記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

日本人は幼くなっているのか?

2004-11-24 | 保育について
先週末はこどもの学校の懇談会が続き、職場の保育園の学習会もあり、乳幼児期から思春期、青年期を猛スピードでみてきました。
気にとめたこと、書きます。

中学校1年したむすめのクラス懇談会にて
女子の中に、飴やガムを持ってきて口にしている子がいる。
男子で流行っているのは遊戯王カードゲーム。

高校1年うえむすめ学年懇談会にて
校外学習の帰りの観光バス内で「ビデオが見たい」といった生徒がいた。ガイドさんが「あいにくドラえもんしかありませんが」とやんわり断ったのだが「みたいみたい」と騒ぎ出した。

保育園学習会の講師のお話し
勤務する短大にはカウンセラーや心理療法士、教師などを目指す学生がいるが、彼らの多くは子ども時代に
人と触れ合って遊んだ体験が著しく乏しい。教官の間では「育てなおし」をするのが了解時事項。授業の中に触れ合って遊ぶ時間を設ける。「だるまさんがころんだ」をやった事がない子が多数いるそうだ。急にじかに触れ合う遊びはかえってダメ。そこで、女子大生が「尻尾取り」とかやっている。
「成人は20歳ではなく30歳としていいのではないか」「20代で子どもが出来たら30年前の中学生が子持ちになったとおもっていい」と教官達は考えているとのこと。


どの現象のねっこにも「幼さ」が感じられる。

タバコやお酒、ドラッグ、賭け事に走るより遊戯王カードに走ってもらったほうがいい。
時と場所をわきまえて遊んでいるのだから、まだ先生方はゆったりとみていられるようだ。
ただ、飴ガムはそうはいかない。真剣に話しているときに、口をクチャクチャやられたら相手がどう思うか?人目を気にするくせにこういうときのじぶんの姿にどう想像力を働かせるのか?
甘いものへの執着は何かの欲求不満の裏返しかも。

大きくなってもドラえもん、見たってかまわない。でもバスで駄々こねるのはNG。どうして「見たいのか」ちゃんと話せばよかったのに。目で見るものにしか反応しないとしたら、ちと困る気もするが。

現象の底にある子どもの願いや、痛みや弱さを、大人は汲み取ってあげなければいけないのだろう。
それには、ものすごく忍耐と体力が要りそうです。


ゼロ歳から三歳くらいまでを猛スピードで過ごすようになりました。ほんとはじっくりゆっくりしっかり生きたいのに。誘惑や情報は溢れるほどなのに、それらを適切に処していくだけの知性や体力が育っていない感じです。その反動か、青年期がやたらとながーくなってしまったとか。

四十にして惑わずといいますが迷ってばかりのおりがみ、やっぱり幼いか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。