あなたの人生の伴走者、古都金沢のふるほん・古道具・骨董商「ふくもも文庫」。買い出しいたします。

★文化や教養力があれば毎日は楽しく過ごせます。ふくもも文庫はあなたへ癒しと笑い・懐かしさを届けます。

20代の生存戦略② 自尊感情と、生活保護の不正受給

2012-05-30 08:04:52 | 
・なん十社にも就職試験に落ちると自分を否定されたように感じるだろうな…

・僕らのころは電話一本で就職が決まったバブル世代だったもの。

・でもなんとか勇気を持ってもらいたいです

・みなさんは「自尊感情」ってしってますか?

・あなたのピンチを救う切り札です。

•ドイツ、オランダと比べてみても、日本の児童の「自尊感情」は低いらしい。

•日本の子供はなぜ自尊感情が低いのかという本を読むと興味深い内容があります。

・同じ日本人の児童でも、オランダの日本人学校の児童の「自尊感情」は、日本国内の児童ほど低くなかったという事実。

・要するに、「自尊感情」の低さは、日本人の遺伝でも文化でもなく、日本の学校教育システムのなかでつくりだされている可能性が大きい、ということです。

・自尊感情とは「自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情」のこと。

・就活に失敗しようが、婚活に躓こうが、一向にお構いなし。自分の価値は自分で決めるのだから。外部環境に影響されない真の強さ、逞しさ、勇気、優しさの源泉です。

・学習行動においては、
A自尊感情が高い人は困難に出会っても粘り強く努力するが、
B自尊感情が低い人はすぐにあきらめてしまう傾向がある。
 また対人関係においては、
A自尊感情の高い人は、他人からの賞賛や批判にさほど左右されず感情が安定しているが、
B自尊感情の低い人は、ほめられるとその相手が良い人に思え、けなされると悪い人に思えるようなところがあり、感情的にも不安定な傾向がある、とされる。


★僕は学生のころ自尊感情が低く、何をやっても自信がなかった。自分は人と比べて価値がない人間だと思っていた。

社会人になり、傷ついた自分を優しさと厳しさで包んでくれた先輩に救われ、人を信じることができ、ちょっとずつ「自分を肯定」して行けた。

それでも日々おびえている。自尊感情の維持は、日々のちっちゃい努力の積み重ねでメンタルを強化するしかない。
 
自分はどういう人間になりたいのか?それに恥じぬ生き方をしようとすることこそ小さな努力。

子供が生まれるとそんな感情も生まれるよ。

若い人へ

家族を持とう…いづれ。いつかわかるよ。


そういえば、最近テレビで高収入の芸人の親が生活保護を貰っていたりするね


★生活保護を不正受給する人は、その代償として、

ひととして大切な「自尊感情」という宝物を、

ゴミ箱に捨てているんだと思います。













20代にお勧めの本②…無人島に生きる十六人 (新潮文庫) [文庫]

2012-05-29 18:06:30 | 
無人島に生きる十六人 (新潮文庫) [文庫]

須川 邦彦 (著)


★内容は以下の通りです。


大嵐で船が難破し、僕らは無人島に流れついた!明治31年、帆船・龍睡丸は太平洋上で座礁し、脱出した16人を乗せたボートは、珊瑚礁のちっちゃな島に漂着した。飲み水や火の確保、見張り櫓や海亀牧場作り、海鳥やあざらしとの交流など、助け合い、日々工夫する日本男児たちは、再び祖国の土を踏むことができるのだろうか?名作『十五少年漂流記』に勝る、感動の冒険実話。


困難に陥った時、どう集団は困難に立ち向かうか?

現在の東北、特に福島なんかはこの本と同じくらいの困難にあります

とにかくリーダーが冷静です

みなに仕事を割り振り、ローテーションさせ、規律を守らせ、学習もします

一人でも落ち込んだり悲しみに心をやられないようにするためです

見張りを交代で置き、「必ず助かるんだ」という希望を捨てず、

明るく助け合う明治の男たちに、

★避難所や学校、倶楽部、会社経営?のヒントがあると思うよ


★もしあなたが就職活動で50社以上に落された時、

失恋した時、やる気が出なくなった時、途方に暮れて投げやりになった時、

死にたくなるような絶望感に襲われた時、

この本の中にヒントがある


①毎日やることを決める

例えばバイト・洗濯・情報集め・散歩・本屋図書館・人と会う
庭いじりなど、けいかく的に割り振る


→規律を守り、落ち込む暇を与えない


②学ぶことを続ける

どんな状況下でも学ぶ自分でいることで、自尊感情を保つ

③仲間を集める

助け合うことで、強くなれる

あなたは条件が整わないとできない人?、「できる人?」「修正できるひと?」

2012-05-15 09:55:23 | 日記


★完全に条件が整わないと「自分にはできない」と思い込んでしまう
そんなひともいれば、

そうでないひともいる。

前者は学歴の高い人、長女・長男に多いような気がする。

自分の周りの親などに相談すると、大概の人は
「そんな夢みたいことやれるはずがない」
とか「現実は甘くはない」と言う。
子供がリスクを負って挫折した場合、苦しむ自分(親)になりたくない。
つまり、

★子供の夢 < 自分の安らかな日々・自分の生きてきた常識


でも無難に育った人は、雑草にひるむ。
今の時代、これからは
8割条件がそろったらGOだ。
修正して、またやり直せばいい。
またそう思っていれば、今を耐えて行ける。

