今日から12月となり、雪がちらつき、寒い、最高気温も3℃止まり、外の仕事とも残ってるが、家に閉じ籠った。
今年の3月に住処を家庭菜園にあったセカンドハウスに移したがそのときに片づけないで段ボールに詰めたままの書類等を整理し始めているが、80年も前の軍事郵便がそのままにあり、一部であるが開きはじめたが、その中に戦死通知があった。確かに紙切れ1枚だけの遺品なき通知だけであった。
故 海軍1等兵曾 ○○ ○○○君ハ
昭和19年7月8日 マリアナ諸島方面ニ於テ 戦死セラル
洵ニ哀悼ニ堪えず 謹ミテ護国ノ英霊ニ対シ
深厚ナル 弔意ヲ表ス
昭和20年7月23日
岩手県知事正5位
勲4等 宮田 為益
この文面での戦死の通知が保存されていた。
そして、一緒にあった書類に、当時の給料辞令があった。
給与証明書
海軍2等兵曾 ○○ ○○○
一 俸給 (月額)弐拾弐円也
昭和18年11月1日
第35号駆潜特務艇艇 艇長 海軍中尉 後藤末治 印
当時のお金を現在に換算すれば、どのようなのかは知る由なしだが
戦時中の社会を思い知る1日となった。
戦死通知も1年以上も過ぎてからとなっている。給料は家族にどのようにして
支払われたのだろう? 、終戦後の遺族の苦労は多く語られてるが、戦時中の
銃後の家族の生活も調べてみようと思った日です。