ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

丸山真男「日本の思想」を読む(2/3)

2024年04月23日 | 読書

(承前)

Ⅱ近代日本の思想と文学

  • 文学と政治の駆け比べの意味転換(国勢と文学はかけ離れていたが、政治の走路が「民間」的な文学にぐっとすり寄ってきた)と、文学に対する「論理的構造を持った思想(マルクス主義)」の切り込み(プロレタリア文学の誕生)と、この二つの軸が「台風(マルクス主義とコミュニズム)」の基本構造を形成している、しかもこの二つの軸は「政治は、より正確にはプロレタリアートの立場に立つ政治は、科学の意識的適用である」という命題によって内面的に離れがたく結合されていた(p89)

Ⅲ思想のあり方につて(講演記録)

  • インテリという等質的な機能で結ばれた層が存在しないということは、文学者、社会科学者、自然科学者それぞれがいわば一定の仲間集団を形成し、それぞれの仲間集団が一つのタコツボになっている、こういう事態として現れています(p142)
  • ただ、日本の特殊性はどこにあるかというと、ヨーロッパですとこういう機能集団の多元的な分化が起っても、他方においてはそれと別の次元で人間をつなぐ伝統的な集団や組織というものがございます、例えば協会、クラブとかサロンとかいったものが伝統的に大きな力を持っていて、これがコミュニケーションの通路になっているわけです(p143)
    コメント
    こういう記述にも西欧は日本より優れているという意識が垣間見られる
  • ただ、日本の場合注意しなければならないことは、現在の日本全体としては必ずしもクローズド・ソサエティではない、それどころか日本全体としては、世界中に向って開かれている、タコツボ化した集団がインターナショナルに外に向って開かれているということ、そういう所ですからいわゆるナショナル・インタレストというものが、ハッキリした一つのイメージを国民の間には結ばないのは当然であります(p146)
  • 数年前に吉田首相が全面講和を唱えた著名な学者のことを曲学阿世という言葉で罵倒したが、その学者を知る人はそれからもっとも遠いことは明らかでした。ところが日本のオールド・リベラリストの人々の少なからずが、その吉田さんの言葉にひそかに、あるいは公然と喝采をおくった、そういう人たちの現代日本についてのイメージは、自分たちが圧倒的な力を持つ進歩的勢力に取り巻かれているというものだが、実は進歩派の論調は一、二の総合雑誌でこそ優勢だけれども、現実の日本の歩みは大体それと逆の方向を歩んできた、吉田さんに喝采した人たちはマイノリティどころかマジョリティーの上にあぐらをかいていることになるわけです(p148)
    コメント
    吉田首相の曲学阿世発言は言い過ぎだろうが、結局、吉田首相の判断が正しかったことは明らかであろう、学者が自分の信念で理想論を言うのは問題ないが、現実を無視した理想論は国家を危うくするのは今も昔も同じでしょう
  • 戦前の日本では、こういうタコツボ化した組織間の間をつないで国民的意識の統一を確保していたものが天皇制であり、特に義務教育や軍隊教育を通じて注入された「臣民」意識でした、戦後は、共通の言語、共通のカルチャーを作り出す要素としては何と言ってもマスコミが圧倒的な力を持つということになります(p150)、ただ、マスコミによる驚くべき思考や感情、趣味の画一化、平均化が進行している、民間放送がいくつできても放送内容はどれも大体同じものになってしまう(p151)
    コメント
    マスコミの驚くべき思考の画一化は丸山氏の指摘するとおりでしょう、しかも、マスコミ、特に新聞は自分たちの信ずる主張を振り回すだけで、それとは異なった見方があることを読者に紹介しない、世論誘導してるといわれても仕方ないでしょう

(続く)


ゴールデンレイクスでゴルフ、帰りに「さくら坂VIVACE」でイタリア気分に

2024年04月22日 | ゴルフ

栃木県真岡市のゴールデンレイクスカントリークラブでゴルフをしてきた。何回も来ているコースだ。費用は2人で12,400円。天気は曇り、気温20度、春のゴルフとしては汗もかかずに快適に回れた天候だった。

27ホールあるコースで今日はグリーンコースからブルーコースと回った。カートのホール内乗り入れ可能で楽なラウンドができた。カートにはナビがついている。

このコースはアメリカンスタイルのコースレイアウトで面白い、大きなワングリーンでアンジュレーションもあり難しい。バンカーはあまりないが、非常に大きいフェアウェイバンカーがところどころにある、ホールはあまりアップダウンがないが、傾斜が結構キツいところがある。池やがけがところどころにある。飽きさせないレイアウトである。