20代で読んでほしい本① 「10歳の放浪記」 上条さなえ 講談社文庫

2012-05-14 09:35:03 | 20代
ぜひ読んでほしい。

「社会が悪い」
「景気が悪い」
「自分以外の誰かが悪い」
そんな言い訳は、いっさい通用しません!
この本を読めば…

★自分の将来への漠とした不安や、まだ起きても無い未来を暗い風景に感じる人に
大きな勇気を与えてくれるよ。

主人公は昭和30年代に父子2人で、今夜の寝る場所もおぼつかない、明日の朝食も食べられるかどうかわからないといった、極貧のホームレス生活をした体験談だ。

お母さんは旧家の出で、無学歴の父を軽蔑している。父の違う姉はどこまでも優しい…

どん底で優しい人、優しくない人が子供の目からも冷静に判別される。
母が月に一回しかたづねて来てくれない女の子と親友になり、
パチンコでやくざ者に助けてもらいながら生活費を稼ぎ
貧乏人同士が助け合ったり。
ついこの間のことだ、昭和の混乱期で起きたこと。
今後の日本にまた起きるかもしれないが、そんなときでも本書は穂先のランプになると思える。

「お父さんは、お前を育てるのに疲れたよ」
池袋の安宿に泊まるお金も酒代に消える父の言葉が切ない。

それでも子供は親を愛している…

たぶん親も。酒におぼれながら、子供に謝りながら、施設に送る悲しさ。
人は弱い。
だから…
心と体を鍛えようと僕は思う。


★主人公はあとがきで、後の施設での壮絶ないじめも、

放浪の体験から比べると屁でもない

どんな困難も耐えられるといっています。

彼女の親への感情・困難な幼少期を追体験できて

僕は、自分の小さな将来への不安や日常の惰性を、叱りました

はづかしい

そして親として、親は子育てが苦しいもんであり、

それでも子供にとって親は選べないし、親が子供の運命を100%決めるんだなあと

思うと、子供に対する自分の態度も真剣勝負だと思った

真剣に生きること愛することその意味



蹴活の失敗や婚活のトンネルで落ち込んだあなた、
そんな悩みは著者の経験に比べると特別じゃない
むしろ「取るに足らない」んだなあ、
★そう「あとがき」を読むことで励まされるかもしれませんね。


自分のつまずき、小さな不安は

先人たちの人生を疑似体験することで

雲散させることができる。

読書、良書との巡り合いとは、

人との巡り合いにも似ているね。」

大事なことです…

心を鍛えよう




いまこそお坊さんの役割がある…救済のため書を捨てて街へ出でよ

2012-05-10 07:23:06 | 日記
最近は寺に生まれても、普段はサラリーマンで稼ぎ、週末坊主という若者が増えているらしい…

なんか日本の農家の長男坊みたいだね。

檀家が減少しており、そうすると寺を維持するお金が稼げないというためだ。

檀家制度・妻帯・世襲がよく伝統宗教を堕落させたといわれている。
本山の京都は地方の寺からの上納金を世襲によってため込んでいるとのうわさもある。既得権には課税すべきやね。


一方、地方の寺は、「なにもしなくても檀家から稼げた」時代は終わり、世襲で喜んでいるひとはいない。

収益事業として、霊園開発やITを使ったお墓ビジネスに乗り出している人もいる。

それって本筋では無いんだが…

本来、坊主は人のこころを救済してなんぼである。

ああのお坊さんの話は良かった、救われた、腑に落ちたなどと感じられる説教ができる人間力を備えてこそ、生き残る。

坊主もホンモノでないと生き残れない時代だね。



今日、我々現代人が説経を聞く機会は、全くといっていいほどなくなってしまった、ということは形式の中に埋没していてその存在意義を見失っているといったらいいすぎであろうか?

坊主のかつやくする場は今の時代だからこそある。確実に。中世の混乱期に世の中へ飛び出した遊行僧的な生き方を、ぜひ街中でやってほしい。
コンビニならぬBO:Zuバー創って若者の悩みを聞いてあげたいね。聞くだけで楽になる人もいるだろうから…

おもいおこせば中世における説経は、乞食同然の漂泊の者たちによって語られたそうである。
念仏聖や高野聖のような遊行僧たちも、各地の寺院を拠りどころにしながら、全国を漂泊して、説教や念仏語りをしていたそうだ。
 中世も後期になると、説経者たちは、神社を拠点にして、芸能者として職能集団を作り、各地の寺院の広場において、聴衆を相手に語るようになった。

中世の大寺院は、大勢の人が集まる場であり、またアジールとしての役割も果たしていた。非日常的な空間として、芸能者の営為が成立しやすかった。
そういえば骨董市がたつのも神社や寺院である、いまでも。口上を述べていると、なんとなく香具師や芸能者の感じがしてくるのでおもしろい(演技です)。


説中世の民衆は、戦乱の中で踏みにじられ、抑圧され、この世に希望をもてないものが多かっただろうね。

そんな彼らに向かって、説経者たちは、抑圧と開放、死と再生、憎しみと愛を語った。人間の本源、時代を超えた普遍性とはなにか


僕らは中世の日本人の末裔…


末法もしぶとく生きてきた

今の若い人たちも蹴活で落とされたり、正社員になれなかったり、会社をやめたくても辞められなかったり、何度も婚活したり、収入あがらなかったり、海外勤務あったり(ぎゃくにおもろいけど)重なる障害はある。
BUT、それに耐えながらも、自分の強い意志によって行動し、最後には自分の魂の開放を感じられる人生を掴んでほしい。