藤村紫朗(ふじむら・しろう)山梨県権令(知事に相当),日本初の葡萄酒醸造場を設立し,ワイン王国山梨県の基礎作りに貢献
1845.4.7(弘化2.3.1)~1909(明治42).1.5(64歳)
肥後(熊本県)藩士の家に出生。尊皇攘夷運動に加わる。1873年(明治6)1月,山梨県権令(知事に相当)に就任。明治政府の殖産興業を推進するため,大久保利通らの指示に従い,山梨県を欧米式ブドウ栽培と醸造施設のモデル県にする意気込みで甲府・舞鶴城跡に77年(同10)3月30日,日本初の県立の葡萄酒醸造場を完成させるとともに,東八代郡祝村(現・甲州市勝沼町)に法人組織の葡萄酒醸造会社の設立を提案した。
提案に基づき同年8月30日,大日本山梨葡萄酒醸造会社が発足した。10月10日,同社から24歳の高野正誠(1852~1923)と18歳の土屋龍憲(1859~1940)の2人の青年が前田正名に伴われて技術習得のためフランスに旅立った。
藤村の就任期間は87年(同20)3月8日まで14年の長きにわたり,ブドウ酒醸造など殖産興業を推進し,県勢の向上に尽力した。その後,貴族院議員,男爵となる。
甲府市北口2丁目には,藤村の功績を顕彰し,氏が奨励したとされる擬洋風の甲府市藤村記念館がある。