プレーの進行は前半のハーフは何も問題なし、2時間かからなかったが後半は少し待たされることがあったが許容範囲内だった。お昼ご飯は普通か。

ゆっくり楽しめました。

さて、この日は1時過ぎにはコースを後にしたので、いつもの通り少し寄り道をした。先ずは、ゴルフ場から15分くらい南下した筑西市にある「道の駅グランテラス筑西」に寄った、1回来たことがあったところだったが忘れていた、地元の農産物などを売っているのでちょっと見て、地元のお菓子「館最中」と「期間限定桜かすてら」を、あとお茶を二つ買い、スタバで自宅用のコーヒー豆(スマトラ)を一つ買った。

次に、常磐高速の谷和原インターから15分くらいにある「さくら坂VIVACE」に寄ってみた、昨年始めて訪問し、今回は2回目。ここは守谷のはずれの丘の上、木々に囲まれた静かな場所にある古民家カフェトラットリア、イタリアで過ごした時間を切り取ったようなちょっと日常から離れた、季節と自然に触れ合う空間、守谷でイタリア気分が味わえるところとしてテレビで紹介されたこともある。

敷地内にはレストラン、ショップ、あとは何をするところかはよくわからないがイタリア風の小屋がいくつかある、そしてその敷地の奥の端からは広々とした田園の風景が見える、もうちょっと後に来れば田植えが終った田園地帯になるのだが。車でないと来れないと思うが結構客が来ていた、みな女性客である。

今日は、私はハーブティー、嫁さんは紅茶、そしてケーキ(アップルパイ)を一つたのんだ、値段は全部で1,600円ちょっとでリーズナブル、味はいずれもおいしかった。喫茶のあとは屋外を散歩してもOKなので、一渡り敷地内を歩き、ショップをのぞいて庭に植える花を2つ買って帰った。

ご馳走様でした。


丸山真男「日本の思想」を読む(1/3) 

2024年04月21日 | 読書

丸山真男「日本の思想」(岩波新書)をKindleで読んでみた。1961年発刊の古い本だ。丸山真男といえば戦後の進歩的文化人の代表とも言える存在であり、いまだに年配者を中心に支持者が多いようなので、一度読んでみようと思った。

この本を1回読んだだけで理解することなど無理だが、学生のように本書ばかりを何回も読み返すわけにもいかないので、無理を承知で著者の主張を章を追って順に見ていき、それらについての私の感じたことをコメントとして書いてみたい

