(3)選択科目の提供が質・量ともに,一般的に貧弱である
 たしかに,一般的な法科大学院の選択科目が,わざわざ大学院で学ぶほど高度で多様なものになっているかと言われると,肯定はできませんが,司法試験の勉強に忙しい学生達に多様な選択科目を提供しても,果して履修してくれるのかという問題があると思います。
 ちなみに,設置すべき新しい科目について,米倉教授自身が挙げている例は「成年後見関係法」と「立法学」ですが,あまり現実的な提案とは思われないので詳細は割愛します。

(4)真正未修者(法学部以外の卒業者)に関する問題
 具体的には,1年次から表見未修者(法学部卒業の未修者)とまとめて教育され,一般的には真正未修者の方が成績は下位となり,しかもその成績は奨学金支給を決めるにあたっての重大要素となるため,フェアではないと指摘されています。
 また,真正未修者は新司法試験の合格率も総じて低いため,真正未修者の志願者数は年々減少しており,米倉教授は「意見書が強調していた「多様なバックグラウンドを有する人材」を「多数法曹に受け入れる」という目標は挫折したと,はっきり認めるしかない」と述べた上で,「文科省は多様な人材を集めるという看板を早々に取り外した方がよい」とも述べられています。

1-3 学生に対する経済的支援が貧弱である
 一部の下位ローでは授業料全額免除等が広く行われている例もあるところ,法科大学院の学費は一般の大学院より高額ということもあって,公私の奨学金制度はまだ需要には追いついていないと言われています。
 この点について,米倉教授は「このままでは資産を有するか,資産家からの援助が得られるという恵まれた人々しか,法曹の世界に入って来れなくなってしまう。それ以外の人々は,はじめから法曹の世界を敬遠してしまうであろう」と指摘し,さらに「これは要するに,人材を取り逃がしていることなのであって,こういう状態のまま何年か経ると,法曹界は他の世界に比べて見劣りがすることになり,その存在感がいやでも薄れていくことになろう」とも指摘されています。

1-4 三振者の処遇をどうするか
 米倉教授は,三振者の処遇は目立ちにくいけれでも深刻な問題であり,三振者が声を挙げにくいことをいいことにして,この問題を放置してはいけないと指摘されています。なお,三振者の処遇に関する米倉教授の具体的な考え方については,戸籍時報2011年6月号に別稿(三振者失業が法科大学院制度に突きつけた三つの問題)を掲載しているとのことなので,興味のある方はそちらを参照して下さい。何となく責任転嫁論の予感がするので,黒猫自身はわざわざ読む気にはなれません。

○ 米倉教授の指摘に足りないところは?
 米倉教授の指摘については,一部大学側のエゴと思われる部分が混ざっていたり,現状に代わる対案の内容がいささか非現実的なものだったりする問題点はありますが,概ね的確な点を押さえているように思われますが,その一方で,特に1-2と1-4については,もっと切実かつ本質的な問題が欠落しているように思われてなりません。
 教育方法については,まず教員の質自体にかなり問題があり,特に下位ローでは司法試験など到底合格できないような大学教授が,学生も起きていられないほど退屈で無意味な授業を行ったり,合理性のない採点基準等で学生を振り回すような例も少なくないようです。多額の学費を払い2~3年も拘束されながら,司法試験合格に必要な学力は結局予備校に行かないと身に付かないというのでは,それだけで学生の不満としてはもっともなものと言えるでしょう。せめて法科大学院の教壇に立つ者は,原則として司法試験合格者とすることを義務づけろといった意見が出て来てもおかしくないところではあります。
 また,修了後の進路について,米倉教授は三振者の処遇のことしか念頭に置いていないようですが,最近は合格者についても,国税庁の調査では年収70万円以下の弁護士が5000人を超えているとの統計結果が公表されています。三振者は言うまでもないことですが,首尾良く新司法試験に合格して弁護士になることができても,極貧生活で借金を返せる見込みもない,単なるノキ弁でコンビニのアルバイトと掛け持ちしないと食べていけない,あるいは弁護士登録すらできないといった人が続出している状況
では,司法試験の受験資格を売り物にした法科大学院が学生から逃げられるのはある意味当然です。
 学者の立場から学生の不満を洞察するのは結構なことですが,学生や第三者の立場なら当然気付くような問題に気が付かないというのは,やはり法科大学院教授という立場の限界なのでしょうね。

1 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-03-03 22:15:18
医師養成のコース、制度設計を模範とすれば良い。

学校数と合格者枠を減らせばOK
合格率95%前後で合格後の
年収も需給調整で2000万クラスを維持できるように
数の調整をやればいい。
そうすれば、受験指導以外の分野についても
広く教授しまた学ばれるという意義も生かされると思う。