もものはながさいーたよ はるのにおいがすーるよ おひなさまーはだーあれ おひーなさまはだあれ?
節分の次はおひなまつりです。春が来るのを素直な気持ちで待ち望んでいます。
保育園のお雛様は豪華七段飾り。クラスにはこどもたちが千代紙やかみざら、シールなどで作った工作のお雛様が並びます。
「今年のひな祭りは、どうしようね」とそのたびに話し合って少しずつ変化もしてきたわけですが、今回の職員の話し合いのなかで、「女の子、男の子と分けて考えていることについて」あらためて考えさせられました。
担当の保育士は、年長クラスの「おんなのこ」が、白酒と雛あられをふるまって「おもてなし」する、というのをプログラムのひとつとして考えていたのですが、別の保育士から「なぜ、おんなのこに限るのか」と意見が出ました。
「おんなのこだけがおもてなし・・・・・・どうなんでしょうね?」というのです。
そうか、『性別による役割分業』と言われればそうなのかもしれないのです。男の子のなかにも「おもてなし」をやってみたいという子がいるかもしれません。
しかし、なんだかすわりがわるい、「違和感」なのです。
おりがみが担当した雛祭りのときは、年長のクラスは二人の女の子しかいませんでした。赤ちゃんクラスのときから育ちあい、1、2、3歳クラスのときは他の子もいたのですが、彼女らが5歳のときは二人きりになっていました。さまざまな事情からたまたま少人数になってしまったのですが、彼女たちはまさに保育園の全部のこどものおねえちゃんでした。「あゆちゃん、あやねえちゃん」と慕われて、3月。雛祭りをやるとき、おりがみは二人にエプロンを用意しました。(結婚のお祝いにいただいたフリフリの可愛いやつです。しかし10年余りタンスの肥やしでした。)このエプロンをつけ、誇らしく梅ジュースと雛あられをくばった二人でした。
保育士が浴衣のお古をなおして、十二単のような衣装をこどもが着て、お雛さま気分になって踊ったこともありました。
ある年は障子紙を折り染めにして着られる大きさの水干や袿を作り、全園児お雛様に成りきってコスプレ大会!五人囃子のようにカスタネットやタンバリンでにぎやかに練り歩いたこともあります。
おとこのこだ、おんなのこだと分けてかんがえていたとは、おもえないんだけど・・・。
見る人によっては「わけてるじゃん」かもしれません。
お雛様の格好をしたい男の子がいても、「おもてなし」をしたい男の子がいてもいい。ただ、あえて、「男の子もやっていいのよ」といいたしていくのはなんだか、違和感を感じてしまうのです。
「女の子だからやりなさい」ともいわなくてもいいともおもいますが、そうなると、雛祭りそのものを起源からもっと深くほりさげて、「こんな古い考えなら、こどもにふさわしくないからやめましょう」ってなりかねないんじゃないか?とおもってしまいました。
5月5日は見事に端午の節句から「こどものひ」になりましたが、それは、児童憲章とのかかわりがございますゆえ・・・・。そちらの話はまた別の機会に。
おりがみは、古いにんげんでしょうか?「むかし」は理不尽なこともおおかったとおもうのですが、廃れていい理不尽を見極めないと、すっかすかの雛祭りになって、やがては年中行事のすべてが「やめましょう」になってしまいそうな気がします。
明日の雛祭りはダブルヘッダーでおしごとです。
節分の次はおひなまつりです。春が来るのを素直な気持ちで待ち望んでいます。
保育園のお雛様は豪華七段飾り。クラスにはこどもたちが千代紙やかみざら、シールなどで作った工作のお雛様が並びます。
「今年のひな祭りは、どうしようね」とそのたびに話し合って少しずつ変化もしてきたわけですが、今回の職員の話し合いのなかで、「女の子、男の子と分けて考えていることについて」あらためて考えさせられました。