Ⅰ日本の思想

  • 著者が本書を書いた問題意識は、あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互関連性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸にあたる思想的伝統はわが国には形成されなかった、というものだ(p10)
    コメント
    著者はあとがきで、本書は、もっぱら欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を「理想」化して、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたとかいった類いの批判は誤解であると述べているが、そうとも思えない。一例をあげれば、まえがきで、各時代のインテリジェンスのあり方や世界像の歴史的変遷を辿るような研究が第二次大戦後に西欧やアメリカでは盛んになってきた、このようなアプローチはヨーロッパの思想史学では必ずしもめずらしいものではなく、History of western ideasとかGeistesgeschichte(独語「知的歴史」の意)とかいったいろいろの形で行われてきたものである、と述べており、日本にはそれがないとしている(p8)、これなどは日本は遅れており、西欧が優れていると言っているのと同じではないか
  • 一方、著者は、およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかにストックとしてあるという事実とを、同じ過程としてとらえ、そこから出てくるさまざまの思想的問題の構造連関をできるだけ明らかにすることにある、とも述べている(p189)
    コメント
    本書の中で著者がどのようにその構造連関を明らかにしたのかわからなかった
  • そして、本書はこうしてわれわれの現在に直接に接続する日本帝国の思想史的な構造をできるだけ全体的にとらえて、現にわれわれの当面しているいろいろな問題(知識人と大衆・世代・思想の平和的共存など)がその中で発酵し軌道づけられてゆくプロセスなり、それらの問題の「伝統的」な配置関係を示そうという一つの試図に過ぎない、としている(p191)
    コメント
    著者には、自分を知識人として大衆と区別する優越意識があるのがここだけではなく本書の他の部分でも出ているのは残念だ
  • 著者は開国の意味するところを、維新を境にして国民的精神状況においても個人の思想行動を取ってみても、その前後で景観が著しく異なって見えるとしている(p16)。そして、伝統思想が維新後いよいよ断片的性格を強め、諸々の新しい思想を内部から整序し、あるいは異質的な思想と断固として対決するような原理として機能しなかったこと、まさに、そこに個々の思想内容とその占める地位の巨大な差異にもかかわらず、思想の摂取は外見的対決の仕方において「前近代」と「近代」とがかえって連続する結果が生まれた、としている(p16)
  • この結果、新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利は驚くほど早い、過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍に追いやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるの、という(p18)。
  • しかし、ヨーロッパ哲学や思想がしばしば歴史的構造性を解体され部品としてドシドシ取入れられる結果、高度な抽象を経た理論があんがい私達の旧い習俗に根ざした生活感情にアピールしたり、「常識」的な発想と合致する事態がしばしばおこる、これを精神的雑居性と言った、この雑居性の原理的否認を要請したのがキリスト教とマルクス主義だ(p21)
    コメント
    維新後の状況についての著者の指摘はその通りであろう、今に続いていると言える。マルキシズム、戦勝国史観、新自由主義などに感化されてしまう浅はかさ、丸山氏はそうではなかったと言えるか
  • 維新後の日本には二つの思考様式の対立がある、一方は「制度」、もう一方は「自然状態」だ、日本の近代化が進行するにしたがって官僚思考様式(制度)と庶民的思考様式(精神)とのほとんど橋渡しし得ない対立となってあらわれるが、それは一人間の中に共存し、使い分けられることもある、これは日本における社会科学の「伝統的」思考形態と、文学におけるそれ以上に伝統的な「実感」信仰の相交わらぬ平行線も同じ根源に帰着する(p60)
  • 戦後にわが国で社会科学的思考を代表し文学的「実感」の抵抗を伝統的に触発してきたのはマルクス主義であり、そうなったのは必然性がある、例えば、日本の知識社会はこれによって初めて社会的な現実を、政治とか法律とか哲学とか個別的にとらえるだけでなく、それを相互に関連付けて総合的に考察する方法を学んだが、それが悲劇の因をなした(p63)
    コメント
    その素晴らしいマルクス主義も今では西欧思想史として学ぶことはあっても、革命を起こそうなどと考えている人はごく少数になったでしょう
  • マルクス主義はいかなる科学的研究も完全に無前提では有り得ないこと、科学者は一定の価値の選択のうえにたって知的操作を進めて行くものであることをあきらかにした、そしてマルクス主義は「党派制」というドラスティックな形態ですべての科学者に突きつけた、そして、世界を変革することを自己の必然的な任務としていた、おおよそデカルト、ベーコン以来近代的知性に当然内在しているはずの論理は、わが国ではマルクス主義によって初めて大規模に呼び覚まされたと行っても過言ではない(p64)
    コメント
    以上のような記述を読むと丸山氏はマルキシズムを評価していたと言えるのではないか、そして変革、すなわち革命思想を信奉していたのではないか、このような思想の流入と戦わず持ち上げていたことは先に述べた維新後の状況の指摘と矛盾してないか

(続く)


サザコーヒー本店に行ってみた

2024年04月20日 | カフェ・喫茶店

茨城県ひたちなか市のサザコーヒー本店に行ってみた、ちょうど国営ひたち海浜公園に花を見に来た帰りにちょっと寄ってみようと思った。場所はJR勝田駅の直ぐそば。駐車場も隣接する場所にかなりの台数が収容できる広さが確保されているので車で来るにも便利である。

店の正面はそんなに目立つ感じではなく、SAZA COFFEEの文字看板がある。正面入口から入るとそこはショップとなっており、コーヒー豆やカップなどを販売している、喫茶の入口はその左横にあり、そこから案内されて入店する。

入ってみると結構広く、洒落たカウンターの背面にはいろんなコーヒーカップが収納してあり、客席の外には庭園がる、今日は初夏のような陽気なためか喫茶室は開け放たれており、テラス席もある、庭園の緑がまぶしい。室内インテリアはアフリカ仮面やパナマ民族の彫刻のようなものが飾られていて何となく南国の熱帯雨林の中に喫茶店があるという雰囲気で大変洒落ている。テレビのカンブリア宮殿にも紹介されたことがあるそうだ。

通常の2人がけテーブル、4人がけテーブルの他に、大テーブルもありカウンター席もある。

メニューを見るといろんな種類のコーヒーがあり選ぶのに迷う、以前、筑波大学店や大洗店に寄ったことがあり、その時のコーヒーの印象は酸味の強いものだったので、今日はアールグレイティーにし、嫁さんはアメリカンコーヒーにした、このアメリカンは酸味があまりない。そして、ロールケーキも一つたのんだ、ここのケーキはサイズ大きめでおいしそうだ、合計で2,200円。

