母は平気だと思ってました
一日中畑で死ぬほど働いても
母は平気だと思ってました
かまどの前に座り
冷や飯で食事を済ませても
母は平気だと思ってました
真冬の川で素手で洗濯しても
母は平気だと思ってました
家族に食べさせて
自分は飢えても
母は平気だと思ってました
かかとがひび割れても
母は平気だと思ってました
爪が切れないくらい
すり減っても
母は平気だと思ってました
父が怒って
子供たちが困らせても
母は平気だと思ってました
死んだ母親に会いたいと言っても
ただの泣き言だと思っていました
夜中に起きて
部屋の隅で声を殺して泣いている母を見てから
母は平気じゃないと分かりました
シム・スンドク作
作者が母を想って書いたものだと思います。
これは韓国ドラマのエンディングに流れたナレーション(詩)
このドラマは早くに夫を亡くした母親が三人の娘たちを一人で育てたお話でした
もちろん韓ドラ特有の財閥争いの話もありました
一人で大きくしたお店を守りながら孫の守りをしたり
常に娘たちの幸せを思っていた母親です
三人の娘たちを案じながら癌で亡くなるのですが
時にはその愛を疎んじたり わがままを言う娘たちに
怒りながらも泣きながらも 結局「私の可愛い娘たち」と抱きしめるのです。
ある時いつまでも直らない風邪の症状に
病院に検査しにいくから娘たちに一緒に行ってくれと電話するのですが
それぞれの用事で「私たちを困らせないで、、」と冷たく言うのです。
医者になぜ家族と一緒ではないのかと聞かれると
「かぞくはいないから検査結果を私に教えてくれ」と
その結果 「癌 余命3カ月」に驚き悲しむのです。が
まだ嫁いでいない末娘や次女の出産の事や長女の家の事情に胸を痛めるのです。
ですが 結婚を反対していた末娘には結婚式を早くしようと言ったり
苦しみながらも少しづつ身辺整理をしていくのです。
娘たちが母親の病気を知り なんと親不孝したのかと涙にくれます
入院を進めて治療を始めたのですが、医者は気休めだけなのでなんの効果もないと
はっきり言うし母親も「家に帰りたい」と言うのですが 娘たちは治療を続けさせます
姉妹交代で付き添うのですが
一人になった母親が病室で泣いているのを見た娘たちは母親ともに号泣
「家に帰ろう お母さん」
家に帰ると母親は「私の家」 嬉しそうに笑みを浮かべていました
末娘の結婚式の夜 娘たちと一緒に就寝 そのまま他界
翌日 母親の葬式となりました
これは当然お涙頂戴的なお話しなのですが
状況は違ってもどこの国でも母は偉大
最後のナレーション(詩)に私の母を思い浮かべていました
苦労を苦労とも言わずひたすら子供たちや家族を想い
女性なのに父よりごつごつとした手 あかぎれの手
日焼けした顔 少し白髪交じりの髪を染めることなく
愚痴も言わず舅の徘徊の後始末をしたりの苦労の人生
晩年 父が軽い脳梗塞で倒れて寝たきりになり
その介護に母は寄り添い
父は寝たきりになっても頭の方はしっかりしていたので
文章を書く意欲は消えませんでしたから
父が口頭で言うと母はそれを下書きしてました。
まさに夫唱婦随
只 母は子供たちが大きくなると
父の勧めで 町内の旅行や友達との旅行が唯一楽しみ
必ず行っていたみたいで 楽しそうな母の姿が
残っているのが嬉しいです。
このドラマで新たに母を想うのでした。