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「定年後にやっていること」です

川越「山崎美術館」に行く

2024年10月24日 | 美術館・博物館

川越に行った際、嫁さんが前から訪問したいと言っていた山崎美術館に初めて行ってみた、場所は蔵造りの町並みの入口・仲町交差点にある、私はどんな美術館か何も知らずに入った

前回川越を訪問したときに昼食をとった鰻の小川藤の方から歩いていくとメインストリートに差しかかるところに山崎美術館の看板が見えてきたので、そこから中に入ると、受付があり、入場料500円を払う、館内は撮影禁止

蔵造りの建物があり、一番手前に和菓子作りの木型が飾ってある建物となっている、先ずはそこを見学、お茶席などで出される色彩豊かで複雑な造形の和菓子の木型がいろいろ飾ってあり、興味深く鑑賞した

そこを出て奥に行くと直ぐに美術館の本館とでも言うべき建物があり、靴を脱いで中に入ると、そこには橋本雅邦画伯らの日本画が展示してあった

美術館の説明では、「橋本雅邦画伯は、川越藩のお抱え絵師橋本晴園養師の子息にて、明治時代における我が国画壇の最長老。郷土川越の有志が集まり、明治32年に画宝会を結成し、雅邦の力作の頒布を受ける。山崎家4代目故山崎豊は、同会の幹事として画伯から受けた作品をすべて大切に保管し、これを子孫に伝承させたが、その後社会公益の為、雅邦画伯の誕生150年を記念し、昭和57年文化の日に山崎美術館を発足した」とある、美術館は公益財団法人となっている

雅邦は、

  • 狩野派絵師として腕を磨き、その腕前は狩野芳崖とともに、門下の二神足と讃えられた。
  • その後、フェノロサと岡倉天心との出会いが大きな転機なり、日本画に西洋の空間表現、光の効果、構図の要素を取り入れ、狩野芳崖と共に画壇の中心となる。
  • 明治22年に東京美術学校が開校したとき、日本画の主任教授となる。生徒の個性を尊重したとされ、横山大観、下村観山、菱田春草などが雅邦のもとから巣立っていった。また、若かりし川合玉堂も、雅邦の門下となり指導を受けている。

先日読んだ「日本の近代美術」(土方定一著)でも橋本雅邦のことが多く取り上げられていた、ただ、土方氏は雅邦の日本画を必ずしも評価してないようだが。

展示室は一部屋だけであり、展示作品もそれほど多くないが、これだけの作品をきちんと保存して公共の用に供しているとはすごいものだと感心した。

展示室を出ると座るところがあり、お茶と最中のサービスがあった、嫁さんと座っておいしく頂いているとき、係りの人と雑談になり、壁に山崎家の歴代の当主の名前などが書いてあったので、「山崎家というのは今は何をやっているのか」と聞いてみると、何と川越の有名な和菓子屋の「龜屋」の当主であるというから驚いた、知らなかった、出された最中も龜屋の亀の形をした最中だった

龜屋は天明三年(1783)の創業より 代々川越藩御用達の和菓子屋であり、最中やこがね芋が有名である。私も何回か買って帰ったことがある。係りの人に、龜屋に寄るならその狭い通路を行くと店に出ます、と言われ行ってみると、何とそこは仲町交差点にある龜屋本店の店舗であった、聞いてみると店舗奥の美術館は昔は菓子工場であったとのこと、それで和菓子の木型が展示してあったのかと合点した

明日から川越祭りなので紅白の幕が町全体の商店街にかかっていた、せっかく店舗にでたので、亀の形をしたどら焼きとこがね芋、豆大福を買って帰った

お疲れ様でした、勉強になりました


中井精也写真展「ゆる鉄絶景100」を鑑賞する

2024年10月07日 | 美術館・博物館

この日はゴルフに行った帰りに筑西市のしもだて美術館に寄って開催中の、中井精也写真展「ゆる鉄絶景100」中井精也が捉えた100の鉄道名景、を観ることにした、入場料はJAF会員証を見せて100円割引で500円、ゴルフの帰りに何回か立ち寄ったことがある美術館だ

この展覧会は、筑西市誕生と中井精也氏の人気ブログ「1日1鉄!」がともに20周年を迎えることを記念するために企画されたもの

中井精也氏は1967年、東京生まれ。12歳の時に鉄道写真に目覚め、大学卒業後は写真専門学校に通う。2000年に山崎友也氏とともに有限会社レイルマンフォトオフィスを設立。JR時刻表の表紙や西武鉄道のカレンダーなどを手掛ける。2004年春から毎日1枚必ず鉄道写真を撮影するブログ「1日1鉄!」を継続中。テレビにもよく出演しているし本も出している人気カメラマンだ