コーヒーの値段は700円から900円くらいで結構高めだ、店内やコーヒーの味に自信があるのだろう。コーヒーカップなどの食器類も高そうなものを使っている。コーヒー豆については世界の産地に赴き、直接購入しているそうだ。パナマのゲイシャコーヒーが自慢の一品だ。コーヒー豆選定のポイントは「香り」、それを日本の店で焙煎し、抽出して提供している。また、サザコーヒー所有のコロンビアの農園もあるというから相当な情熱でやっている。

コーヒーの世界で一番飲まれているハンドドリップ的なコーヒー(機械式エスプレッソ的なコーヒーではない)の世界一を決めるブリューワーズカップの日本代表選でサザコーヒーの飯髙亘氏が2023年度のチャンピオンになったと店内に掲示されていた、日本一のバリスタということでしょう。

何から何までかなりこだわりがあり、アメリカ資本のスタバとはひと味もふた味も違う経営の仕方に感心した。とかく、欧米式に感化されやすく、スタバやディスニーランドなどにすぐ飛びつく日本人が多く、また、それを真似たチェーン店舗を始めるなど独自性に欠ける傾向を如何なものかと思っていたが、ここはそれらの二番煎じをやらない新興珈琲店の一つだろう。以前紹介した高倉町珈琲もそうだし、星野珈琲店などもそうだろう。頑張って欲しい。

来店する客を見ているとコーヒーの値段からして、所得に余裕のありそうな感じのご婦人が多いと感じた、この辺は日立の工場もあり地域全体が豊かなのではないか。

非常に良い雰囲気の中でゆっくりくつろげました。ご馳走さまでした。


テレビ録画で喜歌劇「こうもり」を鑑賞

2024年04月19日 | オペラ・バレエ

テレビで放送していた喜歌劇「こうもり」を鑑賞した。収録は2023年12月28・31日、バイエルン国立歌劇場での公演だ。昨年ミュンヘン旅行に行ったとき、この歌劇場を訪問し見学ツアーにも参加し、バレエ公演も観た。今回のテレビはそのバイエルン国立歌劇場での大好きな「こうもり」の公演とあっては観ないわけにはいかない。15日に放送したばかりだが早速観た。

今年の正月にウィーン国立歌劇場のストリーミングサービスで昨年末の公演「こうもり」を観たが(その時のブログはこちら)、ミュンヘンでも年末は「こうもり」で行く年を笑って忘れようということでしょう。

ヨハン・シュトラウス 作曲
演出:バリー・コスキー(1957,豪)
出演
アイゼンシュタイン:ゲオルク・ニグル
ロザリンデ:ディアナ・ダムラウ
フランク:マルティン・ヴィンクラー
オルロフスキー公:アンドリュー・ワッツ
アルフレート:ショーン・パニカー
ファルケ:マルクス・ブリュック
ブリント:ケヴィン・コナーズ
アデーレ:カタリナ・コンラディ

合唱:バイエルン国立歌劇場合唱団
管弦楽:バイエルン国立歌劇場管弦楽団
指揮:ウラディーミル・ユロフスキ   

開演前の歌劇場の外の様子やホワイエの様子などをカメラで写していたが、昨年訪問したことを思い出してうれしくなった。

演出のバリー・コスキーはウィキペディアによれば、作品の大胆な再解釈を行いながら多彩な色、動き、手法を用いた鮮やかで審美的な舞台の人気は高く、ヨーロッパを中心に活動する現在世界で最も多忙な演出家の一人である、また、自身を「ゲイでユダヤのカンガルー」と形容してるそうだ。

今回の演出はウィキにあるとおり、カラフルで、いろんな創意工夫がなされており、ワクワクするような演出で、観ていて楽しかった。これだけの演出を思いつくというのはやはりたぐいまれな才能だろう、人気があるのもわかる。ただ、第3幕の刑務所の場面で刑務所長フランク(マルティン・ヴィンクラー)がパンツ1枚の姿で出てきてしばらく演技する場面は如何なものかと思った、LGBTのコスキーらしさか、また、コスキーの演出はこの演目だからこそその能力が活かされる面があると思う、少し前、彼の演出した「金鶏」というオペラをテレビで観たときはそんなに感動もしなかった。「魔笛」とか「セビリアの理髪師」とかをやらせたら素晴らしい舞台を作ってくれるような気がする。

