3RD EYE STUDiOS
街角の映像制作下請け零細業者のブログ




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このPJニュース記事には驚いた。このディレクターはTBSの社員ではなく、無数にある下請け業者の人間だろう。ひょっとすると僕のようなフリーランスかもしれない。同じような立場の人間として、かなり考えされられる映像だ。僕だったらどういう行動を取っただろう?

とにもかくにもメディアがバッシングを受けているこのご時世に、ありえないような行動(駐停車違反)と言動だ。あまりにも情報感度が低すぎる。彼には罪の意識もないだろうし、あの走り去る車の中で「なんだあいつ?市民記者だって。何用なんだろうね~」みたいなノンキな話をしているに違いない。

僕らは常にカメラのこちら側にいる。映像には映らない。放送もされない。都合の悪い部分は編集してカットする。何もかもが手の内にある。ところが今はそんな一方的な世の中ではない。誰もが多くの人に訴える力を持っている。取材する側が取材されてしまうことだってあるのだ。新聞や雑誌、テレビで流れる前に、インターネットであっという間に情報発信されてしまう。

それでもほんの数ヶ月前までは文章だけだった。先日、毎日新聞の「ネット君臨」というネジ曲がった記事に関してCNET Japanで佐々木俊尚さんが取材する側とされる側が逆転する現象を書いておられた。大変興味深く読んだが、ブログの文章だけでは「ひょっとしてウソかも」と疑う自制心が働くと思う。電凸の録音が出回ることがあったが、それだって簡単にでっち上げられる。やはり100%信頼できる情報ではない。

ところがYouTube以来、映像が簡単に出回るようになった。これはもうどうやったって疑いようのない100%信頼できる情報だ。しかも文字に起こしたものより圧倒的にリアルだ。このバカディレクターのどうしようもない傲慢な態度まで余すところなく伝えることができる。

このとてつもない破壊力を果たしてテレビ局の人たちは理解しているのだろうか?カメラのファインダーを覗く側ではなく、レンズの向こう側に立つ恐ろしさ。

テレビが尊敬されていた時代、「撮ってやっているんだ」「取材してやっているんだ」「(編集で)使ってやっているんだ」「放送してやっているんだ」という意識が取材する側には確実にあったと思う。ほんの数年前まで皆テレビに映りたがった。ところがもうそんな時代ではない。テレビカメラを向けたら子供たちがピースをして「イエーイ」って言いながら映ろうとするようなことは、もうなくなるのではないか?

このディレクターは残念ながらここに書いたような意識は100%持っていないだろう。僕は報道が専門でもないし、放送局の車に乗ってロケに行くこともないが、取材する側こそ謙虚でなければならないと痛切に思った。

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