日本人って他人に対する同情や共感の感情が豊かな民族だったと思うんですけどが、最近ますますその能力が低下しているような気がします。
#人と人が社会を作ってそこで共存していくのには、まず他人の立場や心を思いやる事が必要なんですが、みなさん「心理的に」余裕が無いので、俺が俺がになってしまうんでしょうね。それに、他人を貶めても自分の価値は上がらないんだけどなぁ。
#人と人が社会を作ってそこで共存していくのには、まず他人の立場や心を思いやる事が必要なんですが、みなさん「心理的に」余裕が無いので、俺が俺がになってしまうんでしょうね。それに、他人を貶めても自分の価値は上がらないんだけどなぁ。
と言う感覚は希薄ですね。やはりご近所の人同士の、お互いに地域社会で共存しようと言う思いやりや気遣いはちゃんと存在します。
ただ、私自身は現在伊丹市内のマンションに住んでいるのですが、マンションの住人同士の関係が希薄なのは否めないですね。これは、集合住宅特有の感覚なのかも知れません(結婚するまで集合住宅に住んだ経験が無いので、どこも同じなのかどうかはわかりませんが)。
>海外から大阪に戻ると
私は大阪から東京に行くと、はむさんが仰ってるような事を良く感じます。大阪では、迷惑をかけた場合ちゃんと謝る人が多かったと思うのですが、もしかしたら私が電車通勤をしなくなったここ15年で変わっちゃったのかなぁ。
>自己防衛のために敵視してしまいますよね。
私は、初めてお会いする方には、まず好意を示す事にしています。これは私が商売人であると言う事もありますが、「信用してもらいたければ、まず他人を信用せよ」と言うのが自分の信条だからです。
#まあ、この方針を採用すると、現代日本では怒りやむなしさや悲しさを感じる事も多いんですけどねHi
相手の立場にたってものを考えることや、思いやりはとっても大切だと思います。
世の中すべてカネ次第っていうのもやりきれないですね。資本主義国家である限り仕方が無いのかもしれませんけれど カネで栄えた讀賣巨人軍は破綻していますね。
米国は隣人さえも信じられずに自分とその周辺のごく少数の人間をしっかり信じるしかないのですが、その代わりに自己表現・マナー・家族愛がガッチリしていると感じます。
日本はどうでしょう。隣人と共生していた時代は今は昔、信用できない他人が周囲にいる感覚に陥ります。
海外から大阪に戻ると、人ごみの中でぶつかろうが足を踏もうが何にも言わないわ、駅でタバコを吸うわ・・・と、ほぼ単一民族の中での過剰な馴れ合いがマナーの著しい低下を招いてるな、と感じます。
周囲に手本となる人が居るからこそ周囲の人間を尊重できる訳で、態度の悪い人が目立つと尊重も同情もする気になれず、自己防衛のために敵視してしまいますよね。
ただ、自分が(所謂)勝ち組であると思っている人たちが、あまりにも他人に対する共感や同情が無い意見をWeb上でも開陳しておられますので、やれやれと思う事が多いなぁと(苦笑)
AOZさん何かあったのですか?