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バー「サンボア」の百年(白水社)を読んで、「組織と個人の幸せな関係」を考える

2018-05-02 17:39:31 | bar
●日本のバーは世界でも独特の進化を遂げたそうだ。
行きつけのバーテンダーから教えてもらった。
氷を丸く削るのも、日本のバーならではの文化らしい。

バーテンダーの所作の美しさも、茶の湯そのもの。
その印象は、この本を読んで確かなものに変わった。

この本は、次の一文からスタートする。



駆け出しの頃、著者は、亡き客に聞かされた一言を、心に刻む。

バーとゆうもんはやな、板が一枚あって、その向こうに酒を並べる棚があってな、その間に『人格』があったらええんや

この冒頭の一文に、わいの脳はヤラレタ。
バーの本質が語られたからだ。

カウンターなどと言ったしゃれたものはそぎ落とせばよい。

板一枚に

向い合う、

バーテンダーと客は、

いわば、正客と主客。

言葉はいらない。

互いの人格を認め合う大人の合意があればいい…

それを確かめに、大人の男はバーに行くのだ。

バーテンダーはこんにち、日本の文化になった。


そしてこの長い物語を読むことで、わいは、

「組織と個人の幸せな関係」を考えるきっかけを得た。


●東京、大阪、京都にあるバー、サンボア。

発祥は1918(大正7)年、モダンな街、神戸に開かれた喫茶店のごとき、ミルクホール。今年、創業100年を数える。

創業者・岡西繁一から直接暖簾を継いだ3つの家系の3代目と、

それぞれのサンボアで修行した者たちの計12名のマスターが「サンボア」を名乗り、

14店の「サンボア」を営んでいる。

残された貴重な資料と関係者への綿密な取材に基づき、

それぞれのサンボアの歴史、店を立ち上げ、

店を背負ったマスターたちの思い、著者の半生を辿る。

●読んでいるうちに何だか泣けてくるのは、

筆者の、亡き師匠に対する感謝・愛情や、

戦中戦後のサンボアの先輩が潜り抜けてきた困難への尊敬の念や、

厳しくもお世話になり、指導を受けた泉下のお客への今も変わらぬ慈愛と、

それらをひっくるめたサンボアに対する限りない愛が

読み手にも伝わるからだ。


●独立しサンボアを名乗るためには、10年の修行と、サンボア店主全員の賛成が必要だ。

そうでないとサンボアを名乗ることはできない。なぜか?

サンボアに流れるイデアのようなものが身についていれば、

サンボアらしさがお客さんを惹きつけるから。一朝一夕に身に付くものではなく、

10年間のあいだに厳しくも暖かい環境で鍛え上げられる過程でみにつくんちゃうかな?

(なぜか関西弁がしっくりくる世界だなあ)

筆者からは独立しても、かつて自分を育ててくれた組織に対して愛をすごく感じる。

「生業(なりわい)はサンボアです」というセリフが、バーを営む著者の自己紹介だ。

●こんなにも幸せな、「組織と個人の在りよう」ってあるだろうか…

「のれん分け」という、日本の古い文化は、

西洋からやってきた「フランチャイズ」とは、根本的に「何か」が異なっていることに気が付いた。

何かとは何か?


●組織は技術・ノウハウの伝承とともに、生きていくうえで大切なイデアを個人に惜しみなく与え、

個人は、のれん分けしてもいいよと組織に認められるまで尽力し、

一定のレベルを超えて独立を認められた後も、組織の一員である「誇り」を片時も忘れない…

日本ののれん分けを行う中小企業の現場では、そこかしこにそれはある。

喧嘩別れは良くないのだ。

なぜ存在するのか不思議だった日本の埃をかぶる文化が

実は磨くといぶし銀だったりするのかも。

東京や大阪で修業した、丁稚のころのつらさを口にする中堅骨董商も
なんだかなつかしそうに口元が緩んでいるのは
こう言うことだったのかな?

組織と個人の関係は、こうありたいですね。