最近、樋口一葉の小説を読み、彼女の生い立ちなどを多少勉強した。そして、一葉記念館があるというのを思いだした。場所は台東区竜泉で、たまに街歩きでぶらぶらしたくなる地域だ。古い下町の雰囲気が残っており、古くからの店もまだ残っている地域であるからだ。
一葉記念館については、この地域に「角萬」といううどん屋があり何回かそこのうどんを食べに来た際、気づいていた。が、立ち寄ることはなかったのは恥ずかしい限りだ。仕事最優先で長年生きてきて、読書の習慣はあったが経済や政治関係のものを読むことが多く、古今東西の文学作品などはほんのちょっとしか読まなかった。そしてビジネスシーンにおいて一緒に食事をする場合など、古典文学などのリベラルアーツ系の話題が出ることはほとんどなかった。相手が立派な会社の役員さんでもだ(実際は読んでいるのだろうけど)。
藤原正彦先生は、真のエリートの必要性を説き、「真のエリートには2つの条件がある、第一に、文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていること、そういた教養を背景として、庶民とは比較にならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること」と述べられている(「国家の品格、P84」)。耳が痛くなる指摘だ。
私も遅ればせながら、リタイアしてからは文学作品など今まであまり手をつけてこなかった本を読むようにしている。これは何かに役立てようということではなく、長年生きてきた以上、最低限、このくらいのことは知っていないと恥ずかしい、という思いからだ。
そのような観点から、今回一葉の小説を読んだのはよかったし、今日、その一葉の記念館を訪れ、彼女の来歴などについて展示物をゆっくり見れたのは有意義であった。入館料は300円。彼女は死に際して、妹のくにに、母や兄弟の面倒を見てほしい、私の日記は捨ててほしい、と言ったが、くには日記は捨てなかった、そのために今日、一葉がどんな思いで生きてきていたのか現代の我々も把握できているのだ、くにも非常に優秀な女性であった。
一葉の日記や当時一葉と付き合いのあった友人、文壇の先輩・同僚などの証言なども展示されており、一葉の性格などがわかり、在りし日の彼女が偲ばれる。先日読んだ一葉の本に含まれている日記には、天啓顕真術会本部の久坂賀義孝を訪ね、借金の申込みをし、交際を始めると、義孝に物質的な援助の交換条件に妾になることを求められたが、拒否、とある。その半年後にも同様なことが起こる、と書いてある。
一葉記念館は昭和36年5月12日に完成し、その後、40年あまりを経て老朽化が進み、一葉が五千円札の肖像に採用されたのを機に、改築され、平成18年に新記念館が完成したものだ。
館内の展示をゆっくり見て、1時間くらいで、記念館を後にした。記念館の前は一葉記念公園となっており、菊池寛の一葉を称える撰文による記念碑や、「たけくらべ」の記念碑が立っていた。