展覧会では、中井氏のライフワークであり、鉄道が持つ旅情やローカル線で感じるゆるい空気感をテーマとした「ゆる鉄」作品から誰もが息を飲むような鉄道絶景まで、宝物のような100の名景が展示されている

中井氏の写真をゆっくり鑑賞すると、

  • 日本のほのぼのとした田舎の風景の中に走る小さなローカル線の電車の組み合わせの写真が多く、観たあとほっこりした気分になった
  • 四季それぞれ、天気それぞれ、時間もそれぞれの組み合わせがあり、観ていて飽きない
  • 鉄道が中心になっている写真と、電車が景色の中にひっそりと埋もれるように映っている写真の両方があった
  • 大自然の中だけでなく、都会の路面電車など人間も多く映っている写真があった
  • 写真マニアではないので、どんな写真が良い写真なのかわからないが、被写体の鉄道自体をぼやかしてとっている写真もあって面白かった
  • この写真を撮るのはさぞかし大変だったろうな、と思う写真も多かった

展覧会は写真撮影OKだったので、いくつか良いなと思った写真の中から少し紹介したい


めがね橋に花開く銀河鉄道の夜(根室本線)


世界を魅了する第一只見川橋梁(只見線)


別寒辺牛湿原に伸びる一直線の鉄路(根室本線)


下町風情を残す三ノ輪橋停車場(都電荒川線)


青もみじのトンネルをゆく(叡山電鉄)


瀬戸内海を望む絶景駅(予讃線、下灘駅)

楽しめました


国立西洋美術館常設展にまた行く

2024年09月20日 | 美術館・博物館

都心に出かけて、細切れ時間ができたので、西洋美術館の常設展を観ようと思って、行ってみた、入場料は65才以上で無料、企画展は開催していない期間だからか、結構混んでいた

時間が限られていたので、順路の前半の宗教絵画的なものはパスして、印象派以降の絵画を中心に鑑賞した、ここは一部を除き写真撮影OKである

今日観た中で良いなと思った絵からいくつか紹介したい


ジャン=ジャック・エンネル、ノエツラン婦人の肖像、制作年不詳、背景の色彩のコントラストが素晴らしい


ベルト・モリゾ、黒いドレスの女性(観劇前)、1875年、モリゾは印象派の女性画家、マネの絵のモデルになっている、オペラ鑑賞に行く前の華やかに着飾る女性


カミーユ・ピサロ、立ち話、1881年頃、明るい色調と斜めの垣根が特徴、新しい農村のイメージを出している


モネ、しゃくやくの花園、1887年、木々の緑と赤い花のコントラストが素晴らしい


ブールデル、瀕死のケンタウロス、1911-14、画家であった清水多嘉示に衝撃を与えたブールデルの作品


ルノワール、木かげ、1880年頃、人物画がが多いと思っていたルノアールの風景画、まだ印象派に別れを告げる前の作品


モネ、波立つプールヴィルの海、1897年


マックス・エルンスト、石化した森、1927年、コラージュ作品が有名な作家、福沢一郎に影響を与えたと「日本の近代美術」(岩波文庫)に出ていた、先日訪問した国立近代美術館ではエルンストの新収蔵作品を紹介していた


ポール・セリュジエ、森の中の4人のブルターニュの少女(写真左)、1892年、色彩がすぐ横に展示したあったゴーガンの絵(海辺に立つブルターニュの少女たち、1889年、写真右)と同じだと思った


ボナール、働く人々、1916-20年頃、名高い画家の邸宅の玄関を飾る絵画、上空の雲が雷雲みたいだ、ベニスのような景色でもある


アンリ・ルバスク、窓、1923年、マチスの絵かと思った、色彩のコントラストのすばらしさ、Wikipediaによれば彼はポスト印象派でナビ派の影響も受けたという、ボナールとも親しかった

楽しめました、また来ます


東京国立近代美術館常設展を観る

2024年09月10日 | 美術館・博物館

竹橋にある国立近代美術館の常設展を観ようと思って行ってみた、入場料を払おうと500円を用意すると、チケット売場の窓口に「65歳以上無料」と出ていた、美術館に入ったところにある館内検札の係りの人に運転免許証を出して無料で入場したが、ホントこんな老人優遇はやめるべきだ、そんな金があったら現役世代の減税に回せと言いたい

常設展のある美術館は好きだ、一番よく行くのは国立西洋美術館だが、ここ国立近代美術館も常設展があったのを忘れていた、企画展に来るときに一緒に常設展も観るが、とても観きれない、時間があるときにゆっくり、何度でも観るべきだろう