あと、第2幕のオルロフスキー公邸宅での仮装パーティーの時に大騒ぎするポルカ「雷鳴と電光」だが、多分男性陣だと思うがラインダンスをして盛り上げるが、私はイマイチ盛り上がらなかった、なぜなら一番はしゃぐはずのアイゼンシュタインが先頭にたってダンスをしたり、跳んだりはねたりするのが少ないからだ、最大の盛り上げ場面でのフラストレーションでありこの場面は1986年のオットー・シェンクに軍配をあげたい思った。

出演者については、どの演目でもそうだが、役者を選ぶオペラであると思う、それぞれの役の役柄にピッタリ合う歌手を選ばないとこの演目は台無しになる。その中でももっとも重要な役がロザリンデである。そのロザリンデを演じたのがソプラノの第一人者、ディアナ・ダムラウ(1971、独)であり、これは完璧に役柄にはまっていた配役であった。彼女はフランスのバス・バリトン、ニコラ・テステと結婚、2010年と2012年生まれの2人の息子がいる。ロザリンデは中年で亭主を愛するが若いテノール歌手とのアバンチュールも楽しむ美人でセクシーなマダム、ダムラウはロザリンデにぴったりのイメージだ。その期待に応えて実に味のある演技を見せてくれた。私が好きな1986年の同じ劇場での「こうもり」でロザリンデを演じたパメラ・コパーンと同じイメージで感動した。

特にロザリンデがいいのは第1幕だ、第2幕ではハンガリー婦人に仮装するためマスクをつけているので、この時のロザリンデのイメージはあまり好きになれない、また、第2幕でチャルダッシュを歌うその最後の声を張り上げる場面は声が出ていなかったように思えた、難しい曲なので無理もない。油の乗りきった今の彼女は、ばらの騎士の元帥夫人やフィガロの結婚の伯爵夫人なども最も適役だと思うので是非観てみたいものだ。昨年、テレビのクラシック倶楽部でダムラウとカウフマンのデュオコンサートを放送した時も彼女の歌を聴いたが素晴らしかった(その時のブログはこちら)

他の歌手もみんな頑張って歌って、精一杯演技していたと思うが、もう少しあげるとすれば、ファルケ博士役のマルクス・ブリュックだろう、1986年のファルケ役のヴォルフガング・ブレンデルとはイメージが違うが、ブリュックはこれで結構役柄に合っており、かつ、声量も豊かで素晴らしいと思った。

あと一人あげるとすれば、フロシュ(刑務所職員)だ、通常の語りの他にタップダンス&ボディパーカッションをしていたのが印象に残る、これはコスキーのアイディアであろう、こんな第3幕は初めてだ。

さて、最後に指揮者のウラディーミル・ユロフスキ(1972、露)である、この歌劇場の音楽総監督であり、2021年からバイエルン州立管弦楽団の指揮も担当している、彼の指揮による演奏は1986年カルロス・クライバーの演奏に勝るとも劣らない素晴らしいものだった、そしてカーテンコール時に舞台上の歌手たちがオーケストラに向って「さあどうぞ」とばかりに手を差し伸べる仕草をすると、ユロフスキとオーケストラは待ってましたとばかりにこれに応えてチャルダッシュの演奏し、観客席も手拍子をしてカーテンコールを大いに盛り上げた、こんな粋な計らいも初めてだ、彼のアイディアかどうかわからないが、いい指揮者だと思った。

いずれにしても素晴らしいオペレッタでした、満足しました

 


海浜公園のあと、ひたちなか市で昼食(わたなべ製麺所とめん処市川)

2024年04月18日 | グルメ

ひたちなか市の国営ひたち海浜公園を散策したあと、車で20分くらいで行ける那珂湊漁港にある「おさかな市場」の中のレストランあたりで海鮮定食でも食べようと行ってみた。漁港の入口に来ると混雑しており店の正面につけるのも大変そうだった。これでは待つ時間が長くなりそうなので、別候補として調べておいた焼きそばの「たわたなべ製麺所」に行ってみた。

那珂湊の名物に焼きそばがあるのは知らなかった、焼きそば店が多いそうだ、アド街でも取り上げられたことがあるとか。そのアド街情報を見るとこの店の名前が出ており、ここで製造する麺が那珂湊焼きそばの定義になっているとのこと。

だが行ってみると食堂がなく、製麺所そのものであった。製麺所の方に聞いてみると、焼きそば用のおいしい麺を販売しているので是非買っていってくれといわれ、1袋に2食分の焼きそばとソース、ラード、紅しょうが入って480円のものを2袋買ってみた。