担当の保育士は、年長クラスの「おんなのこ」が、白酒と雛あられをふるまって「おもてなし」する、というのをプログラムのひとつとして考えていたのですが、別の保育士から「なぜ、おんなのこに限るのか」と意見が出ました。
「おんなのこだけがおもてなし・・・・・・どうなんでしょうね?」というのです。
そうか、『性別による役割分業』と言われればそうなのかもしれないのです。男の子のなかにも「おもてなし」をやってみたいという子がいるかもしれません。
しかし、なんだかすわりがわるい、「違和感」なのです。
おりがみが担当した雛祭りのときは、年長のクラスは二人の女の子しかいませんでした。赤ちゃんクラスのときから育ちあい、1、2、3歳クラスのときは他の子もいたのですが、彼女らが5歳のときは二人きりになっていました。さまざまな事情からたまたま少人数になってしまったのですが、彼女たちはまさに保育園の全部のこどものおねえちゃんでした。「あゆちゃん、あやねえちゃん」と慕われて、3月。雛祭りをやるとき、おりがみは二人にエプロンを用意しました。(結婚のお祝いにいただいたフリフリの可愛いやつです。しかし10年余りタンスの肥やしでした。)このエプロンをつけ、誇らしく梅ジュースと雛あられをくばった二人でした。
保育士が浴衣のお古をなおして、十二単のような衣装をこどもが着て、お雛さま気分になって踊ったこともありました。
ある年は障子紙を折り染めにして着られる大きさの水干や袿を作り、全園児お雛様に成りきってコスプレ大会!五人囃子のようにカスタネットやタンバリンでにぎやかに練り歩いたこともあります。
おとこのこだ、おんなのこだと分けてかんがえていたとは、おもえないんだけど・・・。
見る人によっては「わけてるじゃん」かもしれません。
お雛様の格好をしたい男の子がいても、「おもてなし」をしたい男の子がいてもいい。ただ、あえて、「男の子もやっていいのよ」といいたしていくのはなんだか、違和感を感じてしまうのです。
「女の子だからやりなさい」ともいわなくてもいいともおもいますが、そうなると、雛祭りそのものを起源からもっと深くほりさげて、「こんな古い考えなら、こどもにふさわしくないからやめましょう」ってなりかねないんじゃないか?とおもってしまいました。
5月5日は見事に端午の節句から「こどものひ」になりましたが、それは、児童憲章とのかかわりがございますゆえ・・・・。そちらの話はまた別の機会に。
おりがみは、古いにんげんでしょうか?「むかし」は理不尽なこともおおかったとおもうのですが、廃れていい理不尽を見極めないと、すっかすかの雛祭りになって、やがては年中行事のすべてが「やめましょう」になってしまいそうな気がします。
明日の雛祭りはダブルヘッダーでおしごとです。
>5月5日は見事に端午の節句から「こどものひ」になりましたが、それは、児童憲章とのかかわり
あの、すごく気になってます。なぜ子供の日は端午の節句と同じ日に決まったんでしょうか。男の子を大事にしていた昔の男尊女卑思考のせいなのでは?と思っていますが…
憲法ができて、祝日が決まって、児童憲章ができて、という「順番」にこだわると、そうなのかなあって、思うのですよ。かなり乱暴な推測ですが、憲法記念日に近いし、子ども関係のぎょうじもあるから、「お、この日がいいじゃん」と決めた可能性もあるかも。そのころは、男女平等参画社会とか言う以前の「男女同権」がやっとこさの到達点だったのではないでしょうか?(あくまで推測ですよ、推測。)
おりがみは昔々の男尊女卑があったこと、未来永劫覚えといたほうがいいような気もする。「こうなりがちなことをわれわれは過去にやってきているからきをつけようね、ほーらまたやってるジャン」とお互いをいましめるちゅうかですねー。
そのためには「暫定的に」端午の節句からの流れに乗っかっているっていうかんじの「子どもの日」をうけとめてます。(ごめんなさいねー、かなり頭の引き出しがこんらんしてます。)