常設展を説明するwebページには、「1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点超の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展」と宣伝している

今期のみどころは、「4階5室では「シュルレアリスム100年」と題し、20世紀芸術における最重要動向の一つであるシュルレアリスムをご紹介しつつ、マックス・エルンストの新収蔵作品を初公開します。3階8室では、1950年代に脚光を浴びた芥川紗織の生誕100周年企画をご覧いただけます。2階ギャラリー4の「フェミニズムと映像表現」では、1970年前後を起点に、ヴィデオなどを用いた映像表現の重要な担い手となった女性アーティストをご紹介します」とある

順路は4階から始まって、3階、2階と降りてくるルートだが、とても全部は観れない、何回も来るべきと言ったのは、そのためもある、では観た順に、それぞれの部屋で良かったと感じた絵の一部を紹介したい

4階(1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで)

1室 モデルたちの生誕・没後数十年


オスカー・ココシュカ、アルマ・マーラーの肖像、1912年

アルマはグスタフ・マーラーの妻、グスタフの没後、7歳年下の画家ココシュカと恋愛関係になるが、そのあとバウハウスの創設者になる建築家ヴァルター・グロビウスと再婚、ココシュカはショックを受ける、美しいとも怖ろしいとも見えるこのアルマの姿


ピエール・ボナール、プロヴァンス風景、1932年

9月20日から仏映画「画家ボナール ピエールとマルト」が公開されるそうだ、そんなこともあってボナールの絵をよく観ておこうと思った

2室 明治時代の美術


青木繁、運命、1904年

最近読んだ森村泰昌氏の「生き延びるために芸術は必要か」の中で、「海の幸」で画壇に大きな衝撃を与え、短時間で走り抜け、29歳で亡くなった青木を、年齢も故郷など似たものどうしの坂本繁二郎と対比して紹介していたので興味を持った(その時のブログはこちら)

3室 開発される土地


坂本繁二郎、三月頃の牧場、1915年

森村泰昌氏の本では坂本繫二郎の「牛(うすれ日)」を紹介していたが、この絵も同じ牛を描いたもので、本で紹介された「牛」とよく似ている描き方だと思った


木村荘八、新宿駅、1935年

4室 夢想と自由と―谷中安規の世界


谷中安規、夢の国の駅、1935年

彼の版画はどの作品も独特の雰囲気を持っている、素晴らしいと思った、光と影のコントラストのなかで、夢とも現実ともつかない幻想的な世界が広がる谷中作品、と紹介されていた

5室 シュルレアリスム100年


福沢一郎、四月馬鹿、1930年

3階(6-8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで、

6室 「相手」がいる


藤田嗣治、ソロモン海域に於ける米兵の末路、1943年

私は戦時中に戦意高揚のための絵を描いた藤田を責めない、国家の危機にあっては国家に貢献したいと考えるのは当たり前だからだ

また、美術館の説明の中には、「日本軍の残虐行為や迫害、捕虜に対する非人道的な扱いは、のちに東京裁判やBC級戦犯裁判などで戦争犯罪として裁かれました」とあるが、関心しない、戦時中の残虐行為はすべての戦争当事国であった、原爆投下や東京大空襲は明白な戦争犯罪である

8室 生誕100年 芥川(間所)紗織


芥川(間所)紗織、女(Ⅰ)、1955年


桂ゆき、ゴンベとカラス、1966年


川原温、孕んだ女、1954年

川原氏については後出参照

10室 アール・デコの精華/歴史の描き方


安田靫彦、保食神(うけもちのかみ)、1944年

2階(11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで)

11室 Lines and Grid


河原温、JUL 15 1970 Todayシリーズ、1970

昨年旅行したミュンヘンのモダン・ピナコーク美術館で観た唯一の日本人展示作品が河原温氏の同じような作品であった(こちら参照)、それが今回の常設展で、この作品だけでなく、他にも多く展示されていたのを見つけてうれしくなった(上の8室参照)、この日付だけの作品は奇異な感じを受けるが、「TODAY」という作品で1966年1月4日から始められた、その日の0時から書き始めその日のうちに完成させる、その日に河原が生きていたことを表す、その真正さは作品を表す箱の中に当日の新聞などが入れられていることで証明される

美術館で鑑賞しているとなぜか1時間くらいで非常に疲れてくる、集中して観れるのは1時間半くらいだ、この日は1時間15分くらいいて限界に達した、しかし、勉強になった、また来たい


ヨックモックミュージアムに行く

2024年09月07日 | 美術館・博物館

東京南青山にあるヨックモックミュージアムに行ってきた、2度目の訪問、久しぶりである

ここは、ピカソの豊かで自由な発想が投影されたセラミック作品をコレクションに持つ美術館であり、現在、美術館のコレクションをさまざまな視点から紹介する展覧会の第4弾「ピカソ いのちの讃歌」展を開催中である(10月14日まで)

ピカソは好きな画家だが、彼の女性遍歴は好きになれない

表参道の駅を降りて、徒歩15分くらいであろうか、表通りの喧騒を離れ、閑静な住宅街の一角にこの美術館がある、外観も白を基調にした上品なたたずまいで周囲の高級住宅街に溶け込んでいる

展示室は地下1階と地上3階にあり、順路は地下から、地下の展示室はもちろん窓はなく、照明も暗くしている、一方、3階の展示室は外光を存分に取り入れ、対照的である、その意図するところはわからないが、面白いと思った

今回の展示は、「ピカソと闘牛」「ラ・パロマ —鳩への思い—」「フクロウ ―豊かな瞳―」「手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—」「いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ」と題した全5章で構成されていた、それぞれの章では、そのタイトルに掲げられている鳩などをセラミックに描きこんだ作品や、その対象物を陶芸で作り上げた作品が展示されていた

そして、3階の奥の部屋には、常設展示50作品と題した陶器の皿が50個、壁一面に飾られていて圧巻であった

陶器作品の皿も含めて、ピカソの絵画や陶器に描かれた人物、動物などは、デフォルメされて歪んだ表情や泣いているものなどがあるが、そのような作品より、上の写真のように穏やかな表情を見せている作品の方が好きだ

それぞれの章の狙いと、私が観て良いなと思った作品の一部を紹介したい

第1章 ピカソと闘牛

ピカソは闘牛が好きだった、主役であるマタドール(闘牛士)ではなく、馬に乗り槍で牛を興奮させながら闘争心を高め、同時に力をそいでいく重要な役目を持つピカドールへ憧れていた


観客がいる闘牛(1950年)


闘牛の太陽(1953年)

第2章 ラ・パロマ —鳩への思い—

ピカソにとって鳩は父親が鳩を描く画家としても知られていたこともあり親しいものがあった、1949年の「パリ平和会議」で彼の「鳩」のリトグラフが採用され、その2か月後にフランソワーズ・ジローとの間に女児が誕生しパロマ(鳩)と名付けた


鳥型の水差し(1953年)


屋根裏の鳩(1949年)、名曲喫茶バロックの鳩の絵を思い出す、あの絵もピカソだろうか


青い鳩(1953年)

第3章 フクロウ —豊かな瞳—

1946年にグリマルディ城で傷ついたフクロウを保護したことを契機とし、以降のピカソの作品にはしばしばフクロウが登場するようになる


森梟(1968年)

第4章 手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—

南仏ヴァローリスでの暮らしで頻繁に食卓に上ったはずの魚やウニがこの土地で描かれた。鳥、バッタ、虫などの小さな命と、それらとともにある日常を愛し、器に描いた


ウニ(1963年)

第5章 いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ

ピカソが1946年に描いた≪生きる喜び≫ はフランソワーズ・ジローが身籠ったときの作品。彼女の左右の笛を吹く牧神とケンタウロスが祝福してる。しばらくして彼はセラミック制作に没頭し、その工房にジャクリーヌがやって来る。彼女が工房に来た翌月、フランソワーズ・ジローは子供たちを連れて出て行った


こどもの牧神パン(1963年)


お菓子(1937年)、お菓子メーカーゆえのコレクションのこだわりか?

ピカソは多くの陶芸作品を残したが、これには2種類あって、ピカソ自ら製作したオリジナル作品と、ピカソ監修のもとでマドゥーラ陶房で制作したエディション作品だ、確かにこういうことをしないと多数制作はできないでしょう

さて、この美術館はお菓子のヨックモックのグループ会社である、ただ、法律的にはヨックモックから切り離され、一般社団法人となっている

最近、昨年訪問した川村記念美術館(その時のブログはこちら)の運営主体のDICが美術館の「規模縮小と移転」を軸とする対応策を発表し、運営中止の可能性もあり得るというニュースがあった(こちら参照)、企業直営の美術館が価値創造に貢献していないので投資家から圧力をかけられたのも一因という。

その点、ヨックモックミュージアムは既に本体とは切り離しているし、上場会社でもないので関係ないが、その辺のところを十分に考えているという点で立派であろう。ちなみに、私が良く行くアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)は土地と自社株を寄贈したうえで財団法人形態で運営されているようだ

楽しめました


Ryu Itadani「Everyday Life “THERE”」を観に行く

2024年09月04日 | 美術館・博物館

銀座のポーラ ミュージアム アネックスに、ベルリンを拠点に活躍する Ryu Itadani (板谷龍一郎)の展覧会「Everyday Life “THERE”」を観に行った、無料、この展覧会は家具ブランド のarflex (アルフレックス) 東京(恵比寿)と 2 会場で開催されているユニークなもの

箱根のポーラ美術館は好きな美術館であるが、その別館が銀座にあり、以前訪問したことがあったが最近は来てなかった、他の方のブログでここで興味が持てそうな展覧会を開催中と知り、行ってみたくなった

Ryu Itadaniは1974年に大阪で生まれ、トロント、東京、ロンドンにも居住していた、現在はベルリンに住み働いている、今日の展示作品もベルリンの景色のものが多かった

Itadaniは、街の風景や植物、愛用する日用品など何気ない日常の一場面を、独特の輪郭線と色彩であでやかに切りとり作品にする画家。みずみずしさや明るい陽光に満たされた Itadani が描く眺めは、観る人に見慣れた風景やモノに対する新鮮なまなざしと、心躍るような感覚をもたらす、とある

ここ銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは、Itadani の作品の中でも「THERE」=遠くの景色や俯瞰した視点を中心にした作品約 30 点を展示し、arflex 東京の「HERE」展では逆の観点からの作品を公開する、こちらは9月5日から

銀座の会場内にはアトリエに見立てたスペースを設け、開催初日から約 10 日間、arflex のアイコン的ソファ「MARENCO」へのペインティングを公開制作する。フリーハンドでのびやかに描かれるラインと彩色、その日、その瞬間にいきいきと生まれゆく作品が観れるが、残念ながら訪問した日にはもう制作期間が終了しており、完成品が作品として展示されていた


MARENCO EVERYDAY

このアネックスはポーラが入っているビルの3階、ほぼ正方形のそんなに広くない1区画だけのフロアー、そこに33作品が展示されていた、また、4作品は1階のショーウインドウに展示され、銀座を歩く人も見ることができる

Itadani氏の作品を見て、良かったなと思ったものを紹介したい


Shibuya


Shell


A14


From the Plane

観てお分かりの通り、かなり強烈な色彩でサイケデリックな感覚に驚かされる、絵画制作に詳しくないので詳細は分からないが、それぞれの絵は、素人が外観だけ見ると何か段ボール箱か高級な品物を入れてある固めな箱に描いているように見える、額縁がないのも特徴か、大部分の絵が油彩画のように見えた、また人物画は全くなかった

興味深い展覧会であった、9月23日まで開催


「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展を観に行く

2024年08月04日 | 美術館・博物館

東京ステーションギャラリーで開催中の「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展を観に行った、主催は東京ステーションギャラリー、東京新聞、フォロン財団(ベルギー)、入場料は1,500円、平日の午前中に行ったが、それなりに混んでいた、幅広い年齢層の方が来ていた

このステーションギャラリーは、1988年、東京駅丸の内駅舎内に完成、その後、東京駅の保存・復原工事に伴い2006年に一時休館したが2012年秋にリニューアル・オープン。重要文化財の駅舎内に美術館があることを意識し、バラエティに富んだ企画展を年5本ほど開催しているという

美術館内を見て回ると、展示室内や階段に重要文化財の旧駅舎のレンガがむき出しになっているところがある。

ジャン=ミッシェル・フォロン(1934-2005、71才没)は、20世紀後半のベルギーを代表するアーティストのひとり、若いころ絵画世界に惹きつけられ、1955年パリ近郊に移住し、ひたすらドローイングを描く日々を送り、やがてアメリカの『ザ・ニューヨーカー』や『タイム』などの有力誌で注目され、1960年代初頭にはそれらの表紙を飾るようになる。

その後、各国で高く評価され、世界中の美術館で個展が開催されるなど目覚ましい活躍をみせ、来日したこともある。日本では30年ぶりの大回顧展、展覧会タイトルにある「空想旅行案内人」とは、フォロンが実際に使っていた肩書き空想旅行エージェンシーからとったもの

フォロンは全く知らない画家だった、展覧会のホームページを見て彼の絵の色彩感覚のすばらしさに感動して観に行ってみたくなった。


(真ん中の絵が作品254「月世界旅行」、両端が作258「見知らぬ人」を使った展覧会ポスター)

展示は以下の5つのストーリーで展開されている

プロローグ 旅のはじまり
第1章 あっち・こっち・どっち?
第2章 なにが聴こえる?
第3章 なにを話そう?
エピローグ つぎはどこへ行こう?

それぞれの展示を観てで感じたことを書いてみたい

プロローグ 旅のはじまり

  • 無題という作品名で作品番号47から57までに、マスに二つの目と、口があるだけの人間の顔リトル・ハット・マンの絵が印象的であった
  • このリトル・ハット・マンはフォロン作品において重要な位置をしめるモチーフのひとつ

第1章 あっち・こっち・どっち?

  • 作品124「群衆」が印象に残った、ビル群の上に太陽が輝いている(写真が撮れないので詳しいことは思い出せない)
  • このセクションではフォロンの代表的なモチーフのひとつ「矢印」をテーマにした作品も多く展示されていた、「群衆」もそのうちの一つ

第2章 なにが聴こえる?

  • このあたりの作品からフォロンの人類共通の問題に対する抗議が作品の中に現れてくる、例えば作品138「たくさんの森」はスリーマイル島の原爆ドームと思えるものがずらりと並んだ絵、作品150「深い深い問題」は海の中に泳いでいるのはミサイル、地上には虹が描かれている
  • 作品149「波」はあの葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」とほとんど同じ構図の絵になっているのに驚いた

第3章 なにを話そう?

  • ここでは、見る人が絵と対話することを望んでいたフォロンが、人々に世界の「いま」を語りかける手段として、企業などの依頼で手がけたポスターや、書籍の挿絵などを展示してあったが、どれも素晴らしいものだった
  • その中で1948年の世界人権宣言のための挿絵原画が一番のスペースを取って展示してあった、それ以外でも、作品208は「死刑反対」、作品214「欧州は人種差別に反対する」とか、作品218「グリーンピース深い深い問題」など、今のリベラル全盛時代を先取りしたような主題の作品が目立った
  • 本展覧会の説明には「色彩豊かで詩情あふれるその作品は一見すると美しく爽やかにさえ感じられますが、そこには環境破壊や人権問題など厳しい現実への告発が隠れていると同時に、孤独や不安の感情が通奏低音のように流れています」とある、第2章の作品と合わせて、まさにそんな作品だった

エピローグ つぎはどこへ行こう?

  • ここまで社会の問題点などを絵で訴えてきたが、ここでは鳥になってそれを乗り越えて、地平線、山並みを超えて高く飛び立ちたいという明るい未来への願望のような絵が展示されていた
  • 作品254の「月世界旅行」はこの展覧会の宣伝ポスターに使われている絵、257「自画像」は何か変なポーズ、258「見知らぬ人」、287「大天使」、291「今日」などが良かった


(作品287「大天使」を使った展覧会ポスター)

すべての作品で共通するのは、人間の表情の単純化、色彩感覚の豊かさであった、シンプルな構図であるが色彩豊かで、何か比喩的に訴えるものを持っている画家と感じた。

さて、最後にこの展覧会の運営面について述べたい

  • 展示室内は写真撮影禁止であったのは残念だ、前回佐伯祐三展で来た時も禁止だった、佐伯祐三展に出ていた作品と同じ作品が他の美術館に出品しているときは撮影OKであった、もっと交渉できないものだろうか
  • 作品の脇に表示されている作品説明の小さい白いボードの文字が小さすぎて非常に見づらかった、作品の特定のために作品リストとボードの照合が必須なのに文字が小さくでは不便で仕方なかった

勉強になった展覧会でした

 

 


国立近代美術館「TRIOパリ・東京・大阪モダンアート・コレクション」展を観に行った

2024年07月06日 | 美術館・博物館

東京国立近代美術館で開催中の企画展「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」を観に行ってきた、チケット事前購入で2,000円、この日は平日で朝から雨のためか来場者はそれほど多くなかった、外人さんが結構来ていたし、若い人も目立った。主催は出展した3つの美術館、日本経済新聞社、テレビ東京、BSテレビ東京

美術館では、この企画展の狙いを「パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館のコレクションから共通点のある作品でトリオ(TRIO)を組む、主題やモチーフ、色や形、素材、作品が生まれた背景など自由な発想で組まれたトリオ、総勢110名の作家の150点あまりの作品で34のトリオを組み、それをテーマやコンセプトに応じて7つの章に分けて展示、20世紀初頭から現代までのモダンアートの新たな見方を提案し、その魅力を浮かびあがらせる」と宣伝している。

今回の展示のポイントであるトリオでの作品展示のイメージを持ってもらうため、わかりやすい一例で説明したい

この写真は、「Ⅳ 生まれ変わる人物表現」の中のトリオ番号15番の作品、15のテーマは「モデルたちのパワー」

  • 左は、マティス「椅子にもたれかかるオダリスク」(パリ近代美術館、1928)
  • 中央は、萬鉄五郎「裸体美人(重要文化財)」(国立近代美術館、1912)
  • 右は、モディリアーニ「髪をほどいた横たわる裸婦」(中之島美術館、1917)

トリオ展示の上のかなり大きなホワイトパネルにトリオと作品の説明が書いてある、これは文字が大きくて見やすかった

ほかの展示も一つの切り口で3つの美術館から持ち寄った作品をワンセット(トリオ)で展示している

確かにユニークな試みと言えよう、モダンアートと言っても20世紀初頭からの作品なので、抽象絵画的な作品ばかりでなく、日ごろなじみのある作家の作品も多く、楽しく観れた。パリ市立近代美術館は行ったことがないが、大阪中之島美術館は一度訪問したことがある。

この企画展は一部作品を除き、写真撮影OKであったのは評価できる。鑑賞した作品でよかったと感じたものは多くあったが、その中から一部、写真を撮ったものを紹介したい。


1、佐伯祐三、郵便配達夫、1926(トリオ番号、作者、作品名、制作年)、昨年観た東京ステーションギャラリーでの「佐伯祐三展」(こちら参照)にメインで展示されていた作品、その時は写真撮影禁止だった


1、安井曽太郎、金蓉、1934


2、小出楢重、街景、1925


3、ユトリロ、セヴェスト通り、1923


7、ユトリロ、モンマルトルの通り、1912


7、佐伯祐三、レストラン、1927


8、ラウル・デュフィ、電気の精、1953


13、有元利夫、室内楽、1980


20、小倉遊亀、浴女その一、1938


23、カレル・アベル、村の上の動物たち、1951


26、菅野聖子、フーリエ(プロコフィエフ束の間の幻影)、1978、なぜプロコフィエフが出てくるのか?


30、菊畑茂久馬、ルーレット、1964

良い作品がいっぱい展示してあった。展示作品の中には先日アーティゾン美術館で観たブランクーシや、東京都美術館で観たデ・キリコの作品もあった。


14、ブランクーシ、眠れるミューズ、1910


14、デ・キリコ、慰めのアンティゴネ、1973

今回、この展覧会の運営面について、作品情報の説明の文字が大きかったこと、展示室内に休憩や鑑賞用の椅子が置いてあったこと、写真撮影がOKであったことなどが評価できると思った。

観に行く価値がある展覧会だと思った


「石橋財団コレクション展」、「清水多嘉示展」を観る

2024年06月16日 | 美術館・博物館

アーティゾン美術館にてブランクーシ展に引き続き、「石橋財団コレクション展」を観た、いままで何度も観たものだが、新収蔵作品もある。また、この美術館は約3,000点の作品を収蔵しているので、まだ観てない作品もあるだろうからコレクション展は毎回来るたびに観たい。今回の展示作品数は92点。

今回展示されている作品で、良いなと思った作品を紹介したい(カッコ内は作品番号、作家、作品名、制作年)


(26、モネ、黄昏ヴェネチア、1908)


(27、シスレー、サン=マメス六月の朝、1884、シスレーの風景画は本当に癒される)


(32、シニャック、コンカルノー港、1925)


(38、ミロ、夜の女と鳥、1944)


(37、クレー、双子、新収蔵品、1930)


(36、カンディンスキー、自らが輝く、1924)

コレクション展に続き、特集コーナー展示「清水多嘉示」を観た。

清水多嘉示(たかし)(1897-1981)は、日本近代を代表する彫刻家、はじめ画家を志してフランスへ留学し、その後パリでブールデルの作品と出会い、彫刻に目覚める。一方で絵画制作も続け、日本人としてはじめてサロン・ドートンヌに絵画と彫刻が同時入選を果たすなど、成功を収めた。本展では新収蔵の17点を中心に、清水による絵画作品を紹介するもの

今回展示されている作品で、良いなと思った作品を紹介したい


(100、ギターと少女、1925、マティスへの共感がある)


(102、シテ・ファルギエール風景、1925)


(106、モンパルナス通り、1923-28)


(108、丘を望む、1927、セザンヌからの影響を思わせる)


(74、中村つね、向日葵、1923、新収蔵作品、清水が最も尊敬していた画家中村つねが亡くなる前年に描いた絵、ゴッホの向日葵を象徴するモチーフ、開花したものと枯れたものが混在、生と死が暗示されてる)


(78、藤田嗣治、巴里風景、1918、清水が暮らしたモンパルナスのアトリエ集合住宅シテ・ファルギエールには藤田嗣治なども暮らしていた)


(70、川上涼花、麦秋、1919)


(68、傘松ナポリ風景、石井柏亭、1923)

いい絵をいっぱい観れました

 


アーティゾン美術館「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」を観る

2024年06月14日 | 美術館・博物館

アーティゾン美術館で開催中の展覧会「ブランクーシ 本質を象(かたど)る」を観てきた、オンラインチケット事前購入で1,800円。

先日テレビの「新 美の巨人たち」で小田急ロマンスカーの特集をやっていて、先代のロマンスカーVSEの設計を担当した人が、その造形の参考にしたのが開催中のこの展覧会で展示されているブランクーシの「空間の鳥」という作品だと紹介していたので興味を持った(本投稿の一番下の写真2枚)

 

コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)は知らない芸術家だったが、20世紀彫刻を代表する作家である。その彫刻作品を主体とする大規模な展覧会は、これまで日本の美術館で開催されておらず、本展が初めての機会だそうだ

展覧会のwebページの説明では、「ブランクーシはルーマニア生まれ、ブカレスト国立美術学校に学んだ後、1904年にパリに出て、ロダンのアトリエの助手となるが短期間で離れ、独自に創作に取り組み始める。同時期に発見されたアフリカ彫刻などの非西欧圏の芸術に通じる、野性的な造形を特徴とするとともに、素材への鋭い感性に裏打ちされた洗練されたフォルムを追求。同時代および後続世代の芸術家に多大な影響を及ぼしたことで知られる」と紹介している。

ロダンのもとを短期間(1か月)で離れたのは、「生物は大きな木の影の下では成長しない」という理屈だった。「寄らば大樹の陰」という日本人と正反対なのが面白い。

展示されている作品数は90点くらいでありちょうどいい量だ、写真撮影はOKなので、特に印象に残った作品を紹介したい(カッコ内は、作品番号、作品名、制作年、保有者)

01形成期

1904年にパリに出て、国立美術学校に学び始めた時期の作《プライド》は、モデルの顔立ちの明瞭な表現に、アカデミックな様式が顕著にうかがえる


(1、プライド、1905、光ミュージアム)

02直彫り

ロダン工房で働くようになるが、その期間は続かず、石の塊からフォルムを彫り出す直彫りの技法で作品を制作するようになる


(4、接吻、1907-10、アーティゾン美術館)

03フォルム

「眠り」の状態を通じて、重力から解放された、水平に置かれた頭部像を創出し、《眠れるミューズ》にみられるように、表面に外形の特徴をとどめつつ、その内部に思念や夢想の観念を想起させる卵形の頭部は、抽象性を高めていく。1910年代の彼の創作は、頭部をモティーフとする、観念とフォルムとの関係の追求に牽引される


(12、眠れるミューズⅡ、1923、個人蔵)


(18、レダ、1926、ブランクーシ・エステート)

04交流

パリに出て間もない時期に造形への関心を共有したモディリアーニ、イサムノグチなど、時々で他の芸術家との間で関係を結んでいく


(82、若い農夫、1918、モディリアーニ、頭の形が何となく上の2枚の写真と似ている)

05アトリエ
06カメラ

07鳥

ルーマニア伝承の民話を出発点とする鳥の主題は、自由と上昇の観念と関わるもの。そこに航空機への関心が結びつき、1920年-30年代にかけて発展を遂げる。《空間の鳥》のフォルムは、まさに空間を切り裂くようで、天空を志向する飛翔の運動自体に焦点が当てられている


(13、雄鶏、1924、豊田市美術館)


(19、空間の鳥、1926、横浜美術館、これがロマンスカーVSEのデザインに応用された)

さて、今回の展覧会を観て気付いた点を若干書きたい

  • 展示作品には展示作品の番号のみが示されており、その他の作品情報は紙の作品リストかQRコードでダウンロードした作品リストを見て確認する方法を採用している。慣れてないせいもあり、使い勝手が悪かった、なぜなら、紙の作品リストの文字が細かくて見えにくいからだ、そのためオンライン作品リストを見ると、今度は書き込みができない、新しい試みをやるのは良いと思うが、アンケートで来場者の感想を聞いてもらいたい
  • 作品リストを観るときに感じるのは、展覧会場が暗いということだ、もう少し明るくできないものか、これでは紙に書いてある細かい文字は余計に見づらい
  • 写真撮影は一部禁止されているもの以外はOKだったのは評価できる、やはり民間グローバル企業系列の美術館だけのことはある、交渉力があるのでしょう

楽しめました