この製麺所はテレビで紹介されたらしく、麺の注文が殺到しているそうだ。帰宅して1袋は子ども夫婦にあげて、あとはこの焼きそばを翌日の昼食で作ってみた。食べてみると、麺の食感はもちもち感があっておいしい、生パスタのような食感である。大変おいしく頂いた。

さて、当日はもう一つ候補として考えていた勝田駅前のサザコーヒー本店に行ってランチメニューから何か食べようと思いわたなべ製麺所を出発した直後、とある交差点を曲がったところに「そば処市川」という店が目に飛び込んできた、駐車場に結構車も止まっており、店構えも新しそうだ、もうお腹が空いていたので、ここで蕎麦でも食べようと即決した。

店に入ってみると結構混み合っていたが、もう1時に近い時間となっていたので帰る客もいて、すぐに席に座れた。メニューを見て、私は「市川御膳」(暖かい蕎麦、稲荷寿司1個、天ぷら4種盛、小鉢の湯葉)1,600円を、嫁さんは悪魔丼セット(冷たい蕎麦、天かす・海苔・ごまのをかけた丼もの)1,150円をたのんだ。

しばし待って、出てきた麺を食べると、コシがあって大変おいしかった、天ぷらもおいしかったが海老がちょっと細いと感じた、ただ値段相当だろう。嫁さんのものもちょっと食べたがおいしかった。つぎつぎと客も入ってきており、人気店のようだ。予約してくる人たちも少なくない。偶然入った店にしてはできすぎだった。食後のお茶、コーヒーがサービスとなっていたのもうれしい。

満足してサザコーヒーに喫茶に向いました。その様子は別投稿にて。

ご馳走様でした。


映画「他人の顔」を観る(2024/4/17追記)

2024年04月17日 | 映画

(2023/5/1の当初投稿の閲覧がたまにあるので、この映画の主題歌のYouTube動画を埋め込みました)

YouTubeで観られる映画「他人の顔」(1966年、勅使河原宏監督)を観た。この映画はAmazonにもNetflixにもなかった。白黒映画。

安部公房の同名の小説の映画化だ。安部の作品は「砂の女」を読んだことがあるが、映画化されたのでそれも観た。今回は原作は読んでいないが映画の方をYouTubeで偶然見つけたので早速観た。

物語は、会社の実験で不用意な対応で顔面にケロイド状の火傷痕が残り、顔全部を包帯で覆わなければいけなくなった中年男性(仲代達矢)が主人公。妻(京マチ子)に抱きついても拒絶され孤独感に苛まれる。あるとき精神科医で外科医でもある医者(平幹二朗)に他人の顔を盗んで特殊な皮膚で作ったマスクで顔を再生する治療を提案され、別人に生まれ変わる。マスクをつけて他人になりすまし拒絶した妻を誘惑して復讐を果たそうとするが・・・・というストーリー。

「顔のない人間が自由になれるのは闇が世界を支配したときだけだ、だから深海魚はグロテスクな顔になれた」といって「いまから実験をやるから電気を消せ」と妻にいう。そして「顔は心の扉で、顔が閉ざされると一緒に心も閉ざされてしまう、もはや訪れる客もない、心は顔の後ろで朽ちるにまかせ、やがて廃墟になるのを待つだけだ・・・、ぼくは生きながら埋葬されてしまったのか」という言葉を吐くと妻は「扉を勝手に閉めたのはあなたではないの、出てきたって誰もとがめやしないわよ」と言うと、暗闇の部屋の中で突然妻に抱きつく(これが実験か)が拒絶される。実験は失敗で、包帯顔の自分を拒否する妻に対する復讐心が芽生える。

その後、医者に作ってもらった他人の仮面をして妻を誘惑し、情事を済ませた後、突然妻に「恥も外聞もない色きちがいめ」と責める、妻は「私が気づいていないとでも思っていたの」と言うと夫は愕然として「気づいていたのか」と言う、「当然じゃあないの、だって仮面をかぶって何重にもカードして私を誘惑したのは繊細な心遣いだと思ったわ、だから私も素顔の上に何枚張りもの顔を作っていたじゃないの、それなのにあなたは私を非難して、私はあなたを買いかぶっていたわ」と言い返す。その後の会話も妻の鋭い指摘に夫はオロオロするだけだ。

この物語は、結末には救いが無い。それだけに問いかけるものも深い。自分がその立場になったらどうするだろうか考えさせられる。このような悩みを持っている人は意外と多いのかもしれない。京マチ子の妖艶さがなんとも言えず素晴らしいし、この時代(昭和41年)にもかかわらず肌の露出度合いが大胆なのにも驚いた。

ところで、この映画の音楽は武満徹が作曲したものだ。なんとも憂いのある旋律が映画のイメージにピッタリの音楽だ。武満は映画の中にも酒場の客として出てくる。

 


「国営ひたち海浜公園」に花を観に行く

2024年04月17日 | 街歩き

すっかり春らしくなり、自宅の庭のチューリップも花を咲かせたのを見て、久しぶりに国営ひたち海浜公園に行ってみたくなった。2、3年前の春にも1回行ったが、また行きたくなった。

この日は朝から晴天、日中の最高気温は25度を超える暑さ、公園歩きするにはもってこいの気候。自宅から愛車を飛ばして常磐道、北関東自動車道などを使い1時間20分くらいで到着、海浜公園の直ぐそばのインターで高速を降り、公園西口駐車場に入れる。

入場料は800円だが65才以上は560円、ここも年寄りを優遇している、若者優遇に変更すべきだ、年寄り優遇の根拠は何か。若者優遇は国策だが不徹底だ。私も65才以上だが、年寄りこそ折に触れてこんな優遇はやめて欲しいと訴えるべきだろう。

さて、園内は案内によればネモフィラとチューリップが満開なので、先ずはチューリップを観に行った。西口から入ってすぐ右側に「たまごの森フラワーガーデン」があり、そこに多くのチューリップが咲き誇っていた。たまごと言っているのはそこにたまごのオブジェ(遊具)がいくつか設置してあるためであろう。いろんな種類、いろんな色のチューリップが満開だ。森の中の一角を切り開いてチューリップを植えているため、日あたりが良い場所だけではないが、鑑賞するには木漏れ日の中のチューリップも暑すぎずちょうどよかった。

その後、公園の一番奥の「みはらしの丘」に植えてあるネモフィラを観に行く。歩いても10分もかからない。その場所に入っていくと実に壮大な景色が目を驚かせる。丘一面にネモフィラのブルーの花が咲き誇り、丘全体がブルーに着色されているようだ。

裾野から頂上まで歩いて登れる、そんなに急なスロープではないので年配の方でも頂上までいける。頂上からブルーに染まった丘全体を展望できるし、反対側には太平洋の海が見れる。

頂上から丘を下り、最後に「スイセンガーデン」に行く、スイセンはもう終わりかなと思ったら満開であった。ここもかなり広いエリアにいろんな種類・色のスイセンが植えてある。その奥にはまだ満開の桜がいっぱいあった。

チューリップ、ネモフィラ、スイセンともこれだけの量の花を季節が到来したらちゃんと咲かせるには相当な準備や技術、経験が必要だろう。関係者の努力に敬意を払いたい。また、今日は平日だったこともあり、そんなに混んではなかった、土日は大変な混雑だろう。小さな子ども連れ家庭などは是非一度訪ねてもらいたいものだ。

ゆっくりと春の花を楽しめました。


映画「Winny」を観た

2024年04月16日 | 映画

Amazonで映画「Winny」を観た、2023年、127分、日本、監督松本優作。ファイル共有ソフト「Winny」の開発者が逮捕され、著作権法違反ほう助の罪に問われた裁判で最後に無罪を勝ち取った事件を映画化したもの。

2002年、データのやりとりが簡単にできるファイル共有ソフト「Winny」を開発した元東京大学大学院情報理工学系研究科助手の金子勇(東出昌大)は、その試用版をインターネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に公開する。公開後、瞬く間にシェアを伸ばすが、その裏では大量の映画やゲーム、音楽などが違法アップロードされ、次第に社会問題へ発展していく。違法コピーした2人が逮捕され、ソフト開発者の金子も著作権法違反ほう助の容疑で2004年に逮捕される。金子の弁護を引き受けることとなった弁護士・壇俊光(三浦貴大)は、金子と共に警察の逮捕の不当性を裁判で主張するが、第一審の判決は・・・

主演の東出昌大(ひがしで まさひろ)は、つい最近、この映画で第33回日本映画批評家大賞の「主演男優賞」を受賞した。東出以外にこの映画で目立って活躍したのは、Winny弁護団の助っ人、刑事裁判で多くの無罪を勝ち取った実績を持つ秋田弁護士役の吹越満、愛知県警の裏金作りを告発した仙波巡査部長役の吉岡秀隆、金子を追い込んだ京都府警ハイテク犯罪対策室警部補の北村文也を演じた渡辺いっけいだろう。出演者は全員、当事者の実名である。

