最近、高校生の制服の乱れがひどくなっている。私の学校でも、先生方が毎朝校門に立って指導している。いま先生方の悩みの種は、携帯電話と制服と着崩しにあるようだ。制服の着崩しは、過度でなければ一人ひとりの個性を表す手段となるし、自己表現の一つの方法であるかもしれない。しかし、過度の着崩しは周囲の人たちに不快感を与える。大人からは「人間性が乱れている」と取られても仕方がないだろう。また、女子高生の無防備な身なりが異性を刺激し、淫らないたずらや事件に発展している。
服装検査が時々行われるが、学校側が躍起になって正しても、生徒の方は検査が終わればまたもとに戻してしまう。まるで、いたちごっこだ。学校側が厳しくし過ぎれば、生徒は怒りや反抗心を先生に対してだけでなく、社会や大人にまで向けるだろう。
高校時代にしか着られない制服。私の学校はデザイナー・ブランドの制服である。私は、この制服に愛着を持って、上手に着こなしたいと思っている。ー絵里
(これは、2年生の絵里の作文です)
服装検査が時々行われるが、学校側が躍起になって正しても、生徒の方は検査が終わればまたもとに戻してしまう。まるで、いたちごっこだ。学校側が厳しくし過ぎれば、生徒は怒りや反抗心を先生に対してだけでなく、社会や大人にまで向けるだろう。
高校時代にしか着られない制服。私の学校はデザイナー・ブランドの制服である。私は、この制服に愛着を持って、上手に着こなしたいと思っている。ー絵里
(これは、2年生の絵里の作文です)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます