1877年から5年連続、石川県の人口は日本一位だった!?
北前船が物流の主役だったころ、穏やかな日本海側は
黒潮の太平洋側に比べてコスト面で有利だった。
そのころ金沢市は
日本海側のスーパースター都市だった。
もっともカッコよかった時代。
金沢は徳川家の城下町や京都を除くと、日本最大の城下町だったそうです。
市レベルでも東京・大阪・京都・名古屋に次ぐ全国第5位の大都市であり、
文化の中心地としての貫禄を認められ、
日本海側として初めて第九師団が置かれて軍都としての地位も確立していました。
また、第四高等学校が全国5つの高校の1つとして設立され、学問的にも先進都市として君臨するなど、
まさに日本屈指の一大スーパーシティでした。
●なぜその後、金沢をはじめとした日本海側は、太平洋側に比べて後れを取ってしまったのでしょうか?
その大きな一因は人口の都市圏への大流出でした。
コメの一大単作地帯で、太平洋ベルト地帯の工業化についていけなかった北陸は、
近代化の進んだ太平洋側にどんどん人口を取られていきました。
農家の次三男らが
北前船を滅ぼした鉄道に乗って、
東京・大阪などの大都市へ流出し、
工場労働者のほか、都市化にともなって増える小商人・職人・店員らになったのです。
人口は
経済や文化の源・パワーだ。今のインド・中国・ベトナムを見ればわかる。
いつしか、かつて文化の先端だったこと、日本を代表するスーパーシティーだった事実さえ、
僕たち金沢人は忘れてしまった。
●そして、「第二の危機」が迫る。
2045年
いまから32年後
金沢市の人口は43万人となるそうだ。
老年人口割合 35.0 %に上昇。
人口減少という津波だ。
いまでも募集しても働き手が集まらないと
金沢駅前の居酒屋や清掃会社はぼやいているというのに…
今よりさらに少ない労働人口で
生き残りをかけなければならない。
Kanazawaは戦災に遭わずに済んだし、
バブルを経ても戦前の建物が
駅前から観光地にかけてまだ残っている珍しい都市です。
たとえ経済が衰退しても…
そういえば
貧乏なアテネやリスボンで見た旧市街地がなんと美しかったこと…
路地で笑う親子、洗濯物、白い壁、彼らのなんでもない日常生活こそシャッターチャンスだった。
休みとなれば、はるかにパルテノン神殿に続く石畳の路傍に、
普通の市民がいらないモノを並べて露店を開く。
「誰でも商売してもいいのか」と尋ねると、アテネ市民はうなづく。
僕は日本から持ち込んだ薄いシャープ製電卓を10枚並べて、500ドラグマで売った。
あのころは珍しかったんだね。結構売れたな。
その残像が僕に極論を言わせる。
日本を代表するスーパーシティーという
金沢の過去の栄光はもう来ないかもしれない。
でも過去の遺物を未来のKanazawaに生かすことは可能である
残念だが今の金沢に日常生活でサムライ文化はもう残っていない。縁遠い気がする。県立美術館の収納品行きだ。
見世物でない本物の日常で、他の都市にないものは何か?
徹底的に考えて、
ヨーロッパの旧市街地のように
日常生活を
観光資源として見せることで暮らせたらね。
たとえば昭和という生活スタイルを
お店でもいいから
古い建物とともに路地や通りに残したいものだね…
地価高騰で小資本の地元のお店やおばあさんが県外資本に家屋を売ることは
金沢の未来の死を意味する。
いまはやや新幹線ブームは落ち着いてきたし、
なんだかできそうな気がするなあ
北前船が物流の主役だったころ、穏やかな日本海側は
黒潮の太平洋側に比べてコスト面で有利だった。
そのころ金沢市は
日本海側のスーパースター都市だった。
もっともカッコよかった時代。
金沢は徳川家の城下町や京都を除くと、日本最大の城下町だったそうです。
市レベルでも東京・大阪・京都・名古屋に次ぐ全国第5位の大都市であり、
文化の中心地としての貫禄を認められ、
日本海側として初めて第九師団が置かれて軍都としての地位も確立していました。
また、第四高等学校が全国5つの高校の1つとして設立され、学問的にも先進都市として君臨するなど、
まさに日本屈指の一大スーパーシティでした。
●なぜその後、金沢をはじめとした日本海側は、太平洋側に比べて後れを取ってしまったのでしょうか?
その大きな一因は人口の都市圏への大流出でした。
コメの一大単作地帯で、太平洋ベルト地帯の工業化についていけなかった北陸は、
近代化の進んだ太平洋側にどんどん人口を取られていきました。
農家の次三男らが
北前船を滅ぼした鉄道に乗って、
東京・大阪などの大都市へ流出し、
工場労働者のほか、都市化にともなって増える小商人・職人・店員らになったのです。
人口は
経済や文化の源・パワーだ。今のインド・中国・ベトナムを見ればわかる。
いつしか、かつて文化の先端だったこと、日本を代表するスーパーシティーだった事実さえ、
僕たち金沢人は忘れてしまった。
●そして、「第二の危機」が迫る。
2045年
いまから32年後
金沢市の人口は43万人となるそうだ。
老年人口割合 35.0 %に上昇。
人口減少という津波だ。
いまでも募集しても働き手が集まらないと
金沢駅前の居酒屋や清掃会社はぼやいているというのに…
今よりさらに少ない労働人口で
生き残りをかけなければならない。
Kanazawaは戦災に遭わずに済んだし、
バブルを経ても戦前の建物が
駅前から観光地にかけてまだ残っている珍しい都市です。
たとえ経済が衰退しても…
そういえば
貧乏なアテネやリスボンで見た旧市街地がなんと美しかったこと…
路地で笑う親子、洗濯物、白い壁、彼らのなんでもない日常生活こそシャッターチャンスだった。
休みとなれば、はるかにパルテノン神殿に続く石畳の路傍に、
普通の市民がいらないモノを並べて露店を開く。
「誰でも商売してもいいのか」と尋ねると、アテネ市民はうなづく。
僕は日本から持ち込んだ薄いシャープ製電卓を10枚並べて、500ドラグマで売った。
あのころは珍しかったんだね。結構売れたな。
その残像が僕に極論を言わせる。
日本を代表するスーパーシティーという
金沢の過去の栄光はもう来ないかもしれない。
でも過去の遺物を未来のKanazawaに生かすことは可能である
残念だが今の金沢に日常生活でサムライ文化はもう残っていない。縁遠い気がする。県立美術館の収納品行きだ。
見世物でない本物の日常で、他の都市にないものは何か?
徹底的に考えて、
ヨーロッパの旧市街地のように
日常生活を
観光資源として見せることで暮らせたらね。
たとえば昭和という生活スタイルを
お店でもいいから
古い建物とともに路地や通りに残したいものだね…
地価高騰で小資本の地元のお店やおばあさんが県外資本に家屋を売ることは
金沢の未来の死を意味する。
いまはやや新幹線ブームは落ち着いてきたし、
なんだかできそうな気がするなあ