この映画の裁判についてだが

  • 最大の論点となったのは、著作権侵害に使われる可能性があるソフトを提供した開発者に罪が問えるか、というところであろう、その論点設定は理解できる
  • 裁判では、2006年の1審京都地裁は有罪、罰金150万円(禁固刑無)、2審大阪高裁は無罪、そして2011年(平成23年)12月19日の最高裁判決は無罪(上告棄却)となった、2004年の逮捕以来7年が経過していた
  • 最高裁が無罪としたのは、例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識、認容していたとまで認めることは困難であるから、というもの

映画は1審判決が出たところまでを描き、それ以降はナラティブで説明するというものだった、最後まで裁判の過程を映画化するのは確かに時間ばかりかかって意味が無いでしょう。

この映画は結構専門的なエリアの問題提起をしているのだろうと思う、そういう意味で広く大ヒットするような内容ではないかもしれないがよくこのようなテーマを映画化したものだ。主人公の色恋沙汰が全くないのも映画の内容に起伏がないものとなっている要因だろうが、それが悪いわけではない、事実に忠実に映画化した結果だろう。主人公役の東出昌大はプライベートの色恋沙汰で世間を騒がせたというのが皮肉だ。

ただ、一つわからなかったのは本件裁判と同時並行に進んでいた愛知県警の裏金問題だ、この問題はWinnyによって証拠がネット上で出回ったという点で主筋との関連性があるが、内容的にはWinny裁判とは何も関連が無く、最後まで何もつながらなかったのに違和感を覚えた。

あと、ファイル共有ソフトというものがいかにすごいソフトなのかと言うのが今ひとつ伝わって来なかった、ITに詳しい人には当たり前のことかもしれないが。

 


桜の宮ゴルフ倶楽部でゴルフ、帰りに石下「春子屋」でだんご

2024年04月15日 | ゴルフ

茨城県笠間市にある桜の宮ゴルフ倶楽部に行ってきた。このゴルフ場は名前にあるとおり、桜で有名だ。ここ数年、桜が満開になる頃を見計らってこのコースに来てプレーするようになった。誰も同じことを考えるので早めに予約を取らないといい時間の予約が取れないが、いつ頃満開になるのかはわからないので、予約を入れるタイミングが難しい、特に今年は当初予定の開花時期が後ろにずれたので、一旦予約したものをキャンセルして予約し直した。今日の費用は2人で18,000円、普段より高い。

今朝は常磐道の土浦北インターで降りて、フルーツラインを走って50号線に出て、コースに到着したが、フルーツライン沿線はのどかな日本の田舎で、平地や山並みのあちこちに満開の桜が木々の緑と見事なコントラストをなしており、非常に美しい景色であった。

さて、このコースだが、従来27ホールで運営していたが、昨年から開業60周年を記念して18ホールの運営になった、東コースは従来通りだが、西コースと南コースから9ホール厳選して残し、18ホールとしたもので、私の印象では従来より格段に面白くなった。当初1年限りとしていたこの運用だが、好評なせいか当面継続するとコース内に掲示してあった。

コースはワングリーン、今日は9.3ft、ホールは結構アップダウンがある、乗用カートは自走でコース内取り入れはできないのが残念だが、カート道はコースからそれほど離れていない。コースは6,500ヤードで長くないがアップダウンと視覚的な難しさがある。距離が短いせいか来ている人は中高年が多いため、落ち着いた雰囲気がある、クラブハウスもリニューアルしたのか新しい感じがして清潔感がある。

プレーの進行は問題なかった、ハーフ2時間ちょっとでラウンドできたのは桜が満開で満員となっているにしては上出来だと思う。食事もまあまあだった。

天気は曇り時々晴れで、ゴルフ日和だった、満開の桜を楽しみながらゆったりとラウンドできた。

お疲れ様でした、また来ます

さて、今日は帰りがけに、また石下(いしげ)に寄って石下名物のだんごを買って帰った。今週は「春子屋」に行ってみた。600円の箱詰めが一番小さいサイズなのでそれを買って帰宅してから夕食のデザートとして食べた。保存剤は使っていないため当日中に食べて下さいとのことだが、翌日までは大丈夫だ。

シニア夫婦二人では量が多いので、近くに住む子ども夫婦にお裾分した、上品な味でおいしかった

ご馳